10. エルミィス魔法学園
部屋に戻ったクロは、そのまま頭からベッドに倒れ込む。
(……魔法、か)
盗み聞きなどという不躾な真似をしてしまった。密談の内容すべてというではないが、おおよその話は聞くことができた。
(召喚魔法ってのも、上級魔法の一種だよな)
あれだけ巨大な生物を呼び出す召喚魔法――底が知れない力だ。
「――実は私も、魔法学校に通っていたのよ」
アザラ氏の講義のあと、母がこっそり打ち明けてくれた。ちょっぴり言いづらそうにしながら。
「エルミィスみたいな名門じゃなくて、北部の別の領地にある小さな学校でね。一応上級魔法も覚えたんだけど……」
「えっ、ほんと? 見せてもらったことないよね?」
母が手をかざすと、クロの身体が淡い魔力光に包まれた。……が、それだけだった。
「え、なに? なにが?」
ちょっぴりいいにおいがする。干したての感じに少し花びらを散りばめたような。というか、母のいつものにおいだ。
「お洋服とかタオルとかの生乾きのにおいを消す魔法よ。ちょっといいにおいにするの」
「柔軟剤やん」
「じゅ……?」
「あ、いや」
なんでそんなと一瞬思ったが、ライフハックとしては革命級に便利かもしれない。いやでもなぜ?
「本当はお父様の役に立てる魔法にできればよかったのだけれど、戦う魔法とかは全然向いてなくて……上級魔法の習得が卒業の条件だったから、自分にできそうな魔法を覚えようって……」
「このにおい……もしかして、僕が子どもの頃にも使ってくれてた?」
「そうね、うふふ。あなたがまだおしめをしていた頃にね」
「あ、それ以上言わなくていいです」
少し離れたところでメイのケモ耳がギンギンに立っていた。
「あなたが五歳の頃かしら、別の鑑定士に見てもらって、あなたに魔法の才能がないってわかって……あのときは申し訳なく思ったの。母が不出来なばかりに、息子に選択肢の一つも与えてやれなくてって。はあ、こういうのを『雲雀がフェニックスを生む』と言うんだったかしら? ……――」
(エルミィス魔法学園、か……)
「魔法を磨くには、およそ三つの方法があります、ゴホッ……」
リンクソン氏も、帝都に戻る前に少し話をしてくれた。
「一つめは独学……己の力のみでマッチョを鍛える方法ですが、これは誰も勧めません。間違った鍛えかたをしてしまえば身体を痛めますし、目標の定まらないトレーニングは徒に才能を浪費させかねません。二つめは、ゴホッ……」
筋張った指を二本立てるリンクソン氏。
「魔法の、家庭教師です……貴族の子息などは幼少時より専属の魔法教師を雇うケースも少なくありません。ただし、本当に優秀な教師は在野には滅多におらず、中長期の個別指導という形ではどうしても、筋トレ部位の偏りや伸び悩みに陥るケースが多いです……なので結局、三つめの方法へ移ることになります。ゴホッ、それが……」
「魔法学校、に入ること」
こくりとうなずくリンクソン氏。
「先ほども申し上げましたが、ゴホッ……私もアザラ先生より名門エルミィスの推薦をいただきました。エルミィスには、帝国全土から選りすぐりのマッチョな生徒が集められます。もちろん魔法の教師も一流のマッチョばかり……これ以上に切磋琢磨できる場所はありません、ゴホッ……」
マッチョという単語のせいで変な想像をしそうになるクロ。
「クロフレッド様は、基礎魔法の勉強をされていないとのこと……ならばなおのこと、魔法学校で基礎トレから学ぶべきです……あなたの類まれなマッチョを、さらにデカくしていくために……」
「…………」
「アザラ先生の推薦状は、滅多にもらえないんですよ……あなたが私の後輩になってくださるなら、これ以上に光栄なことはありません……ニコッ、ゴフッ」
「――魔法学校、か」
ベッドの上で、天井に向かって独りごちるクロ。
国内屈指の魔法鑑定士であるアザラ氏からの推薦――父も母も内心鼻が高いようだった。実際に入学するかどうかは「お前の好きにすればいい」と言ってくれた。
――入学するとなれば、親元を離れて学園の寮で暮らすことになる。
つまりこの家に、この街にいられなくなるのだ。
(……離れたくないな、せめて今は)
この街の内外に不穏な影が蠢いている今、父と母のそばを離れるのは不安でしかない。再びクライスのときのようなことが起こらないとも限らないのだ。
(まあ……そもそも魔法使いじゃないしな、僕)
運よくアザラ氏の目を欺くことはできたが――魔法学園に入ってしまえば、今度こそ本性を暴かれかねない。万が一それでも困ることがあるわけではないが……それが対外的にどのような意味を持たれるかも未知数である以上、そのような事態は避けたい。
「……だけど……」
このままでいいのか、という思いもある。
この世界には魔法があふれ、魔法使いがあふれている。
今回のように悪しきそれらと対峙することになったとき、魔法に関する知識と経験は対策を練る上でとても重要だ。
それに――魔法使いたちとの実戦訓練を積んでいけば、前世での出力と勘をとり戻すことも叶うかもしれない。あるいはそれ以上の力を得ることだって。
それになにより、前世と合わせて二十七年、これまで学校というものにはまったく縁のない人生だった。前世では同い年の仲間が大勢いたが、今世では同年代の友だちと呼べる存在はほとんどいない。
学園生活――いったいどんなものなんだろうと、考えだすと想像が止まらない。
「……いや、でも……ダメだって。父上と母上のそばを離れるわけには……」
そうだ。なにかあったときに二人を守れるのは――
「……あ」
翌朝。
「……そうか、決めたか」
「はい、父上」
クロは背筋を伸ばし、まっすぐ父の目を見ていう。
「エルミィス魔法学園に、行かせてください」
父と母は顔を見合わせ、少し困った風に苦笑する。
「まさか……こんなにも早く巣立ちのときが来てしまうとは……」
母は大げさにも目尻に涙を浮かべている。
「本当はこんな情勢で、父上と母上のそばを離れるのは不安だったのですが……」
「はは、子どもにそんな心配をされちゃあ父親の立つ瀬がないな。実際に命を救われている手前、迂闊に嗜めるわけにもいかんが」
確かに不安だった。しかし、杞憂だった。
「いえ……メイをここに置いていきますので」
「っ!!!!!」
仏頂面がデフォルトのメイが、過去イチ驚いた顔をしている。顎が外れんばかり、というか外れた。そしてはめた。また外れた。
「僕がいなくても彼女がここにいれば、二人の身はオリハルコンの金庫の中にいるよりも安全ですから」
たとえ魔王が攻めてこようがドラゴンが飛んでこようが、彼女一人でじゅうぶんにお釣りがくる。
「これで僕も、心置きなく勉学に励むことができます。必ずや魔法の真髄をこの身に修め、将来の領地防衛の役に立ててみせますよ」
力強く拳を握ってみせると、
「クロ……」
「本当に、立派になって……」
母ばかりか父まで洟をすすりだす。
「…………」
このとき、クロは気づいていなかった。
当の本人、メイは了承の意を一切示していないことに。




