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Ⅲ-6.“お姫様”と“狂犬”


 ぼくは両親からぶたれた記憶はいっさいない。ぼくが何か悪いことをすると、両親は懇々と言葉で言い聞かせていたし、ぼくもそれを理解して反省した。それなのにぼく自身は、言っても分からないと思った相手にはためらわずに暴力を振るったのだ。


 先に紹介した三件しか明確には憶えていないけれど、もしかしたら他の子にも同じようなことをしていたかも知れない。


「Kちゃん、怒ると怖いから」


 これはつまり、怒らないぼくは怖くない、という意味でもある。だとすると、ふだんのぼくはやはり女の子のようにおとなしかったのだろう。けれど、許せないと思った時には暴力を振るうことを躊躇しない“狂犬”でもあったのだ。

 

 ところでこれらの暴力はクラスメートの前で行っていたのだ。なのに、このことで先生に叱られた記憶がない。誰かが先生に言いつけてもおかしくないはずなのに。


 ただ、どのケースでも意味もなく暴力を振るってはいなかった。相手の方が悪いと思った場合だけだった。だからクラスメートたちは「正しい」暴力だと思って容認してくれていたのかもしれない。それとも、下手なことを言ってぼくに暴力を振るわれることを恐れて沈黙していたのかも知れない。


 当時のぼくは悪をただすための暴力は正しいと思っていたので罪悪感はまったくなかった。もちろんそれは誤った考えだ。たださねばならないのはぼく自身の独善的な歪んだ正義感だったと今は思う。


 それに大義名分とは別に「ムカついたので殴ったらスカッとした」のも本当だった。


 そこまで思い出した時、自分はあることに気づいた。三人娘にイジメられていた時、ぼくは困ったような曖昧な笑みを浮かべていたけれど暴力には訴えなかった。


 そして三人娘が学級会で断罪されているのを見て感じた愉悦。その時ぼくはイジメっ子たちがぼくをイジメている時こんな気持ちだったのだろう、と理解したのだ。


 イジメって楽しいんだ、と思ってしまったのかもしない。


 あの三人娘のイジメがきっかけだろうか? ぼくは自分がイジメられたことをきっかけに暴力を肯定するようになっていたのかもしれない。


 いや、人のせいにしてはいけない。きっとぼくはもともとサディスティックな性向をもっていたのだろう。あのジャングルジムの一件は三人娘のイジメよりもかなり前だったように思う。


 他人に暴力を振るって怯える相手を見るのは愉しかった。Jくんの首を締めあげた時は胸のすく思いがした。Aくんをジャングルジムから突き落とした時は快感だった。


 もちろん愉しみのためにひとをイジメるのはいけないことだ。その程度の倫理観は当時のぼくにもあった。けれど、相手が悪いことをしていたなら。話しても通じなかったら。その時は暴力を振るってもいいのだ、と思ってしまったのだ。


 実際、ぼくに暴力を振るわれた子たちはそれ以降おとなしくなっていた。暴力はすべてを解決する。悪い奴をやっつけるのは正しいことだ。テレビのヒーローもそうしているのだから、と。


 お姫様扱いされている時には単にそれが表に出ていなかっただけなのかもしれない。けれど、いま改めて考えると、ぼくにキスをしていたMくんを手ひどく振ったり、その後のMくんに対するぼくの仕打ちはサディスティックなものだった。


 Mくんは自分が主導権を握って、ぼくにキスをしていたと思っていたのかもしれないけれど、今思うとその時のぼくは嫌々キスを受けれていたのではなかった。キスさせてあげる、という感覚だったのだ。


「ぼくにキスしたいの? いいよ、させてあげる。ほら」


 言葉にしたことはなかったけれど、そんな風に思っていたのだ。そしてそう思っていたからこそ、キスしたくないと思った時には断固として拒絶できたのだ。しかも涙目でぼくを見ているMくんを強い言葉でなじって平然としていたのだ。


 その意味ではぼくは最初からお姫様などではなかった。立ち位置としてはお姫様で、確かにお姫様扱いはされていたかもしれないけれど、ぼくはぼく自身の支配者であり、確固とした意思を持った子どもだった。


 そしておそらくは外観はかわいかったのかも知れないけれど、内面はきつい性格の子どもだったのだ。


 確かにイジメられてもいたけれど、泣き寝入りして無条件に相手に従うようなことは一度としてなかった。反発心と反逆心を持ち続けていたのを覚えている。


 あのイジメ三人娘に対しては自ら反撃することはなかったけれど(そもそも女の子相手に暴力を振るうことなど思い付きもしなかった)、“断罪”されている彼女たちを見て、いい気味だ、と加虐心を満足させていたことは確かだった。


 ある意味、ぼくは残酷で自分本位の王様だったのだ。・・・いやサディスティックな女王様と言っていいのかもしれない。


 そこまで考えが至った時に、さすがに自分は唖然とした。前にも述べたが、これまでの自分の思い出の中では、幼いころはおとなしいイジメられっ子だった、という認識だったからだ。


 今回の考察が本当に正しいのかは分からない。無意識の内に自分に都合よく記憶を捻じ曲げている可能性もあるし、単なる思い違いもあるかもしれない。


 けれど、いくつかの疑問に対して、自分が『お姫様』扱いされていた、と解釈することできれいに説明がついたことは確かだった。


 それにしても当時のぼくがいったい何人のクラスメートの心に消えない爪痕を残してしまったのかと思うと慄然とせざる得ない。


 ファーストキスを否定して幼い恋心を弄んでしまったMくん。“お姫様”だったぼくに嫉妬してイジメをしてしまったSさん。そしてぼくに暴力を振るわれたJくん、Hくん、Aくん。


 彼らのその後の人生に昏い影を落とすトラウマを与えてしまったのではないかと思うと申し訳なさでいっぱいになる。


 ついでながらもう一つ気づいたことがある。


 学級会での“断罪”と学級新聞の記事は、これ以上イジメをさせないために先生が仕組んだのかもしれない、と先に述べたが、いま見て来たとおり、クラスの中のイジメは無くなっていなかった。


 他ならぬイジメられていたぼくが暴力を振るっていたのだ。そしてSさんに対するクラスメートたちのイジメがあったのではないかという疑惑もある。


 ぼくは自分がしていることがイジメだとは思わないままイジメをしていた。独善的に相手の行動を『悪』と断じて、自分の暴力を正当化していたのだ。こうして我が身を顧みると、イジメを無くす、ということがいかに難しいかということを改めて思い知らされる。


次回、終章 “あなた”へ ―to“You”―  に続く

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