Ⅰ-4.“秘密基地”の冒険
“放課後のお誘い”の中で特に印象に残っている出来事がある。
その日、例によって図書室から誰もいない教室に戻ったぼくは机の中の教科書をランドセルに詰めて帰り支度をしていた。
そこにクラスメートの男の子が一人でやってきた。誰だったのかは憶えていないが、やんちゃなグループに属していた子だったと思う。そして唐突にこう言ってきたのだ。
「ねえKちゃん、“つるっぱげ”って知ってる?」
「え、なにそれ。知らない」
「そっかー、じゃあさ連れて行ってあげようか」
「どこへ?」
「だから“つるっぱげ”に」
「?」
それはやんちゃグループだけの秘密の場所、秘密基地なのだという。
「ほんとはグループ以外の子には内緒なんだけど。Kちゃんになら特別に教えてあげてもいいよ」
「ほんと? 教えて教えて」
そうしてぼくはその子についていった。
人気のない校舎の二階の窓から外に出て、外壁の庇伝いに歩く。そして迷路のように入り組んだ空調ダクトの上を這って(銀色の金属板をベコベコとへこませながら進んだのを憶えている)、広い空間に出た。
当時のぼくらの学校には校舎のすぐ隣に調理棟という平屋の建物があって、そこで給食を作っていたのだ。その調理棟の屋上だった。
「ほら、これが“つるっぱげ”だよ」
それは屋上に設置された採光用の半円形のクリーム色のドームで、「つるつるのハゲ頭」みたいに見えることから“つるっぱげ”と呼んでいるのだそうだ。そしてそれがそのまま調理棟の屋上を指す隠語となっていたようだ。
校舎の窓からは調理棟の屋上の半分は死角になっていた。その死角の部分はどこからも見られることのないまさに秘密の場所だったのだ。
そこでどんな遊びをしたのかはよく憶えていない。というよりもその場所に至るアスレチックじみた道程と、秘密の場所にいる、ということ自体がすでに一つの冒険であり遊びだったのだ。
いま思うと、その場所へと至る道筋は危険極まりないものだった。校舎の外壁を伝い歩くなんて、自分の子どもには絶対にさせたくない類の遊びだ。
その男の子はその秘密の場所でぼくにこう言った。
「ここに来たことは誰にも言っちゃだめだよ。先生にも、グループの子たちにも」
「うん、わかったー」
けれどそんなことがあった数日後、“つるっぱげ”で遊んでいる生徒がいることが先生にバレてしまったのだ。
誰かが調子にのって採光用のドームの上で飛び跳ねたらしい。樹脂製のドームが割れて、調理室の中に落っこちかけたのだ(幸いケガはなかったそうだ)。
学級会のときに、先生はやんちゃグループの子たちを黒板の前に立たせて危ない遊びをしていたことを叱った。
その時ぼくは自分の席にいて、どうしてぼくは叱られていないんだろう、と思っていた。ぼくも“つるっぱげ”に行ったのに。ぼくも前に出ないといけないのかな、と腰を浮かしかけた。
黒板の前で並んでいる子の中にぼくを“つるっぱげ”に誘ってくれたあの男の子がいた。
ぼくと目が合うと、その子はニコッ、と笑った。その笑みを見てわかった。“だいじょうぶ、Kちゃんのことは黙っているからね”そう言っているように見えたのだ。
だからぼくはそのまま椅子に座っていた。
結局、ぼくが“つるっぱげ”に行ったことが先生に知られることはなかった。やんちゃグループの子たちからも何も言われなかった。あの男の子は秘密を守ってくれたのだ。
このことは自分にとってちょっとした冒険の思い出だった。男の子ならそうした危ない冒険の一つや二つ経験するものだ。そう思っていた。
けれど、いまあらためて考えて見る。
どうしてあの子はぼくを誘ってくれたのだろう、と。
彼が自分で言っていたように、“つるっぱげ”のことはやんちゃグループの秘密だったはずだ。男の子のグループの仲間意識は強いもので、仲間内の秘密は絶対に守らなければならない鉄の掟だったはずだ。
それにあの男の子はぼくが一人きりでいる時にわざわざ声を掛けて来て、秘密の場所を教えてくれた。もしかすると、あれはぼくを独り占めにしたかったからではないだろうか。
またこうも考えられる。放課後に誰がぼくを誘うか男の子たちが調整していた、という推測を前提にするなら、他の子に差をつけるためのアピールとして秘密の場所を教えてくれたのかもしれない。
それは鳥などの動物がパートナーを誘うために自らの巣に案内するような求愛行動の一種ではなかったかと思うのだ。
あそこは誰の目にも触れない、密室も同然の場所だった。やんちゃグループの他の子が来ない時間を事前に知っていたなら本当に二人っきりになれるのだ。
そしてグループの一員だったその男の子はそのタイミングを知ることが出来た。あの場所でならぼくと何をしても誰にも分からないのだから。だけど、先生に露見したことでその場所は使うことが出来なくなってしまった・・・。
そんな風に思ったのには理由がある。
このことがあった少し後で、ぼくは別の男の子と二人っきりになった時にキスされたことがあったからだ。
次回、Ⅰ-5.“キス” に続く