56. エリート倶楽部
前世では思想の自由のない研究所で生まれ育ち、人並みの人生を送ることは叶わなかった。
今世ではやんごとなき家に生まれて不自由なく育てられたが、あいにく同年代の女の子と接する機会はほとんどなく、またそれを求めるような気持ちも不思議と湧かなかった。父もそんな息子に無理やり許嫁をあてがうこともなかった。
そんなわけで圧倒的恋愛偏差値ゼロのクロフレッド・マッティだが――突然差し出された手紙がいわゆるそういう類いのものだということは理解できた。
(生まれて初めてもらった……)
文面にはどこにも署名がなく、文字はどことなく女の子っぽい丸みを帯びている。
(僕宛て、だよな……?)
クロフレッド・マッティと書いてある。部屋を間違えたということはなさそうだ。
(なんで僕……?)
いくら最近注目されているとはいえ、こんなものをもらう心当たりはない。
――いやまさか、パーチソン……と思いかけて犬のようにブルブルと首を振る。
二人きりで顔を合わせる機会の多い彼女が、今さら手紙というまわりくどい方法をとるとは思えない。
(……で、どうしたらいいんだ?)
わからない。
人並みにドキドキはするものの、それ以上に困惑が大きい。
本当にわからないのだ――恋愛感情というものが。
大切な人や大事なモノはいくらでもあるし、「愛情」や「好き」という気持ちそのものが欠落しているわけでもない、はずだ。
それでも――今のところ、そういう方向の「好き」を認識した経験はない。
……なんで今一瞬、あのメイドの顔が浮かんだのか。気のせいだ。
(……まあいっか、とりあえず話聞くくらいなら)
班のみんなには内緒にしたまま、クロは約束の時間に約束の場所へと向かう。
こんなことで自分の感情がどこかしらへ発達するとは思えないが、わざわざ手紙を出してくれた人への誠意となるならば。
(第三魔法訓練室か)
ビジャット組ではまだ授業で使ったことはないが、魔法の実技の授業や各種クラブ活動などで使われている屋内運動場だ。
ほんのり緊張しつつ、重い扉を押し開けた先で、待っていたのは――
「――遅いじゃないか、マッティ」
「……ポクハム?」
金髪マッシュにぽっちゃりボディーでお馴染みのウィナー・ポクハムだ。
「いや時間ぴったりだけど……」
指がブルブルと、奥歯がガタガタと震えている。
「じゃなくて……あの手紙、まさかお前が……?」
「手紙? なんのことだ?」
状況を呑み込めないまま、ふと彼の後ろに目をやると、他にもぞろぞろと二十人ほどの生徒がいる。
「――待ってたよ、クロフレッド・マッティくん。来てくれて、ありがとう」
人垣が割れ、後ろからすらりとした金髪の少年が現れる。
チュニードのエンブレム入りのローブを着ている、上級生か。
「僕はグリン・ウェルズ。ご存知のとおり、エリート倶楽部の会長だ」
「え? えりーとくらぶ?」
エリート倶楽部はもちろんご存じない。
――が、「ウェルズ家」は当然知っている。
帝国皇室の側近中の側近、国政の中枢を担う大貴族の家門だ。
「……ここに来てくれたということは、要件は伝わってると思ったんだけど?」
「いやその、この手紙は……」
「ぷっ!」
と、ツンツンした黒髪の少年がいきなり吹き出す。
「……ランゴ、お前まさか……」
「いやー、わりいわりい! つい出来心でよぉ、まさかそんな本気にするとは思ってなくてさぁ! ヒャハハハ!」
なるほど、と腑に落ちるクロ。
「すまない、マッティくん。そこのランゴ・グスマンに君への招待状の手配を頼んだんだが……どうやらとんだ無礼を働いてしまったようだ。不愉快な思いをさせたことを、会長として謝罪する」
「……いえ、気にしてないです」
要はイタズラだったのだ。この黒髪ツンツンの。
「悪かったって! ちょっとしたジョークだって! まさか噂の無双ボーイが、そんな初心だなんて思わなくてよお、イヒヒヒ……!」
本来ならむしろほっとしていいところだが――爆笑する黒髪とその取り巻きの姿に、クロのこめかみはビキビキと軋んでいる。
「では、改めて……僕の口から説明させてもらおう」
こほん、と咳払いするウェルズ。
「我々エリート倶楽部は、この名門エルミィスにおいて最古の伝統を誇る学園公認クラブだ。普段の活動内容は魔法の共同研究と発表会がメインだが、他クラブとの競技大会や校外でのボランティアなども行なっている。まあ『エリートの称号に相応しい活動』ならなんでもするといった具合だ」
「はあ」
「その名のとおり、誰でも入会できるわけじゃない。名門たる本校においてさらに選りすぐられたごく一部のエリートな生徒のみが入会を許される。魔法の力、知性に人格、そして――家柄もね」
「…………」
面倒な流れになってきた。
「マッティくん、先日の凶事における君の目覚ましい活躍については僕らも耳にしているよ。勇敢にも悪漢に捕らわれた級友たちを救い出したと」
「首謀者の偽教師どもを輪切りにして額縁に飾ったとか」
「闇の幻獣召喚して全員の脳みそ吸いとったって聞いたけど」
「森の半分クレーターにしたってマ?」
「もう原型がない」
「噂の真偽はともかく、君の級友のためなら自身の危険も顧みない崇高な精神を僕らは評価したんだ。君にはこのエリート倶楽部のエンブレムを背負う資格がある」
ウェルズが小さなバッジを差し出す。
開いた本に杖を組み合わせたエンブレムだ、よく見れば他の会員たちもおそろいのものを胸につけている。
「どうだい、マッティくん……僕らの仲間にならないか?」
顔を上げると、視界の端に険しい表情のポクハムがちらりと映る。
いかにも嫌そうな、忌々しげな――いや、
(……僕じゃない?)
視線の先はクロではなく、会長?
(まあ、よくわかんないけど)
ひとまずここまでの事情は呑み込めた。
いずれにせよ、クロの中ではすでに答えが出ている。
「僕は――」
「ちょっと待てよ、グリン」
横から割り込んできた声は、あのツンツン黒髪だ。ランゴとかいったか。
「噂が全部ガセだったらどうすんだって言ったろ? 一年坊に聞いた限りじゃ、基礎魔法すらろくに使えねって話だぜそいつ」
「よせ、ランゴ。本人の前で失礼だろう」
ずかずかと大股で近づいてくるツンツン黒髪。
「本人がここにいんだから、直接確かめてからでもいいじゃねえか。俺に試させてくれよ……こいつが俺らの仲間に相応しいかどうかよ」
クロの向かいに立ち、下卑た笑みを見せる。すっとクロに手をかざしてみせる。
(……なんだ?)
まさか、やる気か――?
クロは念力を体表に展開する。
「――〝クロフレッド・マッティ、動くな〟」
ツンツン黒髪の身体が魔力を帯びた瞬間、
「……っ!?」
視界が明滅し、すべての色彩を失う。
クロの身体はビクンッと波打ったまま、微動だにできなくなる――まるで神経が途絶したかのように。
(……しまった、油断した……!)
精神感応系能力――いや、催眠系の魔法か。
「やめろ、ランゴ! お前の魔法で問答を強いるなど、無作法にもほどがある!」
「ひひっ、グリンはおかてえなあ。気になる噂の真相を聞かせてもらうだけだっての」
やつの嘲笑が彼方かのように遠い。罵倒を返そうにも口が満足に動かない。
(くそっ……!)
「〝答えろ、マッティ。お前は――本当に偽教師連中を倒したのか?〟」
「ぼ、僕は……」
意思とは無関係に、口が勝手に動きだす。
(まずい、なんかいろいろバレるかも)
と、次の瞬間――
ずるっ。
「――っ!?」
なにかがクロのうなじをゾルッと撫で上げ、全身を悪寒が駆けめぐる。
(なんだ……!?)
慌てて首裏に手をやって、それから催眠が解けていることに気づく。
「――んっふっふっ。若いのう、青いのう」
その場の者が一斉に振り向く。
「誰だっ!?」
ウェルズ会長の声は、二階のギャラリーのほうへ向けられる。
「んふふ……名乗るには早いわな。紹介は来週と聞いておる」
手すりに座ってクロたちを見下ろしている人影――。
「……魔族か……?」
険しい顔でウェルズが呟く。
「儂はただの――しがない新任教師よ」
それは、頭に角を生やした幼女だった。
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