6. 視線
昨日から復旧作業が始まったということで、東門前の広場は慌ただしく人が行き交っている。あのときは夜だったので全容は把握できていなかったが、こうして見ると被害はかなり大きいようだ。
「……あ、坊ちゃまだ!」
「クロフレッド様! もうお身体はだいじょぶですか!?」
あっという間に市民や衛兵に囲まれる。
「あのとき、坊ちゃまがいてくださらなかったら……」
「被害はもっと大きくなっていましたよ、人も街も……」
「坊ちゃまは俺たちみんなの恩人です。改めてお礼を……」
「マッティンガムの英雄の姿をこの目に焼きつけさせたい……」
「爪の垢をいただいてもいいですか? できれば唾液も……」
「みんな落ち着いて。唾液は無理」
と、
「おーい、誰かー! こっち手ぇ貸してくれー!」
大きな瓦礫の前で男が呼びかけている。
「あ……僕も手伝うよ」
「え……ぼ、坊ちゃま!?」
手をかざす。青い光に包まれた瓦礫がぶわりと持ち上がり、広場が騒然とする。
「ぼ、坊ちゃまが魔法を……」
「すごい……あんな大きな瓦礫を軽々と……」
「あれこそが我らをお救いくださった力……」
「あのさ、メイ」とクロ。「できればみんなの作業手伝いたいんだけど、いい?」
「……ダメ、とは申せませんね。決してご無理なさらないよう」
「了解」
みんなの役に立てて超能力のリハビリにもなってランニングも自然な形で終われる。いいことづくめだ。
「体力は残しておいてくださいね。屋敷に戻ったら二時間筋トレですので」
「マジで言ってる?」
瓦礫の撤去だけでなく資材の運搬や家財の保護など、やれることはたくさんある。メイも手伝いに加わる、あの細腕で男たちの倍以上の荷物を軽々と持ち運んでいく。
「すごいな、坊ちゃまの魔法……」
「ああ、俺ら何人分の働きだ……?」
「青い魔力の光……? 初めて見るけど、綺麗ねえ……」
注目を浴びるというのはあまり好きではなかったが――自分の力が誰かの役に立つということがただ嬉しい。前世では能力的に破壊工作や防衛任務ばかりで、こんな経験はほとんどしたことがなかったから。
「ふう……働いたあ……」
「お疲れ様でした、坊ちゃま」
キリがいいところで手伝いを切り上げ、城門上の見張り台に登って復旧作業を見学させてもらうことにする。駄賃にもらったリンゴを二人でかじる。
カンカン、コンコン、と釘を打つトンカチの音が作業の賑やかさにリズムを加えている。
「そういえば、報告がまだでしたね」
「報告?」
「襲撃の件、詳細な数字が出ました」
と、メイがくしゃくしゃのメモ用紙を広げる。
「百足山羊による兵の負傷者は四十五名。特に手足を失うなどの重傷者は十九名もおりましたが、死者はゼロでした。民間人は避難時に転倒したり建物の倒壊に巻き込まれたなどで負傷者が二十八名、こちらも死者は出ていません」
「不幸中の幸い……って言うべきなのかな?」
「ですね」
というより奇跡かもしれない、これだけの惨事で誰も命を落とさずに済んだのだから。
「半壊・全壊した建物は十棟、城壁や広場を含め被害総額は推定七千万エリンほど。その修復・復旧に際して旦那様……アシュフォード卿は公費による補償を通告済みです」
「うん」
「次に屋敷への襲撃の件ですが……死者は護衛兵八名、使用人が二名。負傷者は旦那様と坊ちゃまのみでした。ちなみに襲撃者側の生存者はクライス氏のみで、奥様と坊ちゃまを襲撃した者たちと合わせて尋問を続けております」
「…………」
メイの登場により刺客を撃退したあと。
クロはそのまま気を失った。翌朝までやはり両親がつきっきりで、目を覚ますとすぐに母に抱きしめられた。
「まさか、こんなに早くお前に命を救われる日が来るとはな……ありがとな、クロ」
全身手当のあとだらけの父は、少し気恥ずかしそうに頭を撫でてくれた。いつかの約束を憶えてくれていたようだ。
確かに、父と母を守ることはできた。それでも――……。
「いつも屋敷にいて話しかけてくれた人がいなくなって……みんな一人ひとりの人生があって、家族とかもいて、当たり前だけど……それが奪われていい理由なんか、絶対にないのに」
あのときは精いっぱい自分の力を振るったつもりだ。そこへの後悔はない。
けれど――だからと言って、いくつもの命が喪われたという事実を忘れていいわけではない。
「さっきメイ、僕が別人みたいって言ったよね」
「はい」
「僕が……魔法に目覚めて変わったんだとしても、僕がこの街で生きてきた十二年は変わらないし、得てきたものも変わらない」
「そうですね」
この世界で、新たな人生で、数えきれないほどの大事なものを得てきた。
親というものの温かさを初めて知った。父の頼もしさかっこよさ、母の優しさ柔らかさ。それはサイとして生きた十五年では一度も味わったことのないものだった。
前世の記憶が戻っても、それを思う気持ちは変わらない――二人のためなら命も懸けられる。
屋敷で働くみんな、兵士に役人、街に暮らす人々――クロはこの街を愛している。領主の子息としてだけでなく、ここで生まれここで暮らし触れ合ってきた一人の人間として。
「メイ、僕はいずれ父さんの地位を継ぐことになると思う。ツィーガルの領主、辺境伯……今はまだ全然想像もつかないけど……」
「はい」
「僕はもっと大きくなって、強くなって、この街を守りたい……この街の人々や、父上や母上やみんなを守りたい。降って湧いたような力だけど、それが僕に気づかせてくれたんだと思う。大事なものの大事さとか、この世界に生まれた意味とか」
「……立派なお覚悟です」
「だからメイにも……力を貸してもらいたいんだ。僕はもっといろんなことを知って、もっと強くならなきゃいけない……街のみんなだけじゃなくて、メイも守れるくらい……いやそれは無理かもだけど……」
クロの手に、メイが手を重ねる。生傷が絶えないと自嘲する彼女の手は、しかし温かくて柔らかい。
「その大事なものの中に含んでいただけたこと、光栄がこの身に余りすぎて溺れそうなほどです」
「いや、そう言われるとちょっと恥ずかしくなるけど……」
「メイはずっとそばにおりますよ、坊ちゃま。命を救っていただいたあの日から……私の人生は坊ちゃまのものですから」
あのときのことは記憶が曖昧で(当時クロ七歳)、実際大したことをしたわけでもない。それでも彼女はずっと恩義に感じ、大陸最強の傭兵としての地位をなげうち、全力で報いようとしてくれている――それこそ身に余る贅沢だ。
「坊ちゃまを心身ともに鍛え上げ、自分の人生を自由に切り拓くことのできる強い殿方へ成長する一助となる……それこそが私の選んだ道なのですから」
「……ありがとう、メイ。がんばるよ、期待に応えられるように」
「報酬として一番手で子種をもらいますので」
「この流れでそれを言うの?」
***
(……あれが……)
がやがやと賑わう東門広場の片隅に、少年が一人でぽつんと佇んでいる。
服装は白シャツにサスペンダーつきのズボン、イエローブラウンの髪にそばかすの散った顔。どこにいても目立つ要素のない、匿名的とさえ言えるほど地味な少年だ。
(あれがツィーガルの領主の息子……クロフレッドだっけ?)
彼の目は、城門上の見張り台にちょこんと佇む少年に向けられている。
(ほんとにただの子どもだ。信じられないな)
そのままそのへんの呑気な貴族の令息、といった風だ。特にすごみは感じない。
(あんなただの子どもが、ボロッサの連中や、僕の五年分を倒したなんて……あ、やば)
ふとその隣にいる狼人族の女が、視線を返してくる。少年は慌てて目を逸らす。
(そしてあれが……世界最強の傭兵一族の女、か)
野生動物以上の勘のよさだ、この距離で視線を感じとるは。念のため、この場を離れたほうがよさそうだ。
「あっ」
「きゃっ」
踵を返して歩きだしたところで、正面からやってきた中年の女性とかち合ってしまう。体重の軽い少年のほうがぺたんと尻もちをつくことになる。
「あらやだ、ごめんね坊や! 大丈夫!?」
「え、ええ……だいじょぶです、すいませんでした」
手を差し伸べられ、少年は笑顔でその手をとる。
「……あっ……」
「…………」
彼女は気づいたようだが、表情には出さなかった。少年の左目の虹彩が真っ白なことに。
(いい人……というか、いい街なんだろうな)
適当に会釈をしてその場を歩き去りながら、
(これでツィーガルともおさらばか。次の任務はどこだろう?)
少年は半分振り返り、再び彼を仰ぎ見る。任務の邪魔をしてくれた少年の顔を、脳裏に焼きつけておくために。
(また会えるといいね、クロフレッドくん)
鉄の胃袋のはずが、さすがに二郎系の翌朝にポテトフライは胃がヤバい。