階級
明は平和主義だと自負している。自分が頭を下げれば、謝罪の言葉を口にすれば丸く収まるのであれば、何度だって頭を下げ、謝る。
(――それにしても、)
明はなるべく申し訳なさそうに見えるよう、背を丸めながら考える。
(随分ヒマなんだなぁ。)
よくもここまで口が回るものだ。二級外交官である自分の苦労と功績が、ただの四級掃除官である明とはいかに違うかをペラペラ並べ立てている。
やけに声が大きいので、巻き込まれたくないのだろう、遠巻きであるがいつしか人目を引いていた。
ベチョ。
俯く明の視界に、男から唾が廊下に吐きだされるのが見えた。
「………。」
「ユドウサマ!」
ルンバが思わずといった声をあげる。
この小太りはユドウという名なのか、と明はここで初めて知った。
「フン!掃除班に仕事をやったんだ。むしろ感謝するんだな。」
「しかしユドウサマ、いかなる理由があってモ神聖な社を故意に汚すだナンテ……。」
「式風情が俺に口答えするのか!」
「ユドウサ……、」
マッ。
そう発しながら白く平べったい友人が、数メートルほど吹っ飛ぶ。
明はしばらくぶりに頭をあげ、ユドウをまっすぐ見据えた。
「…………。」
「なんだ、その生意気な目は!」
ユドウの怒鳴り声にひるむことなく、じっと見つめる。
明の目は平均的な黒色だが、光の加減で朱に光っても見える。
炎のような揺らめきにユドウがたじろいだ。それを誤魔化すかのように、明のポニーテールを掴み、引っ張った。
明は鋭い痛みを感じたが、ユドウから目を逸らさない。
そんなことどうでもよかった。
「反抗的な目をしやがって。俺に口答えする気か!?」
ユドウは髪を掴み、引き寄せた明の鼻先でなおも怒鳴り散らす。
強く握られたせいで明の髪が何本か引きちぎれ、廊下に落ちた。
さすがにまずいと思ったのか、集まってきていた群衆がざわついている。
どこかから、上官を呼んで来い、と声が聞こえた。
もう少し耐えていれば、まもなく呼ばれた上官にこの場は収められるだろう。
でも明にとって、そんなことすらもはやどうでもいいことだった。
掃除班だと馬鹿にされる。
どうでもいい。
唾を吐かれる。
どうでもいい。
髪を掴まれる。
どうでもいい。
式神は神とついてはいるが、人間に使役される存在だ。人型の上位の式神ならともかく、ルンバのようなちいさな式は下位の存在だと扱われることは決して少なくない。
でもルンバは明にとって人間か式神かは関係なく、友だ。
明は、平和主義だと自負している。
だが今、この脂ぎった豚野郎をぶん殴ってはいけない理由など、明にはわからなかった。