【SS】カニは駄目だ
他人に素顔を見せることのできないユーグリークは、元々食べるという行為に対し、手早く必要な栄養さえ吸収できればそれでいい、というような考え方をしていた。
実家、もといジェルマーヌ公爵領に帰れば、息子を可愛がりたい両親がせっせとあれもこれも食べさせるのだが、一人きりでは豪勢なメニューを用意したところで空しいだけ。
そんな彼が、品目に拘ったり、時間をかけたりする楽しみを覚えたのも、エルマという存在が現れたためだ。
あのサンドイッチばかり作らせていた坊ちゃまが、料理長に、
「いつもエルマとの晩餐会は早く終わりすぎるから、食べるのにちょっと手間のかかる物を作ってくれ」
なんて注文しに来た日には、階下が祭り状態になった。
が、今まで凝っても手を抜いてもノーリアクションで張り合いのなかった坊ちゃまの美食の目覚めに、階下一同はいささかテンションを上げすぎた。
「食べるのにちょっと苦労するけど美味しいと言えば――カニでしょう! ちょうど旬だし!!」
「本来貴族流を意識するのであれば、上品に食べられるべき――しかし」
「カニは庶民風に貪りくらうのが一番美味しいはずだなあ。大丈夫だあ、お嬢様はその辺寛容だあ!」
エルマもユーグリークも、貴族の型にそこまで拘る人間ではないのは事実だった。
もちろん階上の人間を満足させることが最優先だが、同じ屋敷で暮らしているのだ、主人が食べ物に興味を持ってくれれば、その分使用人達もより食べがいのある物にありつける。
つまり彼らはここぞとばかりに、普段自分たちが食べたいと思っているメニューを選んだ。
目先の欲望に負けた結果、どうなったか。
幸いにも、最も満足させなければならないお客様は、初めての味をとても気に入られたらしい。
「あんなに美味しい物がこの世にあったなんて……!」
と感激し、ぴょんぴょんふわふわ、ほろ酔いにも似た足取りで帰っていったので、大丈夫だったのだろう。
問題は発注者だ。
「確かに手がかかるけど美味しいものだったし、目を輝かせてカニをつつくエルマは可愛かった。うん。でも……全然喋れなかったな……」
坊ちゃまはただ単に美味しくて時間を潰せる料理を求めていたのではなく、歓談の楽しみを求められていたのだ。
そうでした、カニは人類から言語を奪う悪魔の品でした――と深く階下は反省し、リベンジを誓うのだった。