0006 『闘神と仙術スキルでアポカリプス世界を駆け抜けろ!』(作者:クラント様)
◯作品名:闘神と仙術スキルでアポカリプス世界を駆け抜けろ!
◯掲載媒体:
なろう:https://ncode.syosetu.com/n2250fy/
◯作者:クラントさん
◯連載状況:現在、連載中(本稿執筆時:第677話まで)
※一奥の過去のイチオシレビュー
『これは贖罪の物語だ。小さな幸せを求めるために、しかし、大きな力を振るわなければならなくなってしまった、弱い男の物語だ』
本作の特徴は、他のレビュー者様方が素敵なまとめ方をされていますので、そちらより。
一奥は、少々、違う視点から。
あらすじにて、主人公が「俗物」であると作者様はおっしゃっています。自分が最優先で――失敗を恐れて、バレないならと酷いこともして、でも、あまり大それたことをできるような「大悪党」になる胆力だって無くて。
それでも、彼は己の「罪」と向き合っていく。
初めて読む方。ネタバレスレスレで書きますが、主人公は第一章において、大きな大きな「罪」を背負います。
ただ、目立たずとも幸いに生きたかっただけなのに、大きくすれ違って大きな間違いを犯して、大きな傷と悲劇を背負ってしまう。
でも――。
逃げているようで、自分を守っているようで、しかし自分を守る行為そのものがその実、実は、結果的に回り道してそれと向き合っている。
これは彼の弱さの物語。
そしてこれは、彼の強さの物語です。
***
<以下、本文>
本作を語る視点は様々にあり、とてもわずか400字のなろうの標準レビュー機能で語り明かすことのできるものではありませんでした。
逆に言えば、それだけ語りたいことがたくさんあるのが、本作でもあります。
それはただ単に設定の「俺の好きなもの全部ブッコミ」という層の厚さだけではなく、その上に立ってこそ生きる、大いなるギャップを備えた主人公の個性と、だからこそ彼の回りで生き生きと動くキャラクター達の姿というところでしょう。
無論、前者については他のレビューを書かれた方達においても大いに語られていたところであり、だからこそ一奥は短文レビューの方では、主人公のことについて述べたわけですが……それでも「好きな設定全トッピング丼」について、語りたいもの!
その意味で本作は、ロマンの塊です。
ポ○モン然り、ロボットを使役も操縦もするもの然り、なろう的なチート能力も然り。
拠点を構築していって然り、様々な登場人物達と出会っていくこと然り。
ちょっとだけメタを匂わせるような、より大きな「物語」によって翻弄されている様然り。
まるでノベルゲームかアドベンチャーゲームのような、メタレベルにいる作者によって用意されていたであろうイベント群が――実際に物語の中で主人公の行動によって消化されて、つまり読者の眼に触れたものもあれば、主人公が選ぶことはおろか、自らのとあるチート能力によってですらその存在にすら気づかなかった「選ばれなかったルート」があったり。
往年の、一奥みたいな世代の人間にとって慣れ親しんだ、それこそ「こんなゲームをやってみたい!」という楽しみを、様々なありとあらゆる要素を、そのごった煮を、しかし単なるごった煮で終わらせずに作者クラントさんの中で消化し、統合し、さらには実際にその「組み合わせ爆発」を描写してのけている―― 一奥も通じる、しかし大いに見習うところですが、本作では1章1章ごとの一連のイベントの後の「リザルト」の描写に本当に大きな力を割かれています。
もはや何種類の元ネタからオマージュしたであろう、膨大な「スキル」やら「能力」やら「特性」やらを、それぞれのキャラクター達の性格とともに描きわけつつ、その上でさらに彼らを交わらせる形での、やりこみ系ゲームにおいてデータを眺め組み合わせさらにそれを試しつつ、しかし一度選んだら戻せない選択に悩みながら……という過程が、優柔不断な主人公だからこそ、その目線をも通して「俺ならこうする、なるほど主人公はそうたいのか、ああ作者はこんな選択も仕掛けていたんだな」という視点で、ともに楽しむことができるのです。
プレイしてみたいゲームだなと思わせるような世界観でありながら、その上で、実際にはプレイしたりあれこれ「ビルド」を試すことのできない読者の立場でありながら、クラントさんが作者として実際に「代行」しているかのようなその膨大な試行錯誤とリザルト・リワードの丁寧な描写は、古参のキャラクターを良い意味で何度も循環させることに役立っている。
よく、ゲームなり漫画なりで序盤の強キャラがインフレについていけずに……というのが、新たな能力の覚醒によって再び最前列に躍り出るということもありますが、そうしたカタルシスもまた本作の中では説得力と安心感を持つ形で何度も何度も繰り返されています。
だから、物語の中で主人公がどんな選択をするのかという、後で語る一奥が本当に目を離せずに展開を見守っている件とともに、一つ一つ、確かに新しい要素が手に入れられつつ、そしてそれが主人公と彼を取り巻く者達の中に統合されていき、つまりそれがどんな道を開くのか、そしてその先に何を想起させられるのかということに大きな大きな期待を感じさせられるのです。
ある意味、連載性の中で読者と共に歩いていく「なろう小説」って、そういう日々の期待感を保ちながら進めていくことが大事でもありますよね。そんな読者兼作者的な視点でも見つめながら。
そういう意味でいうと――例の白いコウモリ……じゃなかった、ウサギ君が作品内にもたらしてくれている「混沌」の具合と塩梅もまた、本当に心地よい。
この手の設定を凝っていく、組み合わせ爆発を楽しむ類のものだと、読者の側としても訓練されていったりして時に作者の想像力を超えた指摘やツッコミなどを入れてくれることにもなるのかなと思っていますが、そこに対して、封神演義やら西遊記やら東遊記やらから持ってきた要素がとてもいい味を足している。
それは、先の白い原初の混沌……を体現しているかもしれない、作中屈指のアイドルたる某ウサギをして、ほどよく、斜め上かはたまた下にこの作品の「設定」にランダム性を与えているようにも感じていて、それがまた読み手としての想像力を刺激するわけですから。
一奥や、一奥と好みの近い世代・層からしたら、本作は本当に読んでいて楽しい。
そう自信を持ってオススメできる作品です。
そして――。
【以下、序盤のネタバレあり】
以下は、まだ読んでいない方は、騙されたと思って第1章だけでも読み終わってから、読んでいただくことをご推奨いたします。
https://ncode.syosetu.com/n2250fy/
本作で主人公は、最序盤に、1つの大きな罪を犯しました。
最愛のヒロインとなり得た存在を、様々な要素が悪い方向に織り合ってしまった結果ではありますが、殺めてしまったことです。
そして、作者様はそれもまた主人公の”俗物さ”や”弱さ”のたまものによるものであると、ある種意図的な矮小化と相対化を仕掛けられていますが――だからこそ、それがとても、とても心に来る。
いっそ、本作のそうした本質的な重さとダークさを払拭するためのバランサーとしてすら、前述した「俺の好きな設定(以下略」を楽しく、期待度高く描いていらっしゃるのかと思ってしまうほど、これは重いテーマです。
そして本作は、しかし、そのヒロインが死んで終わって通り過ぎられた過去……としては扱われません。
彼女の存在は、その悲劇は、その後の主人公の行動と物語の道行きに、否が応でも大きく大きく関わっている。その重要な分岐の際に、事あるごとに、何度でも蘇ってくる。
本作執筆時現在で、第677話ですが、現時点で未だに主人公はその「みそぎ」を終えることができていません。目を背けているようで、俗な望みに全意識を向けているようで、しかし、それは彼の中にもはや使命と呪詛の中間的混合物のように残り続けており――第1章の展開に衝撃を受けた一奥には、それを忘れることはできないのです。
それがどうなるのか、見届けたい。
それがどう描かれるのか、見果てずには死ねない。
そんな焦がれるような心地で、いっそ本作に惚れているのは、本当はそこなのですから。
この点をもって、一奥は、作者クラントさんが意図的にそう仕掛けられている「主人公が俗物」であるというご視点を、ある種の仕掛けであると勝手に納得しております。
人は誰しも動物的欲求から完全に逃れることはできません。
その意味において、聖人君子が限られた存在である昨今、我々は誰しもが俗物です。
しかし、その「俗」なるを「弱さ」と重ね合わせた際に、我々は主人公に感情移入をしつつも、その「俗」なる弱さを動物的知的生命体であるが故の仕方無さとして、己の生と折り合わせていくことができなかった――使命と呪詛と悲恋の中間的混合物によってそれが「罪」として焼き付けられた、本作主人公の姿に心を打たれてしまう。
だからこそ、俗に重ね合わされた弱さが「罪」の泥沼に漬けられたその中から、何か、儚いようでいて、しかし大切な何かがそこに宿っていること、生まれかけていることを感じ取るのかもしれません。
それを「強さ」と名付けるべきでしょうか。
チート能力があるからこその「強者」の贅沢な悩みだ、と身も蓋もなく切り捨てることもできましょう。しかし、それをいうならば、現代日本に生まれた私達はすでに親だか国だか時代だかのガチャにおいて、すでに同時代か同世代かの誰がしかに対してすでに「チート」とみなされるほどのものを持っているわけであって――苦しみは、人が己のできることとできないことと、そして「しなければならないこと」を悩みながら選び取るという極めて人間的な、古代の賢哲が喩えた飢えた賢者的な、そんな営みを確かに備えていることの証左であって、だからこそ「チート」がそこにあるかどうかは関係が無い、そう思うのは一奥だけでしょうか。
ならばこそ、主人公の、個々の行動だけみればまるで我々が自分のかつての(あるいは今の)「弱さ」や「狡さ」を鏡写しにされているかのような「俗」っぽい姿が――しかし、本当に大事なところを、どんなにそれが周りや状況に押し付けられたものであると本人が(誰に対してかもわからぬ)言い訳をしていたところで、確かに、彼の行動と歩みの中において、その一番大切なところが、第2章から先の展開で押さえられていっている。
俗さと、弱さと、狡さと、醜さと、それらが生み出した罪という泥濘のそこに芽生えた――花開くかどうかもわからないその頼りない、しかし確かに根を這って伸びようとする芽を、一奥は「強さ」と名付けたいのです。
本作の続きが、いつでも待ち遠しいですね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
どうか、少しでも興味をお持ちいただけましたらば、掲載したURLから本家作者様の作品へ。
「いいね・★評価・感想・レビュー・SNSフォロー」などによって、この素敵な作品を投稿してくださった作者様に、「震わせられたよ!」という思いを伝えてあげていただけたら、一奥もまた心から嬉しく思います。