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1. 窓の向こう

 生まれて初めて外に出たのは、政府の秘匿治安部隊との野外合同演習に参加したときだった。


「うおお……すげー、きれー……!」


 本物の空は、研究所のホログラムとはくらべものにならないほど、広く高く透き通っていた。感極まって飛び上がったら哨戒ドローンにぶつかりそうになり、指揮官に激怒されたのを憶えている。


「いい天気だなー……はふ、はふ」


 あれから七年――十五歳になった彼は、廃ビルの窓際でボケっと空を眺めながら、たこ焼きを頬張っている。


「今日もうまいなあ。ありがとう、店長(おじ)さん」


 外側はかりっと香ばしいのに中はトロトロ、タコの身はプリプリ。日替わりトッピングでチーズと塩昆布まで入っている。


 研究所を脱出して初めて口にしたのがたこ焼きだった。以来ずっと、その虜で在り続けている。たこ焼きとは深遠の沼であり無限の海原だ。


「――万引きしたんじゃないだろうな、それ?」


 コツコツと足音が近づいている。


「教えてなかったか? 他人のものを盗んだら犯罪なんだぞ」


 柱の陰からその暑苦しい長髪を覗かせるまでもなく、その声の主は博士だった。

 かれこれ二年ぶりだが、相変わらず見るだけでテンションが下がる陰気な顔をしている。


「馬鹿にすんなよ。ちゃんとした『労働の対価』ってやつだよ、これは」


 市民IDのない彼は、地上ではまともな職に就くことはできない。

 それでもスラム街のたこ焼き屋、焼きそば屋に屋台のラーメン屋……お手伝いをすればご褒美をくれる人たちのおかげで、どうにか食いつないでこれたのだ。


「そうか……お前のような無教養のガキでも、スラムのゴミ溜めじゃ少しは使い道があったようだな。親代わりの身としては嬉しいよ、31号」

「番号で呼ぶな。俺の名前は――」


 立ち上がって博士のほうに近づこうとした瞬間、

 バリリツ! と彼の念障壁(サイコバリア)が青い火花を散らす。


「……サイだよ、イナズマ。二年ぶりだな」


 横合いから電撃を放ってきたのは17号イナズマだ。サイへと手をかざしたまま、その目はぼんやりと焦点が定まっていない。


 同時に、目の前に巨漢が迫る。「やべ――」とバリアを張るより先に、岩のような拳がサイの腹を打ち抜く。吹っ飛んで背中から柱を三本ほど突き抜け、四本目に埋まる。


 間髪を入れず追撃が迫る。轟音とともに振り下ろされた拳が――ぴたりと止まる。サイの手から放出された青い光が、巨漢にまとわりついて拘束している。


「……調子乗んなよ」


 ふい、とサイが手を横に振ると、巨漢が弾かれたように吹き飛ぶ。ガンガンと天井と床をバウンドして壁を突き破る。


「ってぇ、ゴジラの野郎……たこ焼き出ちゃうだろうが、馬鹿力」


 サイは柱から背中を引っこ抜き、舞い上がる埃を払う。


 ゴジラのほうも、何事もなかったかのように壁の残骸から這い出てくる。額に滲む血を気にもせず、ゴキッゴキッと首を鳴らしている。


「声をかけても無駄だよ、31号。手術が完了した今、あらゆる人間性は消去されている。たとえ運命をともにした親友であろうと、今のこいつらにとってはただの粛清対象にすぎん」


 博士の周りに彼らが、王を守る兵隊のように並んでいる。


 17号イナズマ、55号ゴジラ。


 23号フジミ、46号ホムラ、56号ココロ、81号イルカ、88号ハヤテ――……。


「……みんな……」


 お揃いのコンバットスーツを身に纏い、光の消えた目をしている。こめかみには大きな手術痕。


「あれだけいた実験体(ナンバーズ)も、ここにいる十五人だけになってしまった。だが、仲間たちの尊い手術失敗(犠牲)を経て、我ら東亜国の悲願たる最強の超能力戦士(サイオニック)小隊(プラトゥーン)はついに完成した。その初の任務が裏切り者の粛清、というのも皮肉な話だがな」

「…………」

「二年もの間、思う存分自由を謳歌できて、もう満足しただろう? さあ、研究所に帰ろう。おとなしく従うならば、こちらとしてもこれ以上痛い目に遭わせずに済む」

「はっ、帰るわけないじゃん。殺されるってわかってんのに」

「こいつらは死んだわけじゃない、より完璧な存在へと生まれ変わっただけだ。あらゆる苦痛や苦悩から解放され、存在のすべてを懸けて国家に奉仕する……むしろ誰よりも幸福な人生とも言えるだろう」

「ならお前がやれよ」

「ふふ、人にはそれぞれの使命があるというだけさ。まあいい、お前の脳さえ無事に回収できればな」


 博士がパチンと指を鳴らすと、仲間たちの身体が見えない煙に包まれたかのようにゆらゆらとしはじめる。


 臨戦態勢――肉眼でもはっきりと視認できるほどの念力(サイコパワー)の奔流。


「手術によってこいつらの潜在能力は限界まで引き出されている。一人ひとりが今やお前と互角、いやそれ以上だ」

「はっ、互角って」


 ――しかし。


「……その程度で?」


 サイがその身に迸らせる念力(サイコパワー)は、色と光を帯びるほどに高濃度であり高密度だ。空を凝縮したかのような青い煌めき――。


「ふ、ふふ……人類史上最強の念動力(サイコキネシス)は健在のようだな、31号」


 博士は生じた風圧によろけ、邪悪な笑みを引きつらせる。


「やはりお前の脳こそが至宝だ……尊き我が国の弥栄のため、新鮮(ピッチピチ)な状態で回収させてもらおう――殺れ」


 かつての仲間たちが、無表情のまま一斉に飛びかかる。


 ――31号……いえ、サイくん……――。


 ――研究所のことは、これまでのことは全部忘れて……――。


 ――自由に生きて。あなたの、あなただけの人生を手に入れて……――。


(……ごめん、お姉さん)


 もう、じゅうぶんだ。


 逃げてもいい――そう言ってくれた運命から、もう逃げるわけにはいかない。


「ここで終わりにしよう。お前らも、俺も……――」


 サイは、その手を仲間たちへ向けた。

 

 

 

 超能力者たちの死闘は数時間に及び、廃墟区画の一帯を瓦礫の海へと変えた。


 濛々と土埃が垂れ込めたその中心で、


「……空、見えねえじゃん。くそ……」


 サイが、血溜まりの中で瓦礫にもたれかかっている。左足と左脇腹の半分を失って。


「ひ、ひひ……ひひ……」


 ビルだったものの残骸を避けながら、博士がよたよたと近づいてくる。自動小銃を持った軍の兵士たちも。


「肝を冷やしたぞ……強化した実験体(ナンバーズ)の精鋭十五人がかりで、相討ちが精いっぱいとは……軍部の戦力評価では、一国を優に落とせるほどと謳われていたんだがな……」


 仲間たちはこの瓦礫の海のあちこちに倒れている。超再生能力を持つフジミでさえ、二度と起き上がることはないだろう――そういう風に壊したから。


「親友たちの頭を潰すとは、お前には人の心がないのか? おかげで損失は甚大だよ、金も時間もな」

「…………」

「だが、まあいい。お前の脳は無事に回収できれば、今回の損失はすべて補填できる。私の監督責任もチャラになって万々歳だ、ひゃははははは」

「……かは、はは……」


 笑うと傷が痛い。


「どうした? 無理しなくていいぞ、すぐ楽にしてやるから」

「……さっき、あんたが言ったんじゃん……ひとのもん盗ったら、ハンザイなんだぜ?」


 ――サイたち超能力者は、その脳に〝窓〟を持っている。


 前頭前野のわずか数ミリグラムの神経細胞群が量子トンネル作用を介して高次異次元を知覚し――と研究所の教育時間に聞かされたアレコレをサイはまったく憶えていない。


 しかし――超能力を使うとき、いつでもそれを己の根源として感じていた。こことは違う世界から流れ込む、青く澄んだエネルギーの奔流を――。


 風が途切れ、一瞬、すべてが時間とともに静止する。


「…………っ!?」


 ――最初にその圧力を感じたのは、サイのそばにいた博士だった。


「な、なにが――」


 言いかけたその背中がグンッと押され、前のめりに倒れそうになる。


「こ、殺せっ! そいつを早く――」


 もう遅い。すでに起動した――誰にも止められはしない。


「うぉおお、おおおおおおおお――――!!!」


 博士の絶叫も、狼狽える兵士たちも。

 倒れ伏した仲間たちも、サイ自身の肉体も。


 周囲のすべてが、

 瓦礫も建物も大気も地面も、

 すべてがサイへ向けて集約していく。


(うまく……いったかな……)


 全エネルギーを〝窓〟へ逆流させた。


 周囲すべてを呑み込むまで、止まりはしない。


(みんな……やってやったぜ、ははは……)


 自分の脳も、仲間たちの脳も、

 誰のものでもない。誰にもくれてはやらない。


(人間って、死んだら……どうなるんだろう?)


 少なくともここよりはずっとマシな、

 自由な場所に行けると、そう信じている。


 ――――――――――――――――


 わずか十数秒後。


 そこは数百メートルに渡る巨大な陥没地と化し、生存者はいなかった。

 

 

    ***

 

 

「――……ロ……クロ……!」


 頭上で必死に叫ぶ声がする。


(……んん……痛っ……)


 ズキンと頭の奥に鈍痛が響き、目を開ける。


 涙目で覗き込んでいる女性の横顔が、炎の光に照らされてオレンジ色に染まっている。


「う……うう……」

「大丈夫ですか、クロ!? 痛いところはありませんか!?」


 頬に触れる女性の手が温かい。それ以上に隣で横転した馬車がメラメラと燃えていて身体が熱い。


「だい、じょぶ……です……母上……」


 この女性は、母親だ。


「ああ……よかった、クロフレッド……!」


 クロ……クロフレッド。


(そうだ……僕は……)


 クロフレッド・マッティ――少年は頭の中で、自分の名前を復唱する。


 周囲が慌ただしい。兵士たちが忙しなく走り回り、なにか剣呑な声色で怒鳴り合っている。


 隣には横倒しになった馬車。どうやら横転して外に放り出され、頭を打って気を失っていたらしい。


(なにが……起こって……?)


 クロはふらふらと立ち上がろうとする。痛みは引いたが、依然として頭が重い。なんだか長い夢を見ていたような――……。


「――逃がすな! 殺せ!」

「標的以外は皆殺しにしろ!」


 粗暴な声で物騒な命令が聞こえてくる。マッティ辺境伯家の馬車と知っての襲撃のようだ。


「セシア様とクロフレッド様をお守りしろ!」

「火の手を食い止めろ! じきに援軍が来る、持ちこたえろ!」


 マントを羽織った襲撃者たちを、護衛の兵士たちが必死に食い止めている。ぱっと見で数はこちらのほうが多いが、勢いは敵のほうが――


 ボンッ! と爆ぜる音。兵士たちが吹っ飛ばされる。


「あはは……! 上手に焼けてますねー……!」


 襲撃者のボスらしき、長髪に髭をたくわえた男。その両手から炎をばら撒き、兵士たちを蹴散らしている。


(あいつ……)


 魔法使い――。


「セシア様! 坊ちゃまと一緒にお逃げくだ、ぎっ!」


 兵士の後頭部に炎が命中し、ほとんど苦しむ間もなく崩れ落ちる。


「ああー……熱風、火の粉、人の焦げるにおい……これぞBIG LOVE……!」


 男が、うっとりと両手を広げてくるくる回っている。花畑に辿り着いた少女のような足どりで、クロたちのほうへ近づいてくる。


「……辺境伯夫人、お目にかかれてガチエモです。〝北のボロッサの民〟のしがない魔法使い、人呼んで〝卑炎(ぴえん)のミセッリ〟と申します。以後お見知りおきを☆」


 きゅぴん、と目元に∨サインをくっつける。


「さて、我々にご同行いただけますぅ? おとなしく従ってくださるなら、これ以上無駄な血を流さずに済むかもですよ(たぶん)?」

「私たちを人質に……辺境伯から小金でもせしめるつもりですか?」

「あらら、聞き捨てなりませんねえ。身代金なんか1エリンたりとも受けとるつもりはありませんよ? 我々ボロッサの民は、あなたたち帝国に簒奪された故郷をとり戻すべく、日夜メラメラと奮闘しているのです。がんばってる私たち、(てぇて)ぇ!」

「私たちを火種にして、再び戦争を起こすつもりか……愚かな蛮族め――」


 母が懐から杖をとり出し、ミセッリへと向ける。


光弾魔法(ミーティア)!」


 その杖先から放たれた光の弾が、


「うふっ」


 ――着弾の寸前、光の壁に阻まれ、バチィッ! と霧散する。


「おやまあ、あなたも魔法使いでしたか。ずいぶん貧弱な光弾魔法(ミーティア)ですこと。杖ありきでも私の光盾魔法(ヤード)に傷一つつきませんでしたよ?」

「っ……」

「おほほ……ああ、焼きたい、焼きたくなってきたぁ……高貴な女の口からケツまで串を通してこんがりとぉ……!」


 くねくねと身悶えるミセッリ。


「お楽しみはあとでゆっくり……ということで、はいよろしくぅ♪」

「「ウェーイ☆」」


 部下たちに目配せをして、ミセッリは鼻歌まじりに背を向ける。


「それじゃあ私はぁー、残りの雑魚を一匹ずつ丁寧に串焼きにぃ――――」

「……ヵ……かは……」

「……ん?」


 ミセッリが振り返ったとき、

 辺境伯夫人を捕らえようとしていた部下たちが、宙吊りになっている。


「……なに……?」


 首に巻きつくなにかを引き剥がそうともがき、足をバタバタとさせている。


「……なんなの……?」


 やがて間もなく、力尽きる。

 ぐったりと四肢を垂れ下げ、どさりと地面に落ちて動かなくなる。


「…………」


 少年が立っている。夫人を庇うように。


「……お坊ちゃん、今のはあなたが……? なによその光……?」


 その小さな身体が、かすかな光を纏っている。淡く青い光だ。


「青い……魔力光……!?」


 返事を待たず、ミセリは少年めがけて炎を放つ。芽生えた危機感が本能的に身体を動かしたかのように。


「クロフレッド!」


 母親の悲痛な叫びも虚しく、炎は少年に着弾し――ボシュッ! と消えた。


「……え、え? なんで、私の劫火迅魔法(フィアゾロン)が……?」

「……思い、出した……」


 今――クロの中で、散らばっていた記憶がゆっくりと融け合っていく。


 この十二年の記憶、そして――この世界にあるはずのない記憶が。


「……僕は……俺は……」


 再び炎が襲いくる。まるで飛びかかってくる獣のような勢いだ。


 クロがその手を横に払う仕草をした瞬間、炎は跡形もなく消し飛ぶ。


「なっ、なんで……上級魔法だぞ……!?」


 なんでもなにもない。


 この程度の火炎能力(パイロキネシス)――ホムラの足元にも及ばない。


「なによそれ……いったいどんな魔法を……!?」

「魔法、じゃない」


 その華奢な腕を、今度はミセッリへと差し向ける。


「――超能力だよ」


 てのひらが、青く煌めいた瞬間。


念動力(サイコキネシス)


 とっさに展開したミセッリの光盾魔法(ヤード)は、紙のように引きちぎられる。


 その身体は砲弾のごとく吹き飛び、木々を薙ぎ倒し、

 地面に深々とした溝を刻んで静止する。


 夕暮れの空を、光の絶えた目で仰ぎながら、ぴくりとも動かなくなる。


「…………」

「…………」


 襲撃者たちも兵士たちも、唖然として声も出せない。


「ク……クロフレッド、あなた……」


 母も驚きすぎて言葉が出ないようだ。


(全部……思い出した)


 頭を打ったのが呼び水となったのだろうか。


 かつて自分が何者だったのか。


 どこに生まれ、どのように生き――どのように死んだか。


(僕は……俺は……サイ、だ)


 かつて31号と呼ばれた最強の超能力者は、


(……生まれ変わった、ってことか……?)


 魔法が存在するこの世界で、二度目の生を受けた。

第一話を読んでいただき、ありがとうございます。


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