門番
その言葉を信じてしばらく歩いていると、目の前で何か動いているのが見え足を止めた。
ゆっくりと霧の中から姿を現したのは、妙な目隠しをつけた男だった。
「ハリス、ハリスか?」
背中でミファーが男に声をかける。どうやら同じ妖精らしい。
「ミファー、姫は、他の者は?」
「そのことなんだが......」
言い淀む様子と、ハリスと呼ばれる妖精の刺々しい態度からも、奴らの置かれている状況は芳しくないらしい。
「その男はなんだ」
「何から話せばいいか、私を助けてくれた人なんだ」
ハリスの口元が歪むのが見えた。
「人をこの森に連れてくることがどういうことか分かってのことか」
「分かっている。ただ、彼は歩けない私を背負ってここまで連れてきてくれたんだ」
「だから、仕方なかったと?」
ハリスの語気が徐々に強くなっていく。
人と妖精との関係を考えれば、この反応は当然であるが、ここはミファーに是非とも説得してもらいたい。ここで無闇にことを荒立てれば、無駄に妖精を殺すことになる。
「理由は何であれ、我らの家を人に知られてしまった以上生きて帰すわけにはいかない」
言うやいなやハリスが腰の剣を抜く。歓迎されると思っていなかったが、ここまで血の気の多い種族だとは思わなかった。
この口下手妖精の説得にはもう期待できない。ハリスから視線を離さずゆっくりとミファーを下ろし、剣を抜く。捕獲出来れば一番良いのだが、死体であっても妖精ならそこそこの値で買い取ってもらえるはずだ。
「ま、待ってくれルッセウ! まだ話が」
「悪いが待てないね。なぁハリスとやら、俺はあんたら妖精とやり合おうなんて思っちゃいないんだが、それでもやるか」
「ほざけ。人の話なぞ聞くだけ無駄だ」
最後の説得も泡と消え、後は殺るか殺られるかだが、正直分が悪い。雪中の森でさらに視界不良と、奴の庭と言っていい環境での戦闘、不利にもほどがある。
「ルッセウ無茶だ! 剣を納めろ、私がなんとか説得するから」
「バカ言え。剣を抜いてる相手の前で無防備になれるかよ。巻き込まれたくなかったら離れてな」
確かに状況だけ見れば無茶に思えるが、わざわざこちらの姿を確認しに出てきたところを見ると視界不良は相手も同じ。
戦いは必然的にこの半径十歩の範囲に限られる。単純な剣の技量比べなら勝ち筋がある。
出方を伺いじっと剣を構えるが、予想に反してハリスは霧の中に姿を消した。何をするつもりだ、視界外から襲撃するにしても十歩は遠すぎる。
相手の考えが分からず霧を注視していると、次第に霧が濃く、こちらに迫ってきていることに気がついたのも束の間、すぐに俺を取り囲み、一歩先の状況も分からなくなってしまった。
奴が霧に隠れてからすぐこうなったところを見ると、奴の仕業と考えて良さそうだ。わざわざ霧を濃くして視界を奪ったことから、最悪の想定が頭をよぎった。
奴は霧の中でも見えるのではないか。
剣を握る手に一層緊張が走る。見えないにしてもこちらの位置を把握する何らかの方法があると考えるのが妥当だろう。
事実はどうであれ、どのみちこの視界で無闇に動くわけにもいかない。目を瞑り使えない視覚を早々に捨て、耳に全神経を集中させる。
まるで自分以外居ないのではと錯覚しそうになるほど、静寂だけが辺りを包む。しかし、いくら気を付けていても全く音を出さずに移動できる生き物などいない。
ほら、聞こえてきた。雪を踏みしめる音が、衣服の擦れる僅かな音が。それらが次第に大きくなるにつれ、見えないながらも距離が縮まっているのが分かる。
僅かな音が俺の周りを旋回して、ピタッと背中の位置で止まった。振り返りたくなる衝動を抑えてじっと剣を構える。
攻撃のタイミングを聞き分けるために耳を澄ませていると、スッとかすかに布の擦れるような音が聞こえ、目を見開く。
すぐさま体を捻り後ろを向くと、振り下ろされた剣を刃で受ける。
「なっ」
驚いたのか奴から間抜けな声が漏れ出たが、構わず腹に蹴りをお見舞いする。
奴が盛大に尻もちをついたところで続けざまに顔を蹴り飛ばし、仰向けになった体に馬乗りになり、目一杯の力を込めて顔を殴りつけた。
こうなればこちらのものだ。右、左と交互に顔を殴り続ける。顔の形が変わろうが構いはしない。
「ハリス! ルッセウ! やめてくれ!」
剣の音か、この肉を叩く音か知らないが、異音に気がついたミファーが情けない声を上げている。
ミファーはともかくとして、ハリスの俺に対する態度からして村に居る大多数の妖精がハリスと同じ考えだとすると、このまま村に行くのは得策ではない。
村の情報を売ってやろうと考えていたが、幸いにもミファーは足を怪我しているし、こいつと同じようにボコボコにしてから二匹を連れ帰るほうが賢いだろう。
そんなことを考えていると、ハリスの術が解けたのか周囲の異様な霧が晴れて少し見通しが良くなっていた。
ハリスの顔が真っ赤に染まっており、着けていた目隠しがいつの間にか外れていた。流石にやり過ぎたかとハリスの顔に耳を近づけると、ヒューヒューと呼吸が聞こえ、死んでいないようで安心した。
次はミファーの番だ。
剣を拾い上げゆっくりと周囲を見渡すと、忠告通り離れているようで姿が見当たらない。
「おーいミファー、どこだー」
警戒されないよう優しく声をかける。すると、目の前の霧が揺れて、人影が現れた。だが、それはミファーではない男であった。
「驚いたな。ハリスを倒したのか」
「ええ、まあ。あんたは? こいつのお仲間か?」
「ああ」
面倒が増えた。ミファーだけであれば帰路を吐かせるなりしてどうにでもなったものを、ここでもう一体と剣を交えるのは正直あまりやりたくない。
こいつは殺してしまうとして、これから大人二人分をどうにか担いで悪路を帰らなければならないのだから、体力をあまり消耗したくない。
ハリスが先に攻撃してきただの、ミファーを助けて連れてきただの、説明したところで納得などしてくれないだろうから、さっさと殺ってしまおう。
「おっと、変な気は起こさないでくれよ」
殺気が伝わったのか男から忠告が入る。
「なら、大人しく帰してくれるか?」
「いや、すまないがここまで足を踏み入れられた以上、黙って帰すわけにはいかない。ハリスの件もあるしね」
そう話す男の言葉は、妙に落ち着いておりまるでこれから剣を交える気など無いようにさえ感じられる。
「それで見てみなさい」
そう言ってハリスの目隠しを指差した。見れば男も同じ目隠しを着けている。
男に視線を向けたまま、ゆっくりと腰を下ろして目隠しを拾い上げ、目に当てる。
「あーあ、これは、参ったな」
目隠しを通すとまるで初めから無かったかのように霧を見通す事が出来、男の妙な落ち着きの理由を同時に思い知らされた。
男の後ろに数体、周囲の木の上から俺を囲うように弓を向ける妖精が数体見える。
「剣を収めてくれるな」
男が不敵に笑った。