2. クロフレッド・マッティ
「――ああ、セシア! よくぞ無事で!」
襲撃者のボスが倒れて間もなく、辺境伯軍の兵士たちが増援に駆けつけた。その中には最高指揮官である辺境伯アシュフォード・マッティの姿もあった。
「ああ、あなた……」
「その火傷、なんと痛ましい……おのれ、忌々しき蛮族どもめが……!!」
猛禽類を思わせる鋭い目に憎悪の炎をたぎらせ、盛り上がった胸筋でバリバリと襟を破ると、投降した襲撃者たちが震え上がる。
「あなた、落ち着いてください。そんなことよりクロフォードが……」
「そうだ、クロ。お前も無事でなによりだ。俺の命よりも大事な息子よ……」
「ち、父上……もったいないお言葉でうぐ……」
たくましい胸筋に抱きすくめられて呼吸が止まりかける。
「そちらで伸びている魔法使い、私では手も足も出なかったのですが……」
ミセッリという火の魔法使い、かろうじて生きてはいたが、意識は戻っていない。白目を剥いたままその四肢をかたく拘束されている。
「その者を討ったのはなにを隠そう、クロフレッドだったのです」
「なに!?」
高い高いの状態のまま、父に凝視される。
「そ、そうです! 俺も見ました!」
「クロフレッド様が、魔法で!」
「バビューンッてぶっ飛ばしちゃって! すごかったですー!」
兵士や従者や侍女がこぞって証言を重ねる。
「どういうことだ、セシア? この子には魔法使いの素質は……」
「確かに、以前鑑定してもらったときはそうでしたが……」
(魔法じゃないんだけ、ど……あれ……?)
急にめまいがして、足がふらつく。立っていられない。
母の腕に抱きとめられたが、頭が重くて鈍い。目を開けていられなくなる。
自分を呼ぶ両親の声を頭上に感じながら、クロは真っ暗な無意識へと落ちていった。
***
ツィーガル辺境領は広大な帝国領の北端にあり、北のボロッサの民を含めた複数の勢力と断続的な衝突を繰り返してきた。
その領土の中枢であるマッティンガムは堅牢な壁に囲まれた広大な城塞都市として、外敵に睨みを利かせる国防の要を担っている。
「おお、セシア! 朝日に煌めく白露のごときお前の髪にキューティクルが戻ったことを髪の神に感謝――」
「はいはい。いただきましょう」
――襲撃から三日後。
事件の処理などでいつも以上に忙しくしていた父と食卓を重ねるのは久しぶりだ。実の両親が目の前でイチャイチャあーんしている光景も、日常が戻ってきた感があって微笑ましい。
「身体はもう大丈夫か、クロ?」
「ご心配をおかけしました、父上。もう全然だいじょぶです」
あのあと丸一日眠っていたらしく、目を覚ましたら自室のベッドの上で、父と母と従者たちが食い入るように覗き込んでいた。頭の鈍痛も綺麗さっぱり消えている、身体は元気そのものだ。
「それにしても先日は……よりにもよって俺が公務で同行できなかったところを、まさに狙いすましたかのようなタイミングだったな」
あの日は久々の父の休暇にと家族水入らずで隣都市にお出かけの予定だったのだが、周辺都市の統治者と緊急の通信会議が入ってしまったのだ。
結局は父抜きで出かけることになり、襲撃はその帰路でのことだった。
――兵と従者の死者五名、重傷者十名。
もちろん痛ましい犠牲ではあったが、クロが仕留めたあのミセッリという魔法使いはかなりの使い手で悪名高い賞金首だったとか。あるいはもっと最悪な結果になっていてもおかしくなかったという話だ。
「そうですね……メイも里帰りで居りませんでしたし」
「んぐっ! ごふっ!」
「あらクロ、大丈夫?」
「あ、はい……母上……」
急にその名前が出てきたので身体が反応してしまった。
「生け捕りにしたやつらはすでに尋問にかけたが、まだ大した情報は吐いていない。あまり考えたくないことだが……我らのうちにやつらに通じている者が居るかもしれん」
「そんな……」
「……いやなに、心配することはない。屋敷に出入りする者は、クライスがすべて管理してくれているしな」
「はい、旦那様」
執事のクライスが胸を張る。
「それと……クロの魔法の件だが」
「ごふっ! ごふっ!」
「あらクロ、大丈夫?」
「しかし……未だに信じられんな。頭を打った拍子に魔法の才能が開花するなんて……だが事実、みんながお前に救われたんだ。父としても誇りに思うよ、クロ」
「は、はい……ありがとうございます……」
一緒に甦った前世の記憶については話すわけにはいかない。間違いなく信じてもらえないだろうし、「やっぱり頭の打ちどころが」と余計に心配をかけるだけだ。
「折を見て、帝都の高名な鑑定士を呼んでみるつもりだ。俺もお前の魔法を見てみたいのはやまやまだが……鑑定が済むまではあまりむやみに使わないほうがいいかもな、身体にどんな影響が出るかもわからん」
「は、はい……わかりました……」
内心冷や汗ダラダラになりながら適当にうなずいておく。
「……あ、そうだ。クライスさん」
ふと思い出し、クロは執事に呼びかける。
「なんでしょう、坊ちゃま?」
「今度料理長さんにつくってほしいものがあるんだけど、お願いしてもいい?」
「珍しいですね、坊ちゃまからのリクエストなんて。もちろんですとも、どんな料理でしょう?」
「えっと……たこ焼きっていうんだけど……――」
その日の夜。
夕食後に自室に戻ったクロは、そのままガラス戸からバルコニーに出る。
(もっと夜ふけのほうがいいんだけど)
十二歳のお子様なので、単純に夜ふかしが難しい。眠気は脳を使う上で大敵なのだ。
「……さて」
バルコニーはちょっとした運動ができる程度のスペースがあり、実際たまにここで剣術の稽古をやらされりもする。
クロはその真ん中に立ち、両手を軽く広げる。
そっと目を伏せ、意識を自分の内側へと向ける。そこに湛えた静かな暗闇に目を凝らす。
(……感じる……)
確かに感じる――自分の奥底に在る、〝窓〟を。
(偶然じゃなかった、やっぱり……)
そこに手を伸ばすイメージ。〝窓〟を開き、流れ込むエネルギーを自分の細胞を通して放出する――。
ブワァッ、とあたりの空気が吹き荒れる。身体から漏れ出た青い光――念力によって。
念動力――物理的干渉力を持った念力を放出し、物体を操作したり直接攻撃したりすることができる。念力を用いた超能力の中で最も原始的で汎用性の高い能力だ。
31号サイは、その念動力の出力において人類史上最強と呼ばれた。
(……やってみるか)
十二年ぶり、というか一生ぶりか。
それでも、できるはずだ。なぜなら――
「俺は……超能力者なんだから」
ボゥンッ、と風が短く唸り、クロの身体がその場に浮かび上がる。
「――行け」
視界が高速で流れ落ち、
クロは遥か中空まで飛び上がっていた。
「ははっ、ははっ――!」
眼下には、明かりの点々とする都市が広がっている。飲み屋街や繁華街などはまだまだ賑わいの真っ只中のようだ。
頭上では、星々がうるさいほどに瞬いている。帯状の銀河の向こうに巨大な月が浮かんでいる。
「最高だ……!」
そのままクロは、初めて空に上がった鳥のように、気ままにあたりを飛び回る。旋回のたびに風と重力で身体に負荷がかかるが、今はそれさえ心地いい。
「……っ!」
兆候は思ったよりも早く来る。頭の奥に響いたかすかな痛み。
(こんなもんか、最初だし)
遊泳をやめてゆっくりと降下し、そのまま屋敷の東側にある広場の時計塔の屋根に降りる。座り込んで「ふう」と一息つく。
――クロの空中飛行は、実はそう簡単なものではなかったりする。
念動力によって強引に周囲の空気をかき集め、膨らませた風船を手放すように噴出して飛んでいるのだ。あとは念動力で向きを変えたり滑空したりして移動している。
同じ実験体の中でも、空を飛べるほどの念動力を出力・操作できるのはサイだけだった。
(まあ、マフユには敵わなかったけどな)
20号マフユ、念飛翔の使い手。
科学的に存在しないはずの〝反重力〟の位相変化を実現し、自在に飛び回ることができる唯一の能力者だった。
何度も位相変化のコツを聞いたが、「簡単だよほら、フィッってやってフォッだよ」「サイは想像力が足りないんだよ、ピーナッツ十個食べて出直してきな」などとわけのわからない精神論ばかりで結局一度も再現できなかったのだ。
(いてて……)
サイの――クロの念動力によるゴリ押し飛行法は、実は力の消耗が激しかったりする。芽生えた頭痛は念力の使いすぎ、脳への負荷が高まってきた予兆だ。
おそらく先日の覚醒後に意識を失ったのも、この身体で初めて念力を使った反動だろう。剣術の稽古のあとの筋肉痛のように。
(徐々に慣らしていくしかないか)
屋根の上にごろんと寝転がり、星空を仰ぎながら――クロは考える。
(どうして僕は……どうして俺は、この世界に生きてるんだ?)
サイとしての最期の瞬間の記憶は、すでに甦っている。
機械人間の手術を受けた仲間たちと死闘を繰り広げ、彼ら全員を仕留めたと同時に力尽きた。
そして博士たち研究所の連中に自身と仲間の死体を渡すまいと、〝窓〟へ力を逆流させて連中を道連れに――。
(あのとき、俺は死んだ)
致命傷を負っていたのは間違いない。
(31号サイは死んで……クロフレッド・マッティとして生まれ変わった)
研究所の図書室にそんな本があった気がする。主人公が死んで異世界に転生する少年向けの小説だ。
現実にそんなことがありえるのかという疑問は、少なくともこの現状を見るに無意味だろう。実際に自分の身に起こっているのだから。
(でも……生まれ変わった俺が、どうして超能力を?)
〝窓〟を認識できる超能力者。
常人とは異なる脳の構造と超能力の使用に耐えうる体細胞――それらの因子を備えた適性者は研究所の遺伝子操作によって人工出産されたものだ。
あの父と母の間に生まれたクロフレッドが、どうしてそれを受け継いでいるのか。
(もしかして……この世界は……)
――〝窓〟の向こう側、なのだろうか。
「…………ん?」
なにか、聞こえた気がした。
なにか、動物の鳴き声のようなものが。
(……なんだ……?)
「――ヴェェエエエエエ……――」
東門のほうだ。暗闇になにか――不気味な影が、うぞうぞと城壁の上で蠢いている。
そして、
カンカンカンッ! と響く警鐘の音。これは――
「魔物だーーーー!! 魔物が来たぞーーーー!!」
外敵の襲来を知らせる合図だ。