49. 念火炎(サイコブレイズ)
幼少期の実験体は知能も感情も未発達のため、「拳銃を握らせた幼稚園児」と危険度としては変わらない。
ゆえに研究所の大人たちは、彼らを外部から制御する術を模索せざるを得なかった。
脳内の〝窓〟によって発現する超能力を根本から封じる手立ては、「脳を直接いじくる」外科的手術以外にはないとされていた。
しかしそれでは元々の能力を著しく損なう本末転倒になりかねなかった。
試行錯誤の末、研究所所長が自らの手で生み出したものが〝キンコジ〟と呼ばれる安全装置だった。
大陸の古典文学から名を借りたそれは、脳内に埋め込まれたマイクロチップだった。
催眠や暗示に関わる脳の前頭前野に特定波長の音波を浴びせることで、研究所の大人たちに対して疑念や反抗心を抱かせない洗脳装置だ。
またそれは、万が一のときの安全装置も兼ねていた。
意にそぐわない思考を見せれば、大人たちの指先一つで廃棄できるように――。
そうして研究所の少年少女は超能力の使用を徹底的に管理制御され、反抗の意思すら持てないように教育された。
すべては東亜国の繁栄のため、世界の平和のため、なにより少年たち自身の未来のためと――。
世界最強の超能力者と謳われたサイもまた、そんな呪縛を疑いもせずに生きていた一人だった。
「――自由に生きて」
〝お姉さん〟によって枷が外され、研究所から逃げ出すまでは――。
魔法基礎学の授業によれば、使用者の感情の起伏は魔法の効果に大きく影響を与えるという。
怒りや憎悪といった感情は攻撃魔法の威力に影響を与え、悲嘆や絶望は魔法そのものの発動に支障をきたす。
過度な高揚状態はよくも悪くも使用者の意図すら超えた事象を引き起こすことも――。
故に大切なのは、常に精神を平静に保つこと。
それが安定的で再現性の高い魔法につながる――魔法使いを志す者にとっては最も大切な教訓の一つだ。
「……お前らみたいな大人がいるから……」
そしてそれは、〝窓〟の力――超能力にも通ずる。
超能力者の精神状態は念力の出力や精度などに影響する。
〝窓〟と脳のチャネリングの不安定化だの脳内分泌物との反応だのと推論されていたが、とにかく数値として立証された事実だった。
「……お前らが、俺たちの未来を奪うなら……!」
思えばこの日、クロは感情の抑制を強いられてばかりだった。
拘束されたクラスメートたちを目撃したとき、自身にクロスボウを突きつけられたとき。
コヨヨがいたぶられている状況には一瞬我を忘れさせられた。拉致されたライナー、首謀者が信頼を置いていた教師たちだったという事実。我慢のメーターがいつ振り切れてもおかしくはない状況だった。
そして――グルソンが吐いたセリフは、少年の前世と今世を同時に踏みにじるものだった。
激情がぷつりと最後の糸を断ち切った。
視界を赤く、その身体を青く染めた。
「――全部、壊してやる」
迸った念力光が波紋状に広がり、あたりを薙ぎ払うか突風を引き起こす。
それは、肌を焼くほどの熱風だ。念力光に触れた枯れ枝や落ち葉が、ジッ! と瞬く間に焼け焦げていく。
「熱っ……! これは……火炎魔法……!?」
グルソンのニヤケ面が引きつり笑いに変わっている。
「君……火炎魔法できないって聞いてたんだけど……!?」
周囲に展開したベーグルが、グルソンの挙手の動作に呼応してギュンッと高く飛び上がる。
「こりゃあ、生け捕りは難しいか……〝天使の殺戮輪〟!!」
無数のベーグル光輪が肉食魚のように襲いくる。
「ひゃははっ! しょうがないから、輪切りになってよっ!!」
クロはそれらに向けて手をかざす。
「――念火炎」
チリッと空気に火花が奔った瞬間、
ボォンッ!!
ベーグル光輪がことごとく爆炎に包まれ、パラパラと炭になって降り注ぐ。
「……嘘でしょ、なにその火力……!?」
グルソンが驚愕して後ずさる。
(できちゃったな……火炎能力)
46号ホムラの十八番、念力で炎を起こす能力だ。
(あいつの言うとおりだったな)
火炎能力はパッションだ熱盛りだと彼はよく言っていた。
念力を、激情を媒介に熱エネルギーへ位相変化させる――クロ自身も原理はわからないがそういうことらしい。
安定性と平常心を重視する念力運用において真逆のそれが真理だったとは、ホムラの言葉足らずをもっと咀嚼してやればよかった。
「やっぱ食材だな、よく燃える」
ベーグルのおかげでここに到達できた。一ミリくらいは感謝してもいいかもしれない。
「い、いやいや……確かに火炎系は相性悪いけどさあ……並みの上級魔法じゃ焦げ一つつかないくらい強化してるんですけど……」
「全然食い足りねえよ。俺を殺りたきゃ、あと千枚持ってこい」
「た、食べものを……食べものを、粗末にするなぁーー!!!」
それはお前だろというツッコミはともかく、グルソンは怒りに任せて大量のベーグルを展開する。
(懐かしいな、この感覚)
感情の臨界を超えたことで、全盛期の力がその片鱗を覗かせている。
身体が出力に耐えられず、皮膚がピリピリと端から破れている。
「念火炎――」
両手を広げる。
「――壁」
轟音とともに、爆炎の壁が空高く立ち昇る。
一瞬にしてベーグルは消し炭と化し、熱風を巻き込んだ念力の波動が木々を薙ぎ倒す。
爆煙が晴れたとき――地面には底の見えない亀裂が刻まれている。
「…………」
呆然と立ち尽くすグルソン。
「ふう……コントロールが難しいな」
首を傾げて手をにぎにぎするクロ。
「これが君の、全力……!? ば、化け物……かよ……!?」
「まあ……これで半分くらい、かな?」
全盛期の。
「……なんだよ……なんなんだよぉ、お前ぇーっ!?」
絶叫するグルソンへ向けて、クロは両手を前にかざす。
「なにって――」
貝のように上下に合わせる。
全身に纏っていた、あふれるほどの念力が、
その両手に集約されていく。
「…………!」
かつてない危険を察知し、グルソンはベーグルを引き戻して防御魔法を展開する。
「俺は、超能力者だよ」
てのひらが開いたとき、
凝縮された青い光が、地平線上の暁光のように瞬く。
「――念弾」
放たれた閃光は防御魔法を貫き、
グルソンの腹に突き刺さる。
「ごはぁっ――――!!!」
吹っ飛ぶグルソン、同時にふっと力を失って地面に落ちるベーグル。
「す、彗星型の、光弾魔法……!? 嘘、だろ……僕の多重〝獅子の防壁輪〟が……!」
クロは半ば足を引きずって近づいていく。
身体の節々が痛む、頭はそれ以上に痛む。無茶な出力の代償だ。
「ぐふっ……ふふ、ふふ……穴が空いちゃったよお、これで僕もベーグルだぁ……」
仰向けに倒れたグルソン。腹の傷口から血が滲んでいる。
「これは上がるねえ……揚がったらドーナツだけどねえ……だけど、僕はまだ……」
ぐぐっと上体を起こし、周囲に落ちているベーグルを動かそうとする。
「…………っ!?」
「魔法、使えないでしょ」
しかし、ベーグルはびくともしない。文字どおり魔法が解けたかのように。
「その土手っ腹にぶち込んでやったんだよ。あんたらが用意したクソみたいな石……なんたっけ、フウマセキ?」
ローミィかネチスの手錠の石を、先ほどの戦闘の途中で拾ったのだ。これを撃ち込む機会をさぐっていたのだ、結局怒りに任せたゴリ押しになってしまったが。
「っ!!」
慌てて自分の腹をえぐろうとしたグルソンの手を、クロの念動力が押さえつける。
「ぐっ、うえっ……気分悪くなってきた……君さあ、これ持ったまま僕と戦ってたの……? いろいろとおかしくない……?」
「さあね、〝異色の魔法使い〟だからじゃない?」
「そうじゃ……ないんじゃない……? チョーノーリョクシャ、ってなに……?」
「あんたの質問のターンは終わったんだよ。さあ、案内してもらおうか。ライナーくんたちを連れてった場所に」
そのために、殺してしまわないように注意を払って戦っていたのだ。苦労した甲斐は返してもらわなければ。
――と、
「…………?」
聞こえた――彼方からの声が。
「……なんだ、狼……? 森狼……じゃない……?」
そう、狼の遠吠えだ。
「帰ってきたな……うちの狼が」
彼女の遠吠えを聞くのは何年ぶりだろう。よほどのことがなければ彼女はそれをしないのに。
(僕に帰還を知らせるためか?)
グルソンは意味を悟って苦笑し、仰向けに倒れ込む。
「ここまで、だなあ……何人攫えたかなあ……? まあ、逃げきっちゃえばこっちのもんだし……」
「逃げきれると思ってんのかよ? いいから場所を――」
「あのねえ、マッティくん……僕たちには協力者がいたんだ」
「は?」
「その人が……がっ……」
「え?」
「ぐぇっ、ごぁっ……!!」
「お、おい!」
突然グルソンが悶えだす。ガクガクと頭を震わせ、血走った目を見開き、必死に呼吸を求めるように舌を突き出している。
「これは……!?」
その口の奥が光っている。気道をふさぐかのように金色の魔力光があふれている。
「おい、先生!」
「かひゅっ……くふっ……」
震える手が懐を漁り、
「この、輪の……よう、に……」
とり出したのは、やはりベーグルだ。
「世界、に……平、等……を……」
その手が力なく地面に落ちたとき、
グルソンの目から光が失われていた。
「……くそっ……!」
いったいなにが起こったのか。ライナーたちの居所も明かさないまま、グルソンは死んでしまった。
(協力者がいるって言ってたな)
そのとたんになんらかの魔法が発動し、グルソンを死に至らしめたのだろう。まるで口封じかのように――。
(……まさか、クライスと同じ?)
父から聞かされたクライスの顛末とそっくりだ。協力者の正体を明かそうとしたときに魔法によって命を奪われた――まるで呪いだ。
(マッティンガムの件と……まさか同じやつが……?)
――いや、考えるのは後回しだ。クロは立ち上がる。
(だけど、どこをさがせば……)
メイが戻ってきているのはなにより心強いが、彼女と二人で闇雲にさがすにしても、この森はあまりに広すぎる。
(逃げきる自信があったのか?)
なにか算段があるのだとしたら、もう一刻の猶予もない。
急がなくては――
ゴォ――ン……ゴォ――ン……。
遠くから重い音が聞こえてくる。
(……鐘の音?)
普段の休日は鳴らないし、特別授業の終了時間の合図――だとしても、まだ先のはず。
というか、どこか普段と音色が違う気がする。
なにが、とあたりを見回したとき、
「…………?」
ふと、目が合った。
大きな兎が、くりっとした目でクロを見つめている。
(……なんか、見憶えが……?)
その兎の姿形は、クロのローブのエンブレムに描かれたそれとよく似ていた。
特別授業編、次回決着です(たぶん)




