王族の価値
「私が落ちるのは見えていたはずだからな。そのうち助けがくるだろう」
作りかけの縄梯子を急いで仕上げる様子が目に浮かぶ。こんなことなら急いで作ってくれと頼んでおけば良かった。
「……それで? お望み通り底に着いたが、これからどうするんだ?」
心身ともに疲れ切った私が、手近な壁に凭れた状態で顔を向けると、子どもは何やらごそごそとカバンを漁り始めた。
……カバンを持っていたのか。
この準備をしていたから、私が井戸に行った時にはまだいなかったのかと納得する。さっきの空気の動きといい、どうやら思い付きだけで突発的に行動しているわけではないらしい。子どもなりの法則はあるのだろうが、それが常人の理解の範疇を超えているのだ。
……いや、超えるな。っていうか、それを教えるのが世話係の仕事じゃないのか?
「たんさく、たんさく」
……探索?
「いや、待て。この空間でランプは危険だ!」
子どもがランプを取り出したのを見て、焦って止める。人は空気がないと生きられないが、それは火も同じだ。どれくらい持つかは分からないが、この限られた空間で火と人が空気を取り合うのは良くない。
「だいじょうぶ。くうきを回せばいいんだよ」
「……は?」
……空気を、回す? ……循環させるということか!
軽い口調で返される言葉に、心の奥底から驚愕が沸き起こる。
「…………それは……世話係に聞いたのか?」
火が空気を必要とすることを、この子どもは知っていたらしい。その上で、空気を循環させれば人の生死にも問題は起こらないと言っているのだ。
……偏り過ぎている。
井戸が涸れたことで人々が困ることへの関心の低さと、この豊富な知識とのバランスがおかしい。
「世話係は……他のことを…………たとえば、親しい人物を失う悲しみのようなことを、教えてはくれるのか?」
「……したしいじんぶつをうしなう?」
「そうだ。たとえば……そうだな、祖父を亡くして貧しい暮らしを送る少年が、絶望の中飼っていた犬と共に凍えながらも、一目見たいと望んでいた素晴らしい絵画の前で感銘を受け、その後、なんだか眠くなってきたよと飼い犬と共に命尽きていくような……」
「……うーん? ……あ、えほん?」
あの、美しくも悲しい不朽の名作を思い出し、不覚にも目を潤ませ心を震わせる私を不思議そうに見上げながら、子どもがポンッと手を叩き、軽~い口調で答える。その軽い口調がなんとなく許し難い。あの物語は軽く明るい口調で語っていいようなものではなかったはずだ。
「……絵本? まぁ、絵本だが…………絵本は読むのか? っていうか、お前、あれを読んでどう思ったんだ?」
「え? えがじょうずなんだなって」
「………………」
たしかに、少年は絵が上手かった。画材も十分に用意はできないだろう中で、それでもコンクールに出展できるほどの絵を描き上げたのだ。だが、私が言いたいのはそこではない。
「……他には?」
「……うーん……わたしはしんじゅがじょうずだなって……」
たしかに、この子どもは神呪が得意だ。コンクール云々というか、恐らくすぐにでも王族間で取り合いになる程の能力だ。だが、私が言いたいのはそこではない。
「…………他には?」
「…………ええと……わたしはしんじゅがかけるから、たぶんまずしくはならないかなって……」
たしかに、神呪師はエリートだ。研究室に入る腕がなくとも、ある程度の動具が作れればそれだけで余裕をもって生きていけるだろう。だが、しつこいようだが私が言いたいのはそこではない。
「………………お前が自分から読んだわけではないんだな? 読めと言われたのか? 世話係に?」
「……うん…………。よめっておこられるの……」
「だろうな」
なるほど。このアンバランスさには世話係も気付いていて手を打っているらしい。それでも効果がないところを見ると、これは生まれつきの性格なのだろう。正直、あの物語に心を打たれない人間がいるとは思わなかった。先が思いやられる。
「……世話係も大変だな」
「そうだね……」
……しみじみ頷いてないで改心しろよ…………。
「あのおはなしはたいへんだよね」
どこからともなく取り出した神呪具で、ランプに何か直接描きながら独り言のように呟く。
「……何がだ?」
「えがじょうずだったのに、えしになれなかったもんね」
「……そうだな。惜しいところだったがな」
たしか、コンクールには落選したがその才能は買われていて、引き取られる予定だったはずだったのが、結局すれ違ってしまったのだ。そこがまた悲しかった。
「わたしも、しんじゅしになれなければしんじゃうだろうからね」
「…………え?」
薄っすらと浮かんできた涙を見られないように逸らしていた視線を思わず子どもの方に向ける。
「あ、ついた!」
あっけらかんとしたこの子どもに不似合いな言葉が耳に入って戸惑う私に、相変わらず飄々とした様子でランプを向ける。
……いや、火が異様に大きいな。大丈夫なのか?
「火をつけるしんじゅをちょくせつかいたの。……みんな、どうしてこうしないのかなぁ?」
先ほどの言葉など大した意味はないとでも言うように、ランプを見ながら首を傾げている。
……聞き違い、か?
「……火を点けたいもの一つ一つに神呪を描くには神呪師が足りないだろう。着火具が一つあって使い回す方が現実的だ」
「あ、そっか」
解決したことを楽しむように、そっかそっかと頷いている。その様子は如何にも無邪気な子どもで、そこにより一層の違和感を覚える。そして、どうでもいいがランプの灯が大き過ぎる。子どもの上半身くらいの高さまであるんじゃないだろうか。
「で? 何を探索するんだ?」
「いろいろ」
「いろいろ?」
「うん。なにがあるかたんさくするの」
明確に目的があって入ったのではないらしい。そんなぼんやりとした好奇心でこれだけのことをしでかす辺りが、本当に幼い。
……いや、好奇心が尋常じゃないのかもな。
ランプを片手に這うようにして地面や壁を見て回るその姿は異様で、まるで動物のようだ。一心不乱という言葉が正にぴったりで、恐らく話しかけても返事はないだろうなと分かる。
「……さっきのは…………」
返事はないだろうとは思いつつ、なんとなく気になっていることを尋ねる。
「どういう意味だ?……」
特に返事を期待しているわけではない。ただ、気になるだけだ。
「………………」
案の定、探索を始めてから一度もこちらを見ることもしない子どもからは、聞こえていないのか答えるのが面倒くさいだけなのか、返事は返ってこないし視線もこちらに向かない。
「……神呪師になれなければ……その、死ぬ……とか…………」
「………………」
特に深い意味はなかったのかもしれないとも思うが、それにしてもまだ4歳にしかならない子どもの口から出てくるには物騒過ぎる言葉だった。
「別に……神呪師でなくとも死にはしないだろう? 世の中では神呪師の方が少ないくらいだし……」
この子どもは、飄々として見えてそこまで追い詰められているのかと、得体の知れない不安のようなものが漠然と広がる。
「あ、分かった!」
「って、人の話を聞けよ!」
こちらは結構真剣に話をしているのに、全く通じない。私とこの子どもの間では流れる空気が全く違う。
「あー……やっぱり分かんないなぁ……」
「………………神呪がなくたって、生きていけるだろう?」
こちらの空気を微塵も気に掛ける様子の無い子どもに、なんとなく話しかける。相手が聞いていてもいなくても気にならない。とにかく、漠然とした不安というか焦燥感に似た感情を形にしたかった。
……王とは……なんなんだ?
王は犠牲だという。庶民には知られていないが、王族の中でそれは共通認識だ。誰も王になどなりたくない。だが、わたし自身は王がどうしてそれほど忌避される立場なのかが分からない。権限がないとか贅沢できないとか結婚できないとか、制約はいろいろあっても、それほど拒絶される程のものとも思えない。それくらい制約がある人生など、他にもあるように思える。王族の王に対する拒絶や憐憫はそういうレベルではないように思える。
「……王がなければ、人々は生きていけないんだ…………」
……お前は、違うだろう?
「しんじゅがないと生きていけないよ。みんな」
「……え?」
完全に独り言のつもりだったが、ちゃんと聞こえていたらしい。聞こえたら返事をするんだなと思う。
「だって、せかいはしんじゅでできてるでしょ」
「…………え?」
意味が分からない。たしかに、世界は神呪で作られたと言われている。だが、それは創世の話だ。今はもう世界は出来上がり、それを維持している状態だ。
「ぜんぶ、しんじゅでしょ」
「………………は?」
目の前の子どもが何の話をしているのか、本当に理解できずに頭が真っ白になる。
……いや…………理解はできるが……なんだ? どういうことだ?
「しんじゅしがいなかったら、せかいがこわれたときになおせないよ」
「……………………は?」
……なおす? 直す? 世界を? どういう意味だ?
「お兄ちゃんが王さまにならなかったら、せかいはこわれるんでしょう?」
「……え?」
今度は突然私の話になる。先ほどの話との関連が、見えるようで見えない。
「じゃあ、お兄ちゃんも、王さまにならなかったらうまれてきたいみ、ないよね」
「………………」
あまりの飛躍に唖然とする。思わず口をポカンと開けて見詰めてしまう。
……意味がない? 王になれなければ? いや、だが、王にならなくたって普通に仕事して……
「だって、王さまにならないなら、いらないでしょう?」
「…………え?」
……いらない? 何が?
「王さまになるためにうまれてきたのに、王さまになれなかったらダメでしょう?」
「…………なっ……!」
反論しようとして上手い言葉が見付からず、口を無意味に開け閉めする。
……王になるために、生まれてきた?
そう言われれば何も反論できない。王族と言うのはまさに、世界を維持するためだけにある血の制約なのだ。
……血を絶やすことが許されない。
王や補佐領主を輩出することが、王族にとって最も重要な仕事だ。それ以外の、例えば領地の運営などは、その能力に長けた者に任せればいい。だが、世界を支えるという仕事だけは、血がなければ行えない。
「……私には……穀倉領の領主という道も……」
「りょうしゅ?」
「領主だって、世界を支えるには必要な存在だ。王から5親等の血族からしか選ばれない」
「ごしんとう?」
「……遠い親戚だ」
「ふぅん。じゃあ、それになれたらいいね」
「………………」
……補佐領主は6人。王と合わせると7人。
つまり、王族として生まれたからにはその7人のどれかになることが最も相応しいということだ。だが、5親等は意外と広い。王族として生まれても、王にも補佐領主にもなっていない者は何人もいる。
……そういう者に求められるのは……血を残すことだけ、だ。
死にはしない。
王にならずとも、死ぬことはない。だが、ではなぜ王族として生まれたのかという疑問はきっとずっと自らに問い続けるのだろう。そして、子を成せばそれで自分の存在意義を肯定できるかというと、そういう気もしない。
……死ぬことはない。だが。
「……そうだな」
自分の存在に疑問を抱かずに生きて行く一番の近道は、なるほど王になることだと思える。そういう意味では、たしかに、王になれなければ生きていると言えなくなるような気がしてくる。
「……私は王族として生まれたのだ。……王にならねばな」
人々の世界を保つには、どうしても、この世界は王を戴かなければならない。
「…………だが、お前は王族ではないだろう?」
自分の将来を思って自然と重くなる思考を振り払おうと、子どもの方に話を戻す。たしか、先程おかしなことを言っていた。
「神呪師は……言ってみれば、ただの職業だ。……たしかにお前には才能があるが……なれないからといって責められることでも……ないだろう」
神呪師に囲まれて育ったこの子どもにとっては、神呪師というのは世界の全てかもしれない。だが、世の中は広いのだ。できれば、将来私が支えるこの世界で、人々には自由に伸び伸びと生きてもらいたい。
「もし……お前が、神呪師にならない道を……両親や周囲に、反対……されているのなら……」
自分と重なる部分が見え隠れするこの子どもには特にそうあって欲しいと、喘ぐように胸の内で思う。
「……私も……その、多少は……力に…………って、おいっ!?」
お前には自由があるはずだと言い聞かせようとして、そこで初めて異変を察知する。
何の前触れもなかった。
小さな体がおもむろに傾ぎ、僅かな砂埃をたててコロンと床に転がった。




