0004 『葦原星系から空を越えて ―星間航行士ルイの文明再生記―』(作者:葦原ナナシ様)
◯作品名:葦原星系から空を越えて ―星間航行士ルイの文明再生記―<Web小説>
◯掲載媒体:
なろう:https://ncode.syosetu.com/n5231hi/
◯作者:葦原ナナシさん
◯連載状況:現在、連載中(本稿執筆時:243話まで)
※一奥の過去のイチオシレビュー
『SFとファンタジーと伝記とジュブナイルと戦記を兼ね備えた贅沢な逸品 ~ 文明の再生とは、自己の成長であり、過去との遭遇と未来との再会である』
エルフが、魔法が登場する、中世を思わせる停滞した世界で最新鋭のSF兵器で無双――とか言えば耳良いかもしれませんね?
ですが「そんなもの」は本作では"客寄せ"に過ぎない。
SFとは、単なる先端技術知識の宣伝紹介文ではない。
――どうして「そう」なった?
――何があって「こう」した?
そんな数多の「何故?」を探求する旅でもある。
誰の旅かって? 主人公の、です。
これは、超科学技術の利器を扱えるだけの凡人に過ぎない主人公が、いかにして「復興者」となっていくかの成長の物語。
当たり前に抱いてきた認識そのものが、積み重ねられた歴史の先端にあると知っていく、そんな探求の物語です。
だから、あえて本作を「歴史ジュブナイル」と評しましょう。
己の生きる意味を見出していくことは、世界の成り立ちを探求していくことと、比喩でもなんでもなしに、高度に比例するものであるが故に。
***
<以下、本文>
本作に初めて触れた時、一奥の中に生じたのは「これってあの世界観だ!」という興味でした。
読む人が読めばわかりますが……ぱっと、思いつくだけでも、ナナシさんがモチーフにされたであろう"元ネタ"群はいくつか挙げることができます。それはSF作品であったり、あるいは界隈で知る人ぞ知る奇特な設計のゲームであったり――。
ですが、それだけで終わっていれば、本作は単なる、好きな世界観を文章化してみただけのよくある作品、で終わっていたでしょう。無論、それだけでも、基礎的で確かな文章力には一種の保証があるため、それなりに楽しんで読むことができたでしょうが。
しかし、一奥がこういう反語的な書き方をしている、本作はそれだけで終わることはありませんでした。
端的に言えば、そこに「何故?」という探求が込められていたからです。
この物語の背骨と脊髄と、その中をきっと通って束ねられているであろう神経の塊のその中に宿る、作者とそして物語の精神として――「何故?」「どうして?」「なんで」が、ある。
どうしてそうなったのか?
何があってそこに至ったのか?
そんな一貫した「問い」が、本作の根底に宿っているのです。
決して、構想し設計され描き出された世界観の、大道具から小道具に至るまでもが、単なる雰囲気出しのためだけの表面だけの飾り付けではない。(少なくとも作者の心意気として、そう在らんとしている)
だからこそ、物語の中でできる"出来事"には必ずそれに至る背景があり、経緯があり――きっとその一つ一つがそれぞれに長編の物語となるような――だから、だから、今はこうであるというそんな『歴史』がある。
そして、そのように丁寧に、しかし真摯に探求され造形された世界だからこそ、主人公ルイが成長していく過程が光るのです。
彼は巻き込まれ型の主人公です。望んで事故に巻き込まれたわけでも、望んで彼の本来の生活圏からしたら極めて"原始的"な世界の、その争いに身を置くようになったわけでも、ない。
そこには「無双」すらもが空虚な、ある種、隔絶した文明間の存在同士における無自覚なる「むとんちゃくさ」すらあったわけですが――しかし、関わっていく中で、そうした世界の様々な出来事から"謎"が見出される中で、主人公がそれを探求し掘り起こしていくこととなる。
……そしてそれは、そのまま自分自身と向き合うということに他なりません。
だって、そうでしょう?
何かに対して、相対するということは、己が何者であるのかという確かな基盤の上に立たなければたちまちのうちに圧倒されて押し潰されるか、吹き飛ばされて置いていかれてしまうようなものなのだから。
ただの乗組員に過ぎなかったルイが、しかし、異なる惑星の異なる文明における"復興者"となっていくのは、ただ賢しらにいくらかの「先行知識」がある程度で、到れることのできる境地ではないし、変わることのできる心理でもない。
そこに、確かな成長が描かれているのです。
故に一奥は、イチオシレビューで本作を「歴史ジュブナイル」と評しました。
これは、いわゆる"セカイ系"を言っているのでは、ありませんよ。
世界の問題を矮小化せずに、己の問題とリンクさせて向き合うこと。
そしてそれは同時にまた、直面する世界の問題の中に希釈されずに、己の問題を確かに乗り越えていくことそのもの。
ナナシさんが、作者マイページで語られていた熱意に動かされて書いたレビューではあります。しかし、それは同時に一奥もまた似たような思考を抱いていたから。
――なるほど、これが「SF」であるか。
――少なくとも、葦原ナナシという作者さんが思想する「SF」の在り方であるか。
歴史という言葉を多用していますが、ここで意味しているのは、いわゆる"技術"であったり探求であったりということそのものであり……そしてそれが何世代も経て連綿と続いていくという営みの総体そのものであると受け止めていただいても、良いのかも知れません。
これは、探求と探索の物語です。
これは、歴史の物語であり、ほんの少しだけ斜めにずれているものの、しかし、直線の軸の範疇にはあるであろう、過去と未来が遭遇して今を象っていく、そんな浪曼が秘められた物語であり。
だからこそ、説得力を持って、まっすぐなしかし嫌味ではない主人公の成長を楽しむことができる物語なのです。
――こう言うと、全然、あらすじを読んでみた印象と違うでしょ?
本稿執筆時点で、物語も大きな佳境を迎えています。
つまりこれからが、一番面白くなるところである。
どうか、一緒にこの物語の続きを楽しみましょう。
<追伸>
完結後に、多分、本稿を更新するかもしれません。
一奥のレビューもまた生きた文章であるが故に。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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