台湾生え抜きの菊池須磨子と親日家姉妹
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
今世紀初頭に中区と西区が合併する形で誕生した中西区は、私こと菊池須磨子が住む台南市の中でも特に人通りの多い繁華街と言えるだろうね。
国立台湾文学館に林百貨店みたいなレトロ建築や台湾最古の孔子廟といった史跡が随所にあるから観光客でいつも賑わっているけど、私達地元民にとっても便利な町なんだ。
映画館や大型書店みたいな普段遣いするお店や施設も完備されているし、國華街三段や花園夜市では美味しい物を色々と食べられるからね。
そういう訳で、この中西区をブラブラしていると思わぬタイミングで知り合いと顔を合わせちゃうんだよ。
こんな風にね。
「あっ!そこにいるのは菊池さんじゃないの?」
「んっ?」
区立図書館で日本に関する資料を借りた帰りの私は、雑踏の一角から呼びかけてくる声に思わず足を止めちゃったんだ。
何しろ普段の学校生活で聞き覚えのある声だからね。
「えっ、誰?」
さっと振り返った私は、國華街に佇むクラスメイトの顔を見つけたんだ。
「あっ、やっぱり菊池さんだ。制服着てたから一目で分かったよ。」
「そういう珠竜ちゃんだって制服姿じゃない。こうして休みの日に会うだなんて、これはまた奇遇だね。」
肩までのボブカットに切り揃えた明るい茶髪を揺らしながら笑う王珠竜ちゃんの姿は、何から何まで中学校の教室で見るのとそっくりそのままだったの。
だからこそ、そのすぐ隣で佇んでいる人物の姿が一層に珍しく感じられたんだろうね。
「それにしても、珠竜ちゃん…今日はお姉さんも御一緒だったんだね。御久し振りです、美竜さん。妹さんには何かと学校で御世話になっております。」
こうして私はクラスメイトの傍らに佇む細身の人影に一礼したんだけど、その端麗な御姿には同性とはいえ思わず見入ってしまうな。
妹である珠竜ちゃんとは対照的に腰の辺りまで伸ばされた黒髪は癖がなくて艷やかだし、黒眼鏡の下で白く輝く端正な細面は溌剌とした快活さに満ちているし。
黒髪のロングヘアーってだけならクラスメイトの曹林杏さんにも似ているけど、やっぱり王美竜さんは私達より五学年上の高三だからね。
高校指定のVネックセーターと白いブラウスの上からでも、出る所の出て締まる所の締まったスタイルの良さは容易に見て取れるよ。
夏休みの海水浴で撮影したという水着姿の記念写真を珠竜ちゃんに見せて貰ったけど、その見事さたるやグラビアアイドル並だったね。
一人っ子の私としては、お姉さんのいる珠竜ちゃんが羨ましい限りだよ。
「待って待って、菊池さん!そんなに恐縮しないでよ。むしろ私の方が、菊池さんに御礼を言いたい位なのに。」
オマケに決して威張らない謙虚な姿勢とユーモラスな愛嬌も持ち合わせているんだから、本当に人間が出来ているよね。
「いつも妹と仲良くしてくれている菊池さんには、私としても感謝しているんだよ。珠竜ったら、『日台ハーフの菊池さんと一緒のクラスだから、色々と勉強になるしモチベーションも上がるんだよね!』って具合に、日本語や日本文化の選択科目がある日は特に張り切っちゃって。」
「ちょ…ちょっと、お姉ちゃん!そんな事本人に聞かせないでよ!流石に恥ずかしいじゃない…」
血相を変えてお姉さんにしがみつく珠竜ちゃんだけど、正直言って照れ臭いのは私も同じなんだけどね。
確かに私は、日本人のお父さんと内省人のお母さんの間に生まれてきたよ。
だけど私自身は台湾生まれの台湾育ちだし、日本語だって辛うじて話せるレベルでしかないからね。
日本語や日本文化の選択科目の成績に関しては、珠竜ちゃんの方が上なんじゃないかな。
だけど珠竜ちゃん達と一緒に日本関連の選択科目を受講するようになってからは、両親から日本で暮らしていた頃の話を聞いたり写真やホームビデオを見せて貰ったりと、色々な方法で知識を仕入れているからね。
そうして両親から仕入れた日本の知識は、教科担当の先生からは「個人の思い出と紐づけされた生きた知識」という具合に評価されたんだけど、それと同時に一緒に机を並べて勉強している珠竜ちゃんにとっても良い刺激になっていたんだね。
そう考えてみると、満更悪い気はしないよ。
自分の何気ない行動が思いがけない形でプラスの影響をもたらしていたら、驚きつつも嬉しくなっちゃうよね。
だけど美竜さんの次の一言は、私を更に驚かせたんだ。
「そこで日頃の御礼って訳じゃないんだけど、菊池さんさえ良かったら晩御飯でも一緒にどうかなって思ってね。勿論、菊池さんの分は私達姉妹の奢りで構わないから。」
「ええっ?そんな、流石に悪いですよ!」
幾ら私達より五歳年上だからって、美竜さんだってまだ女子高生じゃない。
子供が子供に夕食を奢るだなんて、流石にちょっと考えられないよ。
「い…良いのかな、珠竜ちゃん?お姉さん、ああ言ってるけど…」
だから私も、こうしてクラスメイトに怖ず怖ずと意見を求めたんだ。
だけど…
「気にする事はないよ、菊池さん。うちのお姉ちゃん、無事に志望校へ合格出来たからね。要するに、今日は内輪での合格祝いって事。飲食費に関しても、菊池さんは何も気にしなくて良いの。むしろ菊池さんがいてくれた方が色々と助かるんだ。」
「つい先日に、第一志望の堺県立大学から合格通知が届いたの。受験勉強にピリオドを打てた訳だし、今日はパーッとやりたい気分なんだ。だけどまだ受験の終わってない子もいるからクラスの友達を誘う訳にはいかないし、両親も仕事やクラス会で忙しいからね。」
ここまで食い下がられたら、もう断る訳にはいかないよね。
それに私としても、友達のお姉さんの志望校合格は素直に嬉しいもん。
こうして御相伴に預からせて頂く事になった私だけど、王姉妹が宴の席に選んだのは意外な店だったんだ。
「えっ…ここって、『大阪餃子大将』じゃ…」
「東区のショッピングモールには前からあったんだけど、やっと中西区にも出店してくれたんだ。『これで日本式町中華の味を御近所で手軽に楽しめるようになった』って、お父さんも喜んでいたよ。」
嬉々とした様子の珠竜ちゃんとは対照的に、私の胸の中では気後れと遠慮とが再び頭を擡げてきたんだ。
確かに日本資本の「大阪餃子大将」は台湾でも人気の高い中華料理チェーンだけど、ここは主にファミリー層をメインターゲットにしているんだよね。
定食やセットメニューを扱っているランチタイムなら話は別だけど、夕方の時間帯だと中高生には少し割高になっちゃうよ。
そんな私の気後れを察したのか、美竜さんは振り向き様に得意気な微笑を浮かべたんだ。
「遠慮しなくて良いよ、菊池さん。何しろ私達には、心強い味方がついているんだからね!」
そうして自信満々に財布から紙束を取り出すと、これ見よがしに突き付けてきたの。
「えっ、これは株主優待券…」
「うちのお父さんの友達が餃子大将の台湾法人のお偉いさんでね、学生時代の縁で株主になったんだって。お父さんに堺県立大への合格を報告したら、残りの分をまとめてプレゼントしてくれたんだ。使用枚数に制限は無いから、何なら今日の夕飯で全部使い切っても構わないよ。」
成る程、恐ろしい程に気前が良いと思ったらそういうカラクリだったんだ。
親御さんからプレゼントされた株主優待券なら、美竜さんも珠竜ちゃんも身銭を切らなくて済むだろうね。
それなら私も、遠慮せずに頼んじゃおうかな?
「では御言葉に甘えて、海老マヨに蚵仔煎を…」
こうしてメニューとにらめっこしている私だけど、その平穏は長くは続かなかったの。
向かいの席から速攻で爆弾発言が飛んできたからね。
「おっ!菊池さんったら、なかなか良いチョイスじゃない。お姉ちゃんなら、そのお供にビールを付けるよね?」
「んっ!?」
サラッと凄い事を言ってるよね、珠竜ちゃんって。
もしかして美竜さんったら、もうお酒を飲んでるの?
そこで恐る恐る様子を伺ってみたんだけど…
「分かり切った事を聞かないでよ、珠竜。ビールに合わない町中華の料理なんか、この世にある訳ないじゃない。よし、決まった!主食は魯肉飯で主菜は大鶏排にしようかな?ここの大鶏排は鶏肉のジューシーさと五香粉の加減が素晴らしいからね。ビールは一先ずピッチャーを頼んで、足りなくなったら中瓶でも追加しようかな。」
もう、至って普通に頼んじゃってるんだよね。
確かに台湾の法律だと、十八歳になればお酒が飲めるからね。
高三の美竜さんがビールを注文したって、法的には何の問題はないよ。
だけど私や珠竜ちゃんは中一だから、美竜さんは一人でピッチャーを空けなくちゃいけないんだよね。
そんなに飲んで身体は大丈夫なのかな?
「お姉ちゃんも本当に好きだよねえ…まあ、受験勉強中の長い禁酒期間が明けた訳だから、無理もないけど。それじゃ私も牛肉麺と茶葉蛋サラダを肴に、ノンアルコールビールで御相伴に預かりますか。何しろお姉ちゃんの受験中は、験担ぎの都合で牛肉や卵を食べられなかったからね。」
「えっ、珠竜ちゃん?!」
まさかクラスメイトの口から「ノンアルコールビール」って単語を聞く事になるとはね。
思わず耳を疑っちゃったよ。
「いやぁ…珠竜ちゃんの家って色々と先進的なんだねぇ。そりゃ確かに、ノンアルコールビールなら中学生の私達が飲んでも構わないけど。」
「ビールとは言っても、あくまでも非酒精飲料だからね。少し苦味のある炭酸飲料と考えたら、割とスンナリいけるんじゃないかな。それに今日はお姉ちゃんの合格祝いだし、乾杯用のドリンクに悪くないと思ってね。」
そう言われちゃうと、私も付き合わない訳にはいかないよね。
まあ、友達のお姉さんの志望校合格の祝杯が人生初のノンアルコールビールになったのは、それはそれで良い事なんだろうけど。
「それでは…我が敬愛なる姉上こと王美竜の堺県立大学合格と新しい門出を祝って、干杯!」
「もう、珠竜ったら…そんな言い方したら照れるじゃない。こりゃ飲んで忘れるしかなさそうだね。」
口ではそう言いつつも、美竜さんも満更では無さそうだね。
こういうのを見ると、兄弟姉妹のいる人の事が羨ましくなっちゃうよ。
「ほら!菊池さんも、干杯!」
「アハハ、どうも…合格おめでとうございます、美竜さん。それでは私も、干杯!」
そうしてカチ〜ンと鳴らされたグラスを、私は一気に飲み干したんだ。
何しろ台湾の干杯は文字通り、グラスを合わせた二人が揃って飲み干すのが流儀だからね。
言うなれば「相互一気飲み協定」って感じかな。
「う〜ん、苦いなぁ…」
よく冷えていて喉越しは爽やかだったけれど、それ以上に苦味の方が強く出ていて、どうも私には合わないなぁ。
これはあくまでノンアルコールビールだから、アルコールの入った本物のビールだとまた違うのかも知れないけど。
「ふぅ…こんなに美味しいビールを飲むのは、十八歳の誕生日以来かなぁ。」
それに比べて、美竜さんは本当にビールを美味しそうに飲むよね。
豪快な一気飲みをしたとは思えないに、ケロッとした顔をしてるじゃない。
「相変わらずピッチが早いよね、お姉ちゃんも。こりゃ私も、悠長に茶葉蛋サラダを摘んでる場合じゃないか。」
そしてそれは、次の干杯に備えてノンアルコールビールを手酌している珠竜ちゃんも同じ事だったの。
まだ十代の若さなのに本当に飲み慣れているなぁ、あの姉妹は。
「だけど気を付けた方が良いよ、お姉ちゃん。こっちの感覚で干杯をやったら、フライングになっちゃうもんね。大学の人達と一緒に飲みに行く時は、そこに注意しなくちゃ。」
「分かってるよ、珠竜。幾らお酒が待ちきれなくても、そこはジッと堪えないと。」
んっ、「こっちの感覚」って一体どういう事だろう?
日本と台湾では、飲み会の作法にも違いがあるのかな?
「ああ、乾杯のマナーの事?私も聞き齧っただけだから、あんまり真に受けないでね。日本法人で駐在員をしていたお父さんなら、もっと正確に説明出来るんだけど…」
美竜さんが言うには、日本の飲み会は参加者全員で一斉に乾杯をやるらしいの。
だけど台湾では周りにいる人とだけ干杯をするから、日本慣れしていない人はよくフライングしちゃうんだって。
「台湾と日本は歴史的な絆の深い友好国だけど、注意深く観察してみると細かい差異が色々と散見出来るの。そういう違いを肌で感じる事で、理解も深まるしますます好きになってくると思うんだよね。」
「違いを知る事で、更に好きになれる…」
日本留学の夢を現実にした友達のお姉さんの一言は、私にとっては身に摘まされる物だったの。
日本人の父と漢族系本省人の母を持つ、この私にとっては。
日本へ留学した若き日の母も、何かと戸惑ったのかも知れない。
そして愛する妻の故郷へ移り住んだ父もまた、日本とのギャップを事ある毎に感じたのかも知れない。
そうした戸惑いやギャップを若き日の両親が乗り越えられたのは、国や民族といった属性も含めてお互いを愛し合えたからであり、それが出来たからこそ私が存在しているんだね。
「あの、美竜さん…日本での学業、どうか頑張って下さい。私も日本語や日本文化について、もっともっと勉強します。そうする事で、日本と台湾の事を今よりもっと好きになれる気がするんです!」
「うん!良いんじゃない、菊池さん。菊池さんの御両親も、きっとそれを望んでいると思うよ。珠竜、貴女も菊池さんを見習ってしっかり勉強しなきゃね。」
「まあね、お姉ちゃん。選択科目で菊池さんと一緒だと、私としてもモチベーションが上がるからね。これからもよろしく頼むよ、菊池さん!」
王姉妹の心強い呼びかけに頷きながら、私は区立図書館で借りた資料に思いを馳せたの。
私が自分のルーツとなった二つの国を同じように愛せるようになるのも、そう遠い事ではないのかも知れないね。