43. レイニー先生
城をめざして森を駆けていたローミィとネチル。
だが、
「うわっ!」
「きゃっ!」
物陰から飛び出てきた人と正面からぶつかりそうになり、ザザッと踏み込みながら足を止める。
「おっと、危ない」
「あ、レイニー先生!?」
蝙蝠傘を差した眼鏡の男、レイニー先生だ。
「君たち……ビジャット組か。その子はどうした? というか、五人じゃないのか?」
太い指がネチルに背負われたコヨヨを差す。彼女はまだ目を覚ましていない。
「も、森に危ないやつらが入り込んでるんです! 武装して生徒を攫おうとしてて、あたしたちはコヨヨを連れて城に戻るとこで……」
「グ、グルソン先生だ! あいつが人攫いのやつらと結託してる! 早く校長先生に知らせないと!」
「落ち着きなさい。グルソン先生がそんな……なにかの間違いじゃないのか?」
「でもほんとに、あたしたちを攻撃してきたんです!」
「うちの班のクロフレッドが食い止めてくれて……」
「……わかった。私もしばらく巡回していたんだが、生徒の姿をとんと見かけなくなってしまってね。なにかトラブルでも起こっているのかと……とにかくその子を医務室へ連れていくのが先決だな、ついてきなさい」
先に立って歩きだすレイニー先生。二人は互いにうなずき合い、彼のあとに続く。
あれだけのことが起こっているというのに、森の中は異様なほどに静かだ。コヨヨのような耳を持たない二人にとって、その静けさが余計に不安を掻き立てている。
「……あ、先生」
「ん? どうかしたか?」
「いや……方向って合ってますか?」
「ああ、問題ないと思うが……コンパスを確認しよう。そういえば君たち、コンパスを持ってないようだね?」
「あ、それは……」
「この受信器で生徒の居場所をさがしていたんだけど、さっきは君たちが急に現れてびっくりしたよ」
レイニー先生がとり出したのは、グルソン先生が持っていたものと同じ道具だ。ローミィとネチルは必然的に身構えてしまう。
「その……先生は――」
と、
ガサッと前方の茂みが揺れ、ローミィたちに緊張が走る。
「――んん?☆ 君たちは……☆」
「スバル先生!」
ぴょこっと顔を出したのは金髪の顎割れ男、スバル先生だ。
「おお、レイニー先生☆ そっちは……セリッズ少女とクライネ少年、それにシルヴァニア少女……はだいじょぶかい!?☆」
「先生――」
「ああ、私が説明しよう。少しだけ待ってくれ」
二人の教師が少し離れたところでひそひそと言葉を交わしはじめ、二人の生徒は焦りでそわそわとしはじめる。
「……あのふたり……」
と、後ろからかすれた声がして、
「コヨヨ――」
「お前、目ぇ覚めたのか――」
二人の反応を、コヨヨはその切迫した表情と目で遮る。
「あのふたり……においがするです」
「え?」
「……血のにおい、です……」
「「…………」」
無言で向こうの二人の背中に目をやるローミィとネチル。
それから互いに目を合わせると、互いの顔に「まさか」と書いてある。
コヨヨの勘違いという可能性もあるし、血のにおいだけで黒と決めつけられるものでもない。
いろんな疑念や憶測や恐怖が綯い交ぜになり――
「……どっちにせよ……」
「……あ、ああ……!」
教師二人がひそひそとしているうちに、ローミィとネチルは足音を忍ばせて後ずさり、
「……ん?☆」
彼らが振り向いた瞬間、踵を返して走りだす。
「なっ、なあっ!? でもそんなわけないよなっ!? スバル先生は俺たちの寮監で――」
「いいから! 城まで逃げるのよ!」
そんなことはありえない。そう信じたい。
けれど、あのグルソンが敵だったのだ。他の教師が仲間だったとしても、不思議ではない。
いずれにせよ、城に戻って誰か他の先生に事態を伝えれば――
「――加重の雨よ」
と、
「――雨?」
パラパラと水滴が落ちてくる。ローミィが顔を拭おうとした瞬間、
「っ!?」
ずしん、と身体が重くなり、ベシャッと地面に滑るように倒れる。
「なん、だ……こりゃ……!?」
「おも……です……!」
ネチルとローミィも同じように地面に這いつくばっている。
身体が重くて起き上がれない。どんどん重くなってくる――この雨に打たれれば打たれるほど……?
「……どこに行くんだい?」
頭上から声と、雨が傘を叩く音がする。レイニー先生だ。
「ちょっ、レイニー氏☆ 魔法を止めてくれ、吾輩もそっちに行けない☆」
「男前は水が滴ってナンボと言っていなかったか? まあいい、生徒たちも苦しそうだからな」
と、雨が止む。すると身体も軽くなる。
(今の雨……レイニー先生の、魔法?)
水滴を浴びた者の身体を重くする魔法?
「――どこに行くんだい?☆」
「え――ぐぅっ!?」
スバル先生の太い腕が、ローミィの襟を掴んで引き起こし、そのままぐるんと首に腕を巻きつける。
「ひどいじゃないか、セリッズ少女☆ そんな風に女性に逃げられるなんて、吾輩のプライドがちょっぴり傷ついちゃったぞ☆」
「ぅう……離して……!」
「ローミィ!」
身を起こしたネチルの前にも人影が立ちはだる。レイニー先生だ。
(こうなったら――)
ローミィがすっとスバル先生の顔にてのひらを向ける。
「ん?☆」
「……ぁあっ……!」
てのひらから光弾が放たれ、バチィッ! と顔面に直撃。「うおっ!?☆」と拘束が緩んだ隙に強引に抜け出す。
「……んー、やれやれ☆ 吾輩のハンサムが台無しになったらどうしてくれるんだい?☆」
しゅうう……と魔力光が散ったあと、スバル先生は自慢の割れ顎をさする。顔には傷一つついていない。
「先生たちも……グルソン先生とグルだったんでしょ……!?」
「いやはや、どうして気づかれたんだろう?☆ ボロは出してないつもりだったが☆」
信じたくはなかった。
三人とも――この授業に関わる教師全員が首謀者だったのだ。
すべては生徒を攫うためにこの三人によって仕組まれた計画だったのだ。
「ふざけないでよ……ずっとあたしたちを騙してたんでしょ……!」
教師二人は視線を合わせ、揃って苦笑を浮かべる。
「ああ、今日で教師ごっこも終わりだねえ☆」
「スバル、収穫のノルマは達成している。最後にこいつらを連れて帰るとしよう」
「というわけで、吾輩を尊敬する少年少女よ☆ おとなしく我輩たちへついてきてくれないかな?☆ 弱い者を傷つけるのはあまり好きじゃないんだ☆」
「ざざざざけんなボケ勧誘したけりゃパンフと菓子折り持って事前にアポ入れて懇切丁寧に説明してから何度もペコペコ頭下げて誘いやがれ図体と筋肉しか成長してねえじゃねえか胎児に戻って脳みその栄養とり直してこいやムグッ!」
レイニー先生がネチルの口を鷲掴みにする。
「私はあまりお喋りが好きではないんだ。会話は雨と風とで間に合っている」
細身のくせにすごい腕力だ。ギシギシと骨の軋む嫌な音がして、すぐさま涙目になるネチル。
「はあ……これでようやく子守からも解放される。うんざりだったよ、お前らのような無知で下品なガキどものキャンキャン声に耳を煩わされるのも――……?」
言葉の途中でその手がふっと外れ、解放されたネチルは後ろによろける。
レイニー先生は驚いたように自分の手を眺めている。手首から先が、まるで関節が外れたみたいに、不自然にぷらんと垂れ下がっているのを。
「おかしいですね、本校はいつから体罰容認となったのでしょうか?」
「えっ!? ――」
「――――っ!」
レイニー先生は傘の下に身を隠しながら、
「爆轟の雨よっ!!」
どん、と胸を突き飛ばされるネチルとローミィ。
直後に降り注いだ雨粒がボボボボボッ!! と爆ぜる。「ひぃっ!」と二人はコヨヨを庇いながらうずくまることしかできない。
「「…………」」
爆音が止んだとき、
「……なるほど、これがレイニー先生の雨魔法ですか」
しゅうしゅうと煙をあげる地面の真ん中に、彼女が立っている。
「自らをあえて範囲の中心にして魔法効果を上げる制約……とお見受けしますが、ご自分が傘になった気分はいかがですか?」
「か、は……」
傘代わりに頭上に掲げられたレイニー先生が、ぽいっと地面に投げ捨てられる。自身で生み出した雨の爆弾を全身で受け止め、ほとんど黒焦げになっている。
「……まさか、こんなに早く帰ってくるとは……☆」
スバル先生は苦笑を浮かべている、顔中を汗まみれにしながら。
「せ……」
「先生……!」
「ししょー……!」
「坊ちゃまの行方を尋ねたいところですが……まずはこの状況を理解する必要がありそうですね」
いつものジャンジーを身に纏ったメイ・ディルルは、
「ああ失礼、その前に酸素補給を……たくさん走ってきたので」
懐からとり出したクロフレッドのハンカチを鼻に当て、思う存分吸い込んだ。




