0002 『ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~』(作者:冬塚おんぜ様)
◯作品名:ダーティ・スー ~物語を股にかける敵役~<Web小説>
◯掲載媒体:
なろう:https://ncode.syosetu.com/n2858dc/
◯作者:冬塚おんぜさん
◯連載状況:完結<令和5年5月7日>
※一奥の過去のイチオシレビュー(本文と同時作成)
『泥をぶっ被る矜持がわかるなら、情けを捨てて全力でかかってこいよ、このお人好し ~ かつて正義と信念に生きる者達のために、"彼"ほど、優しく厳しい敵役がいただろうか?』
物語には、いつだって正義の味方と、悪い敵役と、逃げ惑う被害者がいる。
どうしてそうなるかと言えば、そこに、どうしたってそうなっちまった"必然"があるからだ。
だが、逆に言えば、それってそういう"必然"が無ければ、出し切ることもできなかった残尿が残り続ける……ってことだろ?
そいつは、いけない。
そんなんじゃ、世界は尿毒かそれとも思い切り質の悪い煙草を吸ったみたいに、体中発癌まみれでぽっくり早逝さ。
――だから、必要なんだ。
正邪是非を問わず、中途半端さって奴を燻して追い出してやる「ダーティ・スー」がな?
敵役の"過去"も"事情"も気にするなよ。
そいつは、墓参りの時までは無用の長物さ。
感傷に浸っていたら、物語の背表紙についた火を消すのが間に合わず、全てが煙浸しになってしまうぜ。
***
<以下、本文>
彼は「ご機嫌よう」と云う。
彼は「俺だ」と云う。
誰もが知っていて、しかし、同時に誰もがその実態を知らないという類のものは世の中にいくつか存在するが、例えば"煙"などはその類だろう。
形が無い。不定形。捉えどころが無く、変転にして自在であり、気づけば現れて、気づけば消えている。
――"彼"を表すにはそんな言葉が相応しい。
どこにでも入り込んで立ち込め――どこかの諺のように、そこに火が燃え広がることを予見する、そんな存在である。
では、彼は"火"を、人の世、物語の世に起きる出来事を解決する存在であるのか?
そうではない。時に、充満する密室の中で行き所をなくした煙のように火元を圧殺してしまうことがあるかもしれないが、それは結果的にそうなったというだけのこと。
きっと正義や正義が現れて、火元の火を消し飛ばしてしまえば、そこから立ち込める煙などというものは最初から存在しなかったかのように消え失せてしまうに違いなく、相違がなく、違和がない。
彼――ダーティ・スーの存在と共に。
彼は悪を語る。彼は善を語る。
彼は正義を語り、彼は偽善を語り、彼は無為と無常を語る。
彼は己の存在を五里のその先まで覆う霧が如くに騙ることによって、分厚く覆うことによって、だが逆に勇者や英雄達が必死にならざるを得ないようにするのだ――何故か?
火気とは、火元とは、下手に弄び下手に触れれば大火傷をするものだからだ。
こう云うと、まるで"彼"から『ママに教わらなかったのかい?』というジャズ音楽のようなジャブが飛んできそうであるが、それが彼の在り様なので仕方がない。
だが、神話構造学にでも登場するような、いわゆる"トリックスター"とも彼はちょっと違う。
それは死なないが故の開き直り的な諧謔の体現に徹しているというわけでもなく、己が成し得なかったことに対し、己以外の成しうる者が現れ、彼の者が、己よりもほんの少しだけ「火」に近づける者達が、しかしその「火」の意外なまでの火勢によって怯んでしまわないようにしている、そんな祈りにも似た行為であるのかもしれない。
祈りの場では、トリップし瞑想の境地を高めるために、香草を炊くのが当たり前だろう?
そこでも、ちょっと甘ったるすぎて"彼"の趣味ではないかもしれないが、煙るその灰白色の靄と霞と化学物質の中間的混合物は大いに立ち込める。そしてそれは、人の眼から鼻から入り込んで胃液と混ざって、最高かまたは最低にハイでダウナーな気分にさせるものなのだ。
偽善を論じ、偽悪を論じる彼の流儀からすれば、ちょっと迷惑で爆笑しながら苦笑してしまうような"召喚"の仕方かもしれないが――そこに敬虔ささえあれば、彼はきっと嗤って許してくれるだろう。
彼は試す。自分だけではなく人を。
それは足を切るためではなく、仮に足を物理的に切るのだとすれば、誰かが暴走した馬車のように崖からわけも分からず飛び降りないようにするためという合理的な理由からだろう。
正義だ、悪だ、勧善懲悪だという物語が成り立つのは、コーヒーだか紅茶だか緑茶だか烏龍茶だかを、日々日常の中で当たり前に嚥むことのできる、そんな規則正しい生活と社会と歴史的裏打ちがある時代のみであると、彼は知っているのだ。
故に彼は"ダーティ"なのである。
古代の演劇で悲喜を司る、機械仕掛けの神にすらなることができず、誰かの内側でどうしようもなく溜まりに溜まってしまったモノが形をなした、この世の全ての"スー"を、その風船に針でつんと突いて中身を溢れ出させることで――パンドラよろしく、その内側の内側で本当に残った純なるものを知らしめる存在なのだろうよ。
だって、パンドラの箱ってそういう話だろう?
劣情も、憤怒も、悪意も、嫉妬も、7つだ9つだか知らないが、ありとあらゆる邪なるものだか美徳なるものだかが燃え尽きて、焼け落ちて、全て煙って世界に充満してどこかに流れて蔓延りさった、その燃え殻の中でたった一つだけ残っていた、似ても妬いてもフライにしてもどうしたって悔えない、そんな残り滓が、手前の中にあると知るには、燻してもらわないきゃどうしようもないだろう?
だが、燃されて燻されて、それでもしぶとく残ってしまった、腸の中のクソのその中にただ一欠片だけ残っちまった、そんな"意地"があるというのなら、そいつは煙に巻かれることなんてのはないのだ。
"彼"に惑わされて、自分がどこに立ってるか分からなくなってしまうなんざ三流。
"彼"の偽悪に相対して、どうして彼がそうしているのかを悩んでしまうのも二流。
これは物語がどうにかなるかもしれないという瀬戸際で、尻の代わりに本の背表紙におっかない"火"が着いてしまったのだから、ヘラクレイトスがぼさぼさの禿頭の中で論じるまでもなく、自然にそうなって自然に配役が決まってその中で踊るしかない、そういうことをわかっているかどうかだろう?
誰もやらないから、彼が現れるのだ。
不気味な泡のように浮かび上がるような、そんな高尚――いや、深淵の共有意識から現れるような高級い存在じゃないことなんて、彼は自覚しているのだから。
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