予測不可能な子どもの行動
「はっ!? いなくなった!?」
おやつを従僕に持たせて戻って来ると、私が子守を頼んだ護衛騎士が小さく身を縮こませて報告してきた。
……せっかく食べさせてやろうと思ったのに!
今回は長旅になるので、普段私の料理人として仕えてくれている料理人を連れて来ていた。
本物志向なため、菓子は菓子屋だと穀倉領の有名な菓子店で修業したこともある料理人で、乾燥させた花餅を上手くアレンジし、飽きの来ないデザートを作ってくれる。
「ナリタカ様」
咎めるようなアルナウトの小さな声にハッとする。
「いや……。あれの護衛はお前たちの仕事ではないからな。気軽に頼んだ私が悪かった。焦慮させてすまない」
「いえ……私の配慮が至らず、申し訳ございませんでした」
私の言葉にホッとしたように護衛騎士が謝罪する。王族からの叱責は、時に人の命を奪うこともある。気を付けなければならない。
……こいつはこれでいいとして……。問題はあの子どもだな。
「それにしても、どこに行ったのか……」
「しばらくは近くに寄って来て見ていたのですが、そのうち飽きたようで、草や虫をいじり始め……」
「で、そのままフラフラとどこかへ行ってしまったわけか……」
「……申し訳ございません」
「いや、攻めているわけではない。あの子どもに関しては私も皆も手を焼いていたのだ」
「ああ……」
思い当たる節があったようで、小さく頷く。私の護衛騎士にまで、いったい何をしたんだ、あの子どもは。
「あの子どもは井戸に異様な興味を示していた」
「井戸?」
「枯れた井戸だ」
「ああ。そういえば、報告にありましたね」
私の言葉にアルナウトが軽く頷く。
「そもそも、この縄梯子もあの井戸に降りてみるためのものなんだ」
「なるほど。一緒に冒険してみようということっだのですな。……ププーッ」
とりあえず、わざとらしく吹き出すアルナウトの足を思いっきり踏みつけて、あの井戸まで戻ってみることにした。
「……いないな」
てっきり、自分だけで井戸に降りようとしているのだろうと思っていたのだが、井戸の周辺にも井戸の中にも子どもの姿は見当たらない。
「もう昼食の時間です。皆のところに戻ったのでは?」
「……あの子どもが規則正しい生活などすると思うか?」
「まぁ、そこは……世話係もいるわけですし」
「それはそうだが……」
「ナリタカ様も、そろそろ戻られませんと。時間がずれ込めばその分使用人の負担も増えますからね」
「……そうだな」
以前森林領にいた際に、従兄と2人だけ森で1週間過ごすという経験をしたのだが、それは大変過酷な難行だった。既に数回経験していたらしい従兄は、小屋も井戸もあるのだから良い方だと大らかに構えていたが、料理人どころか食料すらないのだ。従兄の作る、その辺に生えていた雑草や、手作りの罠で仕留めた穴ネズミの、味のないとても噛み切れない硬い繊維と肉が、胃と心に重く圧し掛かって来た。私はあの時以来、使用人という存在の尊さを噛みしめて生きてきたのだ。
「あの子どものことは、人をやって両親に聞いてみましょう」
「……ああ」
戻りながらも気になって後ろを振り返る私に、アルナウトが珍しく気の利いた言葉をかける。珍しいが、たぶん、いつも気の利いたことを思い付いているのに言わないだけだろうなと思う。私に付けられる部下は、何故か優秀な変人が多い。
「それにしても、ナリタカ様は随分あの子どもを気に入られたのですねぇ」
「いや、気に入ったというか……気になるだろう? あれは」
「まぁ、多少は。ですが、ナリタカ様は普段あまり他人に関心を示さないので」
「……そうか?」
「誰にでも丁寧な態度を取りますが、そこに区別はないでしょう?」
「………………」
「まぁ、悪いことではないのですがね。次期王候補としては。クァン様もその点については安心しておられますからねぇ」
「……クァンは用心深いからな」
「ええ。ですが、あまり行き過ぎるのも問題ですからね。そういう意味では、私もあの子どもが気にはなりますが」
……あくまで、私が基準ということか。
どうやら、私が主だということを忘れたわけではないらしい。
「小さい子どもと一緒になって大冒険……! プッ……ククク……」
……忘れてないのにこの態度!
「……ハァ。……ああ、そうだ。あの子どものことを聞くなら両親ではなく世話係の方が良さそうだぞ」
「……両親に何か?」
「ああ、いや、違う」
やや固くなったアルナウトの声に、誤解させたかと悟る。
「単にあの子どもが世話係に懐いているというだけだ」
「へぇ」
「あの世話係は世界一の保護者だと言っていたからな」
「ああ、なるほど。それでショックを受けたわけですな」
「は……? ショック?」
……誰がだ?
「おやぁ? ご自覚がない?」
「……はぁっ?」
揶揄するようなアルナウトの言葉に、少しカチンと来る。
「……あれが、あまりに世話係ばかり絶賛するから、少し懐疑的には思っているが、それだけだ!」
「世話係ばかり、ねぇ……ププッ」
「……うるさいなっ。お前も聞いてみれば分かる。世界一すごくて、王候補である私は、全く勝てないと言うんだぞ? 私が王になれば私が世界一なのに」
「まぁ、世界一というか……世界で唯一ですがね」
「1人でこの世界を支えるんだ。世界一で間違いないだろう」
「……ええ。……そうですね」
「…………いや……そう簡単になれるとは限らないが……」
私が王になるという話をすると、アルナウトはいつも顔を曇らせる。私の周りには、私が王になることを望まない者が多いし、それを大して隠そうともしていない。
……ということは、人選した父上も私が王になるのは反対か。
まぁ、それは当然といえば当然だ。私は次期王候補であると共に、穀倉領の領主である父のただ1人の子なのだ。穀倉領を継がせようと思うなら、私が王になっていけない。
……他のことは自由にさせてくれるのにな。
「……まぁ、とりあえず立場ではなく知識で勝てるようになろう。どうやら世話係の男は神呪だけでなく商いやら薬やら多方面の知識があるらしいからな」
「ププッ、対抗するわけですね」
「…………負けていると言われるのは不快だから…………は?」
笑うのを隠しもせずに先に歩くアルナウトの背中を睨みつけて何気なく振り返ると、井戸の縁に何やら布をよいせよいせと乗せている小さな影を見付ける。
……いや、どこから出てきた!?
布をある程度井戸の縁に乗せたところで今度は自分が縁に上る。小さい体を左右に捩りながら一生懸命上る様子がなんだか小動物のようで可愛らしい。
……とか言ってる場合じゃないよな!?
「あの……バカッ……!」
あの子どもが井戸の縁に辿り着いたらその後に取る行動など分かり切っている。
……絶っ対! 何も考えてない! 目の前の好奇心対象物以外、何も見えてない!
「え、え? あ、ナ、ナリタカ様!?」
後ろで動揺するアルナウトの声が聞こえるが、とりあえずあの子どもを確保するべく全速力で井戸まで駆ける。
……間に合うか!?
大声を上げて止めようかとも思うが、そのために走るスピードを落ちてしまうのは良くない気がする。あの子どもは私の制止くらいで行動を止めるような子どもではないのだ。声をかけるくらいなら全力で走って物理的に止める方が現実的だ。
……何故、危険だと分からないんだ!?
目指す先では子どもがようやく縁に上り切ったところだった。布を畳んで何か準備している。
……もう少し……!
子どもが畳んだ布で自分を包み込むようにして、端同士を結び始める。
「ん、しょ。ん、しょ。……よーし」
「よーし、じゃなぁぁい!」
井戸に向かって斜めに傾ぐ小さな体を受け止める。
「落ちるだろうが、このバカ!」
「……おあ?」
胴体に回した腕を引き寄せればそれで終わるはずだった。小さな軽い体だ。何も難しいことではなかった。特に危険なこともないはずだった。
「……あ、まちがえた」
「…………は?」
バランスを崩した体で、縋るように布を握りしめている子どもの間の抜けた声に、何のことかと疑問を抱いたその瞬間。
フヒューーー……
「……は?」
音が聞こえたと思った。風が耳元を通り抜ける音だ。そうして、その音に気を取られていた一瞬の隙に、井戸の中でそれは巨大な底流をなしていた。
ズオォォォッ!
「はぁぁぁぁっ!?」
「うわぉぉぉっ?」
突然、内側に向かってすごい勢いで空気が流れ込む。何が起こっているのか全く意味が分からないが、とりあえずお前はその間抜けな口を閉じていろと思う。
「ちょ、ちょ、ちょ、」
「うひょぉぉぉっ?」
……マズイ! 引きずり込まれる!
「誰か……! レクス!」
「ナリタカ様ーーー!」
聞こえてきた声は、求めたものではなかった。
……ああ、そうか。レクスはいないんだった。
護衛はレクスだけではない。私に負担をかけないよう、見えない形で付いていた護衛が何人もいたはずだ。だが。
……無理だ!
護衛が間に合わないのを察した瞬間、私の体は周囲の空気に巻き込まれるように、井戸の中に吸い込まれた。




