Ⅰ-2.「君は“女の子”役ね」
当時ぼくが通っていた小学校では、水泳の授業の時は男子も女子も教室で水着に着替えてからプールに行っていた。プールサイドには男女別の更衣室もあったけれど、高学年しか使っていなかった。
教室で水着に着替えたぼくらはバスタオルを持って、仲良し同士で一緒になってプールへと向かった。もちろんおしゃべりしたりふざけたりと、にぎやかに騒ぎながら。
そのとき、クラスメートの男の子たちはぼくの体をさわったり抱き着いたりしてきた。当時は単に子猫のようにじゃれているだけだと思っていた。ぼくは体を触られながら、「やーめーてーよー」などといいながら楽しんでいた。
けれど、その時にある男の子が言った言葉を思い出した。
その男の子はぼくの裸の胸を触りながらこう言ったのだ。
「Kちゃんは女の子役ね」
女の子役? そしてそういいながらぼくに抱き着いたりしていたのだ。ぼくのことを女の子に擬して触っていたのだと今は分かる。はっきりとそう口に出して言ったのはその男の子だけだったけれど、他の男の子も同じようにぼくの肌にベタベタと触っていたのだ。
当時のぼくは別段女の子のようにかわいかった訳ではないと思う。その頃の自分の写真を見てもふつうの男の子にしか見えない。
特に不細工というわけでもないけれど、際立って美形というわけでもない。今の大人の視点で見てもただの男の子にしか見えない。敢えて言えばふつうにかわいい子ども、というていどだと思う。
だが後述するように、もしかしたら低学年当時のぼくは周囲の子たちからは、ふつう以上に”かわいい子“と思われていた可能性がある。まったく自覚はなかったのだが、当時のクラスメートたちのぼくへの態度から類推すると、そうとしか思えない傍証がいくつもあったのだ。
これについては自分自身も半信半疑なのだが、読者諸氏においては次章以降の文章を読んでご判断いただきたいと思う。
参考までに、当時ぼくは複数の男の子や女の子にイジメられていたのだけど、容姿について悪く言われたことは一度としてなかった。これを一つの傍証として今は提示して置きたい。
ではぼくの性格はどうだったろうか。当時のぼくはどちらかというとおとなしい方で、クラスの乱暴な男の子に泣かされたりもしていた。
その頃のクラスでのぼくの立ち位置について思い出してみた。
クラスにはいくつかの仲良しグループがあったけれど、ぼくはそのどこにも属していなかった。別に仲間外れにされていたわけではない。誘われればどのグループの子とも遊んでいた。
ただ、本当に仲の良い子は別のクラスのSくんという男の子で、放課後はたいていSくんとばかり遊んでいた。低学年の頃は自転車に乗れなかったぼくは、Sくんの自転車の後ろに乗せてもらって二人だけで遊び歩いていたのだ。
Sくんは色黒の背の高い子で、どちらかというとハンサムな男の子だった。
ところがSくんは隣町に引っ越して転校してしまった。それほど遠くではなかったので、その後もSくんと遊んではいたものの、回数はめっきり減ってしまった。
そしてその分、クラスの子たちとも遊ぶようにはなった。けれど、特に決まった仲良しグループには属さなかったぼくは放課後は一人でいることが多くなった。
誰とも遊ぶ約束が無い日は学校の図書室で本を読んでいた。もともと外で遊ぶよりも一人で本を読むことを好んでいたぼくは別段さびしいとも思わずに放課後を図書室で過ごした。
余談だが、特に好んだのは海外のミステリーやSFを子供向きにリライトしたもので、主に古典的な有名作品を読んだ。この時の読書体験が後に大人向けの翻訳や原書を読む入り口となったのだと思う。
当時のぼくの小学校では高学年にならないと図書の貸し出しは出来なかった。だからぼくは図書室が閉まる16時になると誰もいない教室に戻って、一人で帰り支度をして帰宅していた。
そしてその放課後の教室でも次に述べるようなことがあったことを思い出した
次回、Ⅰ-3.放課後の“お誘い” に続く