44. 戦士殺し
なにか嫌な予感がした、ただそれだけだった。
己の直感に忠実に、あるいはそれを口実に。
そうしてメイは、退屈極まりない新任教師の講習会を(体調不良を装って)中座し、守るべき主君の待つエルミィスへと走った。己の足で。
「せ、先生たちが生徒を攫ってるんです!」
「人攫いの集団が森に入ってきてる! こいつらが雇ったって!」
「たすけてー! ししょー!」
こぞって主張する主君の級友たち。
「そうですか、承知しました」
メイは事もなげにそう答え、他者には目にも留まらぬ速度でナイフを抜き放つ。ナックルパートつきの逆手ナイフだ。
「ちょま!☆ ちょっと待ってディルル先生!☆」
慌てた風にてのひらをぶるぶるとしてみせるスバル・ディリス先生。
「なにか誤解があるんじゃないかな!?☆ 吾輩が人攫いなんて……子どもたちの戯言を真に受けるとは――」
「傷だらけ泥だらけの生徒たちの悲痛な声を戯言と切り捨てることは、講習会で教わっておりません」
「これはその……☆ ちょっと教育的指導というか……☆ 吾輩たちもちょっと熱くなってしまったというか……☆」
「そこで息も絶え絶えになっている先輩教師は、明らかに私を殺害する意図を持って魔法を行使しました。諸々の状況を鑑みるに、彼らの主張には一定の信憑性があるものと判断します」
「そうか……☆」
弁明を諦めたのか、ディリスは肩を落とし、
「それじゃあ、しかたないね……☆」
――ニチャリと禍々しく笑い、バッと自身のローブと上着をむしりとる。たくましい裸の上体が露わになる。
「魔法学園の人気教師とは世を忍ぶ仮の姿!☆ 某人身売買組織の上級工作員、現在の名はスバル・ディリス!☆ 不可抗力的身バレにより、やむを得ずメイ・ディルル教諭と交戦を開始します!☆」
そしてビシッとポージング。
「……事情はわかりませんが、残念です。坊ちゃまのお相手をしてくださったあなたが、まさかそのような下賤な身分を隠し、度し難い凶行に手を染めようとは」
「吾輩たちの目的は金の卵……もとい魔法使いの卵の乱獲さ☆ あなたのお坊ちゃまも吾輩の天才的な指導のおかげで見違えるほど成長したしね☆ 異色の魔力を差し引いても、結構な値がつきそうだ☆」
「…………」
――ここはもはや戦場で、今は敵前だ。
激情と憎悪を楽しむのはすべてが終わってからでいい。
「ブラホルンの教師連中を抱き込んで講習会をセッティングし、あなたをねじこんだのはそこにいるレイニー氏だ☆ あなたの突然赴任してきたときから、計画の最大の障害になるのは目に見えていたからね☆」
今日の講習会はほとんど名ばかりの、「新人教師を集めて先輩教師がくどくどと自慢話や説教に明け暮れるだけの不毛な会合」だった。
年に数度そういう機会が設けられるとのことで、そうと知っていればメイも断ったが、「新人は必ず顔を出してくるように」と背中を押したのは他ならぬレイニーだった。
(クライス氏のときと同じか)
二度も同じような罠にハマるとは。己の不甲斐なさに腹を切ってしまいたくなる。
「だが……☆ 心のどこかで吾輩は、あなたが戻ってきてくれるのを願っていたよ☆ あなたに決闘を挑みたくて、そのためにあなたの坊ちゃまのご機嫌とりもしたんだが……結局任務を優先せざるを得なかったんでね☆」
「やはり、私との手合わせを望んでいたんですね」
主君はなにやら勘違いしていそうだったが、嫉妬心が芽生えてくれれば儲けもの、とあえて訂正はしなかった。
「私に勝てると思っているのですか?」
「当然さ……☆ 組織での吾輩の異名は――〝戦士殺し〟ッ!!☆ 他の誰が勝てなくても、吾輩だけが〝黒曜狼〟のメイ・ディルルを殺せるッッ!!☆」
「そうですか」
勝負にも腕くらべにも興味はない。
時間が惜しい、とメイが一息に斬りかかった瞬間、
「――極硬装甲魔法」
パキィンッ! と甲高い音とともに、
(なに――)
ディリスの腕を断つはずだったメイのナイフが、半ばで折れる。
「――せっかちだねえ☆ そんなに吾輩がほしかったのかい?☆」
拳が振り下ろされる。メイの残像をすり抜けて地面を叩く。ゴッ! と地面が割れて陥没する。
「…………」
土埃の中に、大男が立っている。ディリスに違いはないが――異様な姿へ変貌している。
剥き出しの肌が、すべて銀色に煌めいている。割れた顎が釘抜きのように尖っている。目はストラップなしのゴーグルを直接はめ込んだかのような形状だ。
「これぞ絶対防御の究極形態☆ メタル吾輩、見参ッ!!☆」
ムキッと背筋を見せつけるポーズ。構わずに追撃しようかと逡巡したメイだが、いったん様子を窺うことにする。
(肉体強化系の上級魔法か)
タスマスク鋼製のナイフが折れるとは。見かけ倒しということはなさそうだ。
「説明せねばなるまい!☆ 極硬装甲魔法を発動した吾輩は、全身にアダマンチウム合金級の強度を獲得する!☆ すなわち地上最強金属に匹敵する防御力を発揮!☆ いかにディルル氏の攻撃が獣牙のごとく鋭かろうと、吾輩にとっては無意味無意味ィ!!☆」
「そうですか」
敵の発言を鵜呑みにする意味はなく、己の手で確かめねばならない。
メイは再び音もなく間合いを詰める。
ギャギャッ! と折れたナイフでディリスの胴に×字を刻む――はずが、やはり傷一つついていない。
「シィッ!」
短い呼吸と同時に腹部に掌打。拳を使わないのは相手の硬度の確認が済んだためだ。「んんっ!☆」とディリスの身体がほんのわずかに後ずさるが、
「無駄っ☆ ですっ☆ よっ!☆」
ディリスがリズミカルに拳を返す。大振りながら戦士顔負けのキレとスピード、明らかに体術を学んだ者のそれだ。
メイはスレスレに躱し捌き、カウンターを腹に叩き込む――が、やはりびくともしない。
「最強の拳ぃ!☆ 片腹痛しぃ!☆」
「そうですか」
メイは相手の拳に合わせて半身を捻り、膝裏に蹴りを叩き込む。常人であれば膝が砕ける一撃だが、これもノーダメージ。下半身ばかりか関節まで魔法で守られている。
「はぁっ!☆ 吾輩ズ・グレートソード!!☆」
手刀の横薙ぎが唸りをあげ、メイの背後の木を一撃で斬り倒す。
「からのっ!☆ 吾輩ズ・グレートクラブ!!☆」
ディリスはそれを鷲掴みにし、棍棒のように振り回す。嵐のような唸りをあげて周辺を蹴散らしていく。
「ちっ」
メイの脚が、木を蹴り上げて粉砕する。
と同時に、
それを読んでいたかのように、ディリスが眼前に迫っている。
「捕まえ、た☆」
メイの肩と腰に腕を回し、
抱きしめるように、グシャッ! と潰した。
「「先生っ!」」
「ししょー!」
生徒たちの悲鳴が響く中、
「…………なに?☆」
ディリスの手の中にあるのはひしゃげた肉塊――ではなく、体温の残るジャンジーのみだった。




