5. クラーケン焼き
マッティンガム激動の夜から三日が経った。
「……おおー……これが……」
準備は思ったよりもずっと早く整った。
「鍛冶師さんも、復興作業で忙しかったんじゃない?」
「いやいや、休憩時間の片手間で済んだって言うとりましたよ。坊ちゃまが具体的なイメージを伝えてくださったおかげでね」
クロと料理長の目の前にあるのは、半球形の窪みがたくさん入った鉄板だ。
「それと、こちらがご所望の品です。これも手に入れるのはさほど苦労せんかったですね」
どすっ、と重そうな横長の箱を調理台に載せる。蓋を開けると、
「うおおっ、すごい……」
中に入っていたのは、巨大なタコの脚。ロングソードかという長さにカモシカのようなみっちりした太さ。吸盤もクロのてのひらサイズでちょっぴり恐ろしい。
「リトルクラーケンの脚です。これでリトルっつーんだから、成獣はどんな化け物なのか……西の港湾都市ハスマータじゃあリトルクラーケンはわりととれるんで、わりとお値頃でしたわ」
「これ、凍ってた?」
「ええ、どこの市場でも氷結系の魔法使えるやつが一人や二人おるのが普通ですから」
「なるほど」
ともあれ、この一本で何人前がつくれるだろう。
「凍らせる前に向こうで下処理も――ぬめりとりと下茹でなんかしてもらっとります。そうしないとあたっちゃうんでね」
「うん、だいじょぶ。今日使うぶんだけ切り分けて、残りは冷凍室に保管しておこう」
「了解です。んで……こっからはどんな感じで?」
「よし、一緒に材料を検討していこう」
小麦粉、卵、牛乳、小ネギ……出汁の代わりはブイヨンを試してみるか。天かすはたぶん小麦粉を揚げればできるだろう。紅生姜はどうやってつくればいいのか。
前世では屋台のおじさんの手伝いをしていたので、材料はなんとなく憶えている。その材料の原材料まではわからないものも多いが、そのへんは十二年のこちらの世界の知恵と経験で再現していくしかない。
「……ここに、ぶつ切りにしたリトルクラーケンを入れて……」
「……周りに火が通ったら、串で生地を丸めて……」
料理長と一緒に汗だくになりつつ、熱々の鉄板と向き合うこと小一時間――。
「……で、できた……!」
「こ、これが……〝たこ焼き〟……!?」
船型の皿に盛り、ソースをかける。
――ついに完成した。
この世界でおそらく初めて誕生した〝なんちゃってたこ焼き〟だ。
「では坊ちゃま、さっそく試食しましょう……熱っ! はふはふ……」
「いただきます、はふはふ……」
フォークで一つずつ頬張る。
――熱々だ、はふはふ。
「ふう、こりゃあ……初めて食べる味ですが、イケますな……!」
「うん、おいしい……!」
表面はカリッとしていて中はトロトロ。リトルクラーケンはプリプリの食感で噛みしめるたびに濃厚な味わいが広がる。
「小麦粉ベースの生地を丸めて揚げ焼きするというアイデア……私もかれこれ二十年はシェフやっとりますが、こんな調理法は初めて耳にしましたよ。坊ちゃまはどこでこんな知識を?」
「いや、その……こないだプレイア行ったときに、異国料理の屋台で出てたんだ。どこの国かまではわかんないけど……」
「なるほど……それにしてもこの生地とこのソース、不思議と合いますね……ピリッと酸味がありつつ深みもコクもあって……」
「うん……ソースもかなりいい感じだと思う」
実はこのソース、メイの里帰りのお土産の品だ。曰く「一族秘伝のブラックソース」とのこと。ひと舐めして驚いたことに、その味は前世で体験したたこ焼きソースと瓜二つだったのだ。おかげでたこ焼き感はかなり増大されている。
「初めての試作品にしては上々の出来だね。でもまだまだ、もっと本物に近づけていきたいなあ」
「こんなにうまいのに、まだ完成じゃないんですね。私も完成品が楽しみになってきますわ」
他にも紅生姜、青のり、鰹節、マヨネーズ……足りないものは山ほどある。代用品でもいい、一つずつ具材を揃えていかなくては。
「はふはふ……確かにおいしいですね」
「…………」
「…………っ!?」
思わず飛び上がりそうになるクロ。
いつの間にかメイが隣にいる、たこ焼きを一つつまみ食いしている。まったく気配を感じなかった。
「うちの一族の秘伝ソース、パスタに絡めて炒めたり揚げ物にかけてもおいしいんですが、この丸いやつにもぴったりですね」
「そ、そうだね……」
「坊ちゃま考案の料理でしょう? いわばマッティ家とディルル家の合作……やはり運命というのは抗えないものなんですね。完成の暁には『坊ちゃまの金玉焼き』と名づけましょう」
「ちょっとなに言ってるかわかんないです」
なにをしに来たのだろう。
「坊ちゃま、お料理に夢中で稽古の時間をすっかりお忘れだったご様子で」
「……あ」
先日の襲撃事件から丸二日をベッドですごした。復帰早々に稽古再開という地獄のような話をすっかり忘れていた(脳が拒絶していた)。
「料理長さん、坊ちゃまを返していただきますね。さあ坊ちゃま、お部屋に戻ってお着替えを」
「ああ、ああ……料理長、また相談させて……一緒にたこ焼きを完成させよう……」
「ええ、坊ちゃま……ご武運を……」
料理長に憐れみをこめて見送られながら、クロはずるずると引きずられていった。
***
メイの運動着であるジャージに似た服は〝ジャンジー〟という。彼女の一族にまつわる伝統的な服装で、実家では運動着に限らず部屋着やパジャマとしても愛用しているそうだ。
(着心地はいいんだよな、確かに)
クロも剣術の稽古などの際は、師匠であるメイの言いつけで同じものを着用している。言われてみるとサイの記憶が戻る前も既視感のようなものを覚えていたが、研究所で訓練の際に着ていた二本線入りのジャージとよく似ていたからだろう。
「坊ちゃまは先日魔法の才能を開花されたとのことで。私はまだ見せてもらっておりませんが。私はまだ見せてもらっておりませんが」
「なんで二回言ったの?」
今度こそ「鑑定士が来るまで使うな」と父に厳命されてしまったので、メイにはまだ披露していない。実際はこっそり慣らし運転を進めているところだが。
「そうとなれば、剣術の稽古はいったん保留という形としましょう」
「マジ!? やった!!」
メイ自身は剣士ではないが、「ナイフも剣も切れる板に変わりません」と実際にこの街の剣士を根こそぎ倒してしまったため、次期当主の剣術の師匠の座は彼女のものとなった。今思えばそれがスパルタ修行の始まりだった。
マッティ家次期当主として、ツィーガル屈指の剣士であるアシュフォード卿の令息として相応しい剣の腕を身につけさせようというメイの親心では――というのは都合のいい解釈で、実際はお気に入りの玩具のように面白おかしく扱われているだけではとクロは常々疑っていた。
「あれ、じゃあ……なんでジャンジーに着替えたの?」
「剣術の代わりに、今後は体力向上訓練をメインに行ないます。魔法を扱うには魔力だけでなく体力も重要になりますので」
「ああ、ランニングとか筋トレか」
以前にも何度かやらされたメニューだ。きついはきついが、木剣でしばかれるよりはマシだ。
「わかった、超――魔法のためにがんばる! どんとこい!」
「では今日は、マッティンガムを十周します」
「一周何十キロとかなんだけど」
これまでも市街地での稽古や訓練はたびたび行なわれており、辺境伯令息が珍妙な服装で侍女にしごかれる姿は街の風物詩となっている。
「あ、クロ様だ! めっちゃ走ってる!」
「坊ちゃまー! がんばってー!」
声援はありがたいが、あいにく応じる余裕はない。
「メイちゃーん! 結婚してくれー!」
「お断りします」
後ろから木剣を担いだ脳筋メイドが追いたててくるからだ。
「坊ちゃま、魔法に目覚めたってほんとなの?」
「俺見たぞ! こないだの化け物、坊ちゃまがすんげえ魔法で退治しちゃったんだよ!」
「私も見たわ! ビュンビュンッて飛び回ってかっこよかったの!」
「飛べるならなんで走ってんだ?」
「それな」とクロ。
「坊ちゃま、ペースが落ちています。お尻の穴に木剣が刺さってもよろしいので?」
「尻穴は嫌だよう」
剣術よりマシだというだけで、別に走るのが得意というわけではない。ほどなくしてペースが落ちてくる。
「坊ちゃま、もうお疲れですか? まだ中継ポイントの東門まで半分以上ありますが」
「うぐっ、はひっ、はひっ……」
額にびっしりと汗が浮かび、舌が出て喉がぜひぜひ鳴りはじめる。すでに辺境伯令息としての威厳のかけらもない姿ではあるが、このままでは尻穴に最悪の屈辱を迎えてしまう。
(くそっ、尻穴は嫌だ……でも負けたくない……そうだ)
さっき誰かも言っていたではないか。
「……メイ、これならどう?」
走れぬなら、飛べばいい。
身体に念力を纏い、石畳を弾くように蹴る。ボヒュッ! と空気を裂いて一気に加速。通行く女性がその風に「ひゃっ!」とスカートを押さえる。
「――ほう、それが坊ちゃまの魔法、ですか?」
「ぎょっ!?」
念動力による高速走行に当たり前のようについてくるメイ。汗一つかかず。
「なるほど……魔力で地面を蹴るようにして推進力を得ているのですね。なかなかのスピードです」
まだ全力ではないとはいえ、走らない相手に追いつかれるのは超能力者の沽券に関わる。
「なら……僕を捕まえてみろっ!」
スピードを上げ、歩道の人混みの中を縫っていく。「わっ!」「きゃっ!」と少々混乱が起こっているが、次期当主の尻穴の平穏のために勘弁してもらいたい。
「なかなか使いこなせていますね、まだ目覚めたばかりというのに」
それでも平然とついてくるメイ。通行人の頭を跳びまたぎ、上体だけ倒して柵を滑り抜け、しかも露店の八百屋からリンゴを一つかすめとってかじる余裕すらある(しかも銅貨を店員の手に残していった)。
「なら――」
クロは足を踏ん張り、建物の屋根まで跳躍する。屋根裏の出窓のところで丸くなっていた野良猫が驚いて逃げていく。
「へへ、ここまで来れば……」
「…………」
「…………」
「……捕まえ、たっ」
後ろから抱きすくめられるように、首に木剣を回される。
(ここまで駆け上がってきたのか……?)
魔法も、ましてや念力も使えないのに。
このデタラメなスピード――実験体随一の高速機動を誇った88号ハヤテと互角、あるいはそれ以上か――?
「坊ちゃまの魔法は、魔力をそのまま物理的に干渉させているようですね。先ほどの高速走行や飛行はその応用でしょうか。まあ、『坊ちゃま空を飛ぶ』という報告書は閲覧済みでしたので、私も想定しておりました」
想定できても普通は対応できるものか。改めて人間業ではない。
「それにしても……襲撃で頭を打った拍子に目覚めたとのことですが、たかだか数日とは思えない熟練度です。まるで……私が里帰りする前の坊ちゃまとは別人かのように」
「…………」
彼女の指が、クロの首筋を撫でる。訓練の前に膀胱を空にしておいてよかったとクロは思う。
「え、えっと……」
「……まあ、私がこれまで手塩にかけて仕込んできた教育が開花した、ということでしょうかね。『男子三日合わざればグリフォンも倒さん』と故郷のことわざにもありますし」
「普通は無理だと思うけどグリフォン……」
果たして前世の、全盛期の出力を完全にとり戻せたとしても、
――メイに、勝てるだろうか。
確実に勝てる、という自信は確実にない。少なくとも味方でよかった、とクロは心底思う。
「さて、旦那様の言いつけを破った件は内緒に……はできませんね、目撃者が多すぎますから」
「あうう」
「ではランニングを続けましょう。がんばってください、尻穴を守りたければね」
「尻穴は嫌だよう」