井戸端の攻防
「お兄ちゃんも入りたいの?」
井戸の縁をギュっと掴み、どうしたものかと必死に頭を回転させる私に向かって、その元凶が不思議そうに小首を傾げて聞いてくる。どこをどうしたらそういう解釈になるのか。
「………語弊のある言い方をするな。望んでいるわけではない」
「じゃあ、入らないんだね」
まるでどうでもいいとでも言うように、子どもが桶を持ち上げようとする。
「待て待て待て!」
「なに?」
……お前1人で下りて何かあったら、どうするつもりだ!
井戸の中になんて下りて不測の事態が起これば、それは死に直結する。そんなことも考えないのかと、キョトンとこちらを見る丸い目に苛立つ。
「……井戸の中に水がたまってたら、どうするつもりだ」
「だって、かれてるんでしょ?」
「井戸としては機能していないが、雨水が溜まっている可能性はあるだろう」
「ふーん……」
子どもが短い腕を組んで何か考える。パッと見はほんの小さな子どもなのに、その瞳だけが強い光を帯びていて、その異様さに息を呑む。
「あ、じゃあ、この石、おとしてみよう」
私の内心の動揺を余所に、パッと表情を変えた子どもが両手の平くらいの大きさの石を拾ってくる。
……音で確認するわけか。小さいのに意外と頭が回るな。
なのにどうして自分の身の危険には考えが及ばないのか。
「よいしょっ。じゃあ、落とすよー」
「お、おいっ……」
言葉だけなら確認を取っているようにも取れるのに、こちらの返事どころか反応を見ることすらなく、子どもが井戸の縁から無造作に石を投げ落とす。恐るべきマイペースさだ。
「………………」
「………………」
ゴッ、…………。
かなり長い時間を置いて、遠くで微かに硬い音がする。
「……きこえたね」
「……聞こえたな」
「じゃあ、入ろう!」
「いや、待て待て待て」
「なに?」
子どもが靴を脱ぎ棄てて桶に入る。手には何やら紙を持っている。
「どうするつもりなんだ? さっき桶に描いていた神呪はなんだ? その紙は?」
先日飛ぶ……というか浮いて弾き出された際に描いていた神呪はもっと大掛かりなもので、地面に描いていた。そのためにわざわざ先に神呪具を作り出したりしていたのだ。今回のものとは恐らく違うものだろう。
「先日のと種類が違うのなら、また先に実験をした方がいいのではないか?」
「だいじょうぶだよ。この前のはくうきをあつめてぱーってちらばすやつだったけど、こんかいはそれを2つつくるだけだもん」
「2つ?」
「そう。りょうほうからくうきをぶつけたらコントロールできるでしょ?」
「……それはお前が考え付いたのか?」
「ううん。おしえてもらった」
……やっぱりか。
先日依頼、何となく、この子どもの世話係の男に対抗心を覚える。あまりに無邪気に無条件に、一心に信頼しているから、逆に壊してみたくなる。そんな苛立ちが自覚できるからこそ自分が惨めに覚えて、更に反発したい衝動に駆られる。
「……それくらいの助言なら私でもできたけどな」
「でも、お兄ちゃん、しんじゅ、わかんないでしょ?」
「………………」
フンと鼻を鳴らす私に、子どもが容赦なく突き付ける。子どもはかわいいものだなんて、誰が言った?
「じゃあ、いくね」
「だから、待てと言っているだろう!」
「ええー? こんどはなに?」
「今度はも何も、私はまだ何も納得してないぞ!」
不服そうに振り返るこの無礼者には、誰かが人付き合いというものを教えてやらなければならないとつくづく思う。
「下に下りたいだけなら神呪は必要ないだろう。梯子か何かないのか?」
「あ、そっか」
子どもが、言われて初めて気付いたように目を丸くする。その目に微かな称賛が浮かぶのを心地好く眺める。
「お兄ちゃんて、けっこうかしこかったんだね」
……一言多いんだよ!
「ナリタカ様、申し訳ございません。この深さでは梯子の長さが足りないと思われます」
近場で作業をしていた衛兵を呼び、梯子を用意してもらおうとしたのだが、さすがに井戸の底まで到達するような長い梯子はないらしい。旅路なので当然だ。
「……どうにかできないか?」
桶や紙に何やら描き足している子どもに、チラリと目をやりながら聞く。梯子が使えないとなったら躊躇なく井戸に飛び込むだろう。というか、神呪が描けたらすぐにでも飛び込みたそうだ。
「そうですね……少しお時間を頂ければ縄梯子を作るという手もございますが……この深さですので、ある程度のお時間は頂けませんと……」
「時間か…………とりあえず、頼む」
「承知致しました」
とりあえず、子どもをこの井戸から引き離した方がいいだろう。あの井戸が見えているとすぐにでも飛び込んでしまう。絶対やる。
「おい。今から、縄梯子を作らせるから少し休憩してこい」
「なわばしご?」
「ああ。縄と板で即席の梯子を作るんだ」
「はしごをつくるの?」
……お?
子どもの目がキラキラと輝き、好奇心いっぱいの目で見上げてくる。これは使えるかもしれない。
「そうだ。今から作るそうだが、見に行くか?」
「いくいく!」
「おお……」
思わず小さく声を上げてしまう。この子どもがこんなに素直で可愛らしかったことが、未だかつてあっただろうか。
「縄梯子作りは少し離れたところで頼む」
「は? あ、はい。承知致しました」
「えーなにない?」
「いや、何でもない」
絶好の機会だとこっそり依頼したのだが、聞こえていたらしい。
……離れたところで縄梯子作りを見学していれば、上手くすればそのうち井戸のことは忘れるかもしれないな。良い傾向だ。
「よし、じゃあ、来い」
「はーい!」
明るい声で元気に返事をして、先に歩く私に小走りに追いついてくる。
「お兄ちゃん、て」
「て?」
「ん」
コクンと頷いて、小さな手をこちらに差し出してくる。
……か、かわいい…………。
なにやら胸がキュッと縮こまるような感覚を覚えながら、その小さく丸い手の平を見詰める。あまりの可愛いらしさに、まるで子どもの子ネズミ足音のように心臓が小さくトトトと音を立てる。
……小さい頃に買ってた木登りネズミみたいだな。
ちょっと悪戯好きだったりマイペースだったりするのもよく似ている。
……小さい…………。
その柔らかくて、小さな小さな手をしっかりと握り、縄梯子を作っている護衛たちの元へ子どもを連れて行く。
「時間がかかるそうだ。おやつでも食べるか?」
「たべるたべる!」
……今日は素直だな。
子どもの答えに大満足の私は、その場にいるように子どもに言い含めて、子守を護衛騎士に任せることにした。
今回の旅には料理人も同行しているのだ。王族である私のために作られたおやつなど、あの子どもも世話係の男も食べたことはないに違いない。
「ふ、ふふふ……」
子どもが感動に打ち震えるところを想像したら笑いが込み上げてくる。
「…………お兄ちゃん、どうしたの?」
「なんでもない」
……勝てる。
少し不気味そうな顔で見上げる灰色の瞳がおやつの感動に染まるのを確信した私は、優越感に浸りながら部屋に急ぎ戻った。
チマチマと書いているので、次の投稿が何日後になるか何ヶ月後になるか明言できません。すみません。
でも、忘れてるわけではないのでチマチマ投稿します。よろしくお願いします。