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落下

「うわぁぁぁぁ!」

「きゃはーっ!」


 ものすごい勢いで井戸の底に引っ張られながら無意識に悲鳴を上げたのを自覚すると、同時に自分のものではあり得ない妙に弾んだ悲鳴が聞こえてきた。


 ……お前の悲鳴と私の悲鳴では種類が違うよなっ!?


 顔にぶつかる風が強すぎて目を開けることもできないが、とりあえず、真っ直ぐ落ちているのだろうなということが、意外と冷静な頭に浮かぶ。


 ……どうする!? どうする!?


 このまま落ち続ければ井戸の底に激突してしまう。このスピードでは恐らくケガでは済まないだろう。


 ……落下が速過ぎるっ!


 激突までの猶予はもう、きっとほとんどない。


 ……あの子どもは…………!?


 口を開けていられず悲鳴すら出なくなった中、あの子どもがどうしているのか確認することもできない。


 ……さすがに怯えていたり……は、しないかな。


 先ほどの悲鳴と呼んで良いのかすら微妙な悲鳴を思い出して一瞬げんなりと力が抜ける。と、体に軽い衝撃を感じる。衝撃というよりは、むしろさっきから体中に当たっていた空気の衝撃が消える。


「……え?」


 体が何かに受け止められたような柔らかいような頼りない感触。


 ……いや……え? むしろ何にも触れていない……?


 柔らかく受け止められたのではなく、激しくぶつかっていた風がなくなっただけだと気付く。


「…………え?」


 ハッと目を開けて、同時に、手足が何もない空間をバタバタと泳ぎ、どこにも触れることがない不安定な感覚に一気に恐怖が増す。


 ……え……なんだ……これ……。


 急速に早鐘を打つ自分の心臓を意識しながら、恐る恐る周囲を見渡す。


 ……なんだ? ……何が起こってるんだ……?


 案の定、周囲には何もない。ただの空間に、自分が浮かんでいる状況を確信する。


 ……いや、待てよ? そんなはずはないよな?


 手足を動かしてもどこも何に触れることのない、普通なら考えられない状況に、頭が軽く混乱する。触れるものがないと、自分が今上を向いているのか下を向いているのか、どちらを向けばいいのかすら分からない。分からないという状況が、更に恐怖を呼び寄せる。


「ふはぁぁぁっ」

「ハッ! え? お前……!」


 ……そうだ! こいつがいた!


 子どもの間抜けな声に、縋りつくようにそちらを振り仰ぐ。その時と場合をわきまえない見事な間抜け声に、冷静さを取り戻す。


「……これは…………なんだ?」

「ん~? 空気じゃないかなぁ」


 思わず漏れた独り言だったが、子どもが拾って答えを明かす。


「…………空気?」

「さっき、下にいっぱいためたんだよ」

「………………」


 ……いやいやいや。待て待て待て。…………溜めた? 下に? ……空気を?


 意味が分からない。


「……どうやって?」

「しんじゅで」

「…………そうだろうな」


 それはそうだろう。むしろ、お前に他にできることがあるのかと聞きたい。


「じゃなくて! どういう原理なのかを聞いてるんだ」

「え? げんり? ん~……ええっとねぇ……空気をギュっておしこんでねぇ……もっともっとギュッギュッてするかんじ」

「………………」


 つまり、外から井戸の中に空気を流し込んで、密度の濃い空気を生み出したということだろうか。


「……つまり…………空気がクッション代わりになっている……?」

「あ、そうそう」


 かなり懐疑的な呟きだったが、子どもはなんてこともないように軽く明るく肯定する。


 ……いやいやいや。そんなことが可能なのか?


 私は神呪師ではないが、そんな話は聞いたことがない。


 ……空気の上に乗ってるんだぞ? 空気だぞ? 有り得るか? …………こいつなら、有り得るのか?


「…………便利だな……」

「うーん、でも、こういうとこでしか使えないんだよねぇ」

「ああ……」


 たしかに。

 空気を狭いところに詰め込んで圧縮しようという発想だ。つまり、狭い空間の中でしか使えない。建物の屋上から落下する時などには使えないということだ。


「それに、ふたしてないからすぐに出ていっちゃうしねぇ……」

「…………は?」


 まるで、飼っているペットがすぐに外に出てしまうとでも言うような軽い口調で子どもが言う。

 一瞬聞き流しそうになったその言葉の中身が、一瞬頭に引っ掛かって凍り付く。


 ……出て行く…………?


「…………何が、出て行くんだ?」


 頭と共に凍り付いたように強張る顔を自覚しながら、恐る恐る口を開く。


「え? くうきだよ?」

「………………空気?」

「うん」

「…………どこの?」

「ここの」

「……こことは……この、下?」

「そうそう」

「早く言えーーーっ!」


 蓋をしていないから、外から集めた空気はすぐにまた外側に逃げて行ってしまう。つまり、今、この空中に漂っている現象は、その逃げ出して行こうとする空気に押し戻されての状態というわけだ。


 ……つまり。


 圧縮された空気が私たちを避けて外に出てしまえば、また普通に落下することになる。


「どうするつもりだっ!?」


 ザッと一瞬で血の気が引くのを感じながら、子どもに怒鳴るように聞く。


「わかんない」

「はぁっ!?」

「だって、お兄ちゃんがじゃまするんだもん」

「……っ、誰がっ!」


 そう言い合う間にも、止まっていた落下が少しずつ再会されるのを感じる。


 ……どうする……! ……どうするっ!?


 腹の底から湧き上がるように噴き出してくる恐怖を抑えて必死に頭を巡らせる。


 ……まだスピードは上がっていない。かなりの距離を落ちたはずだから、底はもうすぐのはず。


 もしかしたら、普通に落下してもケガで済むかもしれない。


「おいっ、頭っ、頭が下にあるのはマズイ!」

「あたまぁ?」


 私自身は剣や護身術の訓練を受けているので、ある程度の衝撃ならば、受け身で流すことができるはずだ。


 ……こいつは……できないよな。きっと。


 とりあえず、子どもの現状を把握しようと振り仰ぐと、両手両足を均等に開き、ハタハタとはためかせながら何やら神々しい程優雅に落下している姿が目に飛び込んでくる。


 ……なんでこの期に及んであんなに優雅なんだ…………。


 その楽しそうな姿に、もう悪態をつく気にもなれない。


「……おい。とりあえず、その優雅な姿勢はやめて受け身を取れ。分かるか? 受け身だ」

「うけみ?」


 子どもがキョトンとした顔で首を傾げる。落下のスピードが少しずつ上がっているせいか、ハタハタとはためく腕の動きが大きくなり、体全体が揺れ始めている。


 ……まずいな。


「頭を体の内側に丸め込んで体を小さくしろ! 体を丸めるんだ!」

「丸める?」

「そうだ! 頭を抱えろ!」

「ん~」


 んしょ。んしょ。と声を出しながら、子どもが一生懸命体を縮めようとする。だが、風の抵抗が大きくなってきていて、子どもの筋力では広がった手足を自在に操るのが難しいのだろう。スピードはますます上がっているのに子どもの体は一向に丸まらない。


 ……見えた! 底だ!


 子どもと井戸の底を交互に見ていた私の目に、底らしきものが飛び込んできて息を呑む。


 ……近い!


 見えた瞬間グングン迫って来る底に、一瞬にして焦燥感が沸き起こる。


「おい! こっちへ来いっ!」

「んへぇ?」


 そこまで迫っている地面に恐怖と焦りを覚えつつ、咄嗟に子どもの手を掴んで引き寄せ必死に抱え込む。抱え込んで、地面に叩きつけられる未来を予想した瞬間、全身に強い衝撃が走った。






「うっっっいっ痛……!」


 体勢を変えようと少し身を捩っただけで、肩から全身に貫くような痛みが走って息が詰まる。そのまま、激痛を逃すように体を強張らせ、詰めた息を少しずつ少しずつ吐き出し、また息を吸う。


「うぬぅぅ」


 自分のものではないおかしな呻き声が聞こえるが、とりあえず自分の痛みに精いっぱいで目を開けることもできない。じくりと涙が滲む。体中の筋肉が強張って呼吸するのでさえ難しい。


「……っうぅ……!」


 食いしばっが歯の隙間から声にならない呻きが漏れる。肺から押し出すように息を吐き、一瞬で吸ってまた止める。


 ……っいった……!


 何度か浅い息を繰り返し、徐々に体の力を抜く。体を走り抜けた衝撃はもう残っていないが、肩の痛みだけがまだ痺れるように残っている。


「……ハァッ、ハァッ、ハァッ」

「うわぁ」


 ようやく体の緊張が取れると、今度は反動で一気に筋肉が緩む。

 丸めていた体を開き、仰向けに転がると、何かが腕から転げ落ちるのを感じた。


 ……あ、しまった。抱えてたんだった。……ま、いいか。


 落としてはしまったが、コロンと転がった程度なのでケガはないだろう。それより、絶対に私の方が大変な状況のはずだ。


「ハァ、ハァ……」

「…………お兄ちゃん、だいじょうぶ?」


 私がそのまま目を閉じて荒い息を繰り返していると、責任を感じたのか子どもが覗き込んでくる気配を感じる。この子どもにも心配なんて感情があったのかと、妙な感動を覚える。


「…………だい、じょうぶ……たぶん……」


 ……とりあえず、命はある。


 最初の空気のクッションのお陰であまり落下距離がなく、衝撃は命に係わるほど大きくはなかった。子どもを抱えていなければもっと軽く済んだだろうなと思う。


 ……レクス辺りなら、全くケガもなく着地できたんだろうけどな。


 高いところから落下する想定をしていなかった。これからは、剣だけでなくあらゆる危険を想定しておいた方がいいだろうかと悩む。


 ……いや、まぁ、普通はこの高さから落ちたら対策を取るまでもなく死んでしまうんだろうけどな。


「そっか。んじゃ、行ってくる」

「待て」


 私が大丈夫だと聞いて、早速立ち去ろうとする子どもの服をガシッと掴む。


「何をするつもりだ?」

「え? それをこれからさがすんだよ?」

「………………」


 なんだろう。私はこの子どもを必死で守り、それが功を奏してこの子どもは特に大きなケガをするでもなく元気にしている。私はこの結果に満足している。私がやったことは無駄じゃなかった。なのに。


 ……なんでこんなに虚しいんだ…………。


「私が動けるようになるまでお前も動くのは禁止だ!」

「ええぇぇぇっ!」


 ……なんで私がこんな目に遭っているんだ!






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― 新着の感想 ―
[良い点] 昔は更にヤンチャすぎて笑えるww
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