起
ピンポーンとドアベルが鳴る。
「宅配です」
ドア越しにくぐもった声がした。
「受け取りのサインお願いします」
ドアを開けると、目にしみるきつい緑一色のつなぎを来た男が立っていて、茶色のボール紙製の箱を押しつけてきた。
日曜日の朝っぱらからぶっきらぼうな振る舞いに少しイライラさせられながらも、サインして受けとる。男はなにも言わずにガタンと音をたててドアを閉めた。
私は少しもやもやしたままリビングに戻った。
一体誰からの物かと差出人を見るが、書かれてなかった。差出人の欄は空白だった。
私は首をかしげた。
箱を振ってみるが何の音もしなかった。いや、物が入っている気がしない。それはさっき受け取った瞬間に思ったのだ。箱は異様に軽かった。
私はテーブルに箱を置くと、頬杖をついてそれを少しの間眺めた。大きさはA3サイズ。高さは15センチほど。両手で持ってちょうど良いぐらいの大きさだった。
まあ、サイズはどうでも良いわ
問題は中身
私は箱の縁を指でなぞりながら考えた。宛先は間違いなく私のところだ。妙な書体の印刷なので筆跡で誰かを推測するのは無理そうだった。
あきらめて開けてみることにした。
中に入っているものに手掛かりがあることを期待した。
ペーパーナイフで上蓋のテープを切り、箱を開ける。
「なにこれ?」
思わず声が出た。
箱にはなにも入っていなかった。
正確には空っぽの箱の底に一枚の紙が貼り付けられているだけだったのだ。
私はその紙切れを剥がした。薄桃色の紙に赤黒い色の文字で何か書かれていた。
《これは呪いの箱です
開けることにより、あなたは呪われます
つまり、死にます》
と、あった。
「ちょっとぉ、なによ、これは!」
私はその紙片をくしゃりと握りつぶし、ゴミ箱の放り込んだ。一体誰がこんなふざけたことをしたのか。私はリビングをぐるぐると歩き回りながら考える。
ふと、長い髪に垂れた目、下膨れのおかめのような顔が思い浮かんだ。
「あの女か」
私は忌々しく舌打ちをする。
やることが万事トロくて能面のような青白い顔をした、見ているだけで神経に障る派遣の女がいた。嫌がらせをして、この間ようやく追い出して清々していたが……
絶対あの陰険な根暗女の仕業に違いない。
私は確信すると携帯を手に取り、あの女の携帯に電話をかける。
《お掛けになった電話番号は電波の届かない――》
しかし、携帯から聞こえてきたのは、そんなに無機質な言葉だった。
《ピーッという発信音の後――》
「あんた!なによ呪いの箱とか。
ふざけんじゃないわよ。
今度こんなことしたらただじゃおかないから覚えておきなさい!」
私は一気にまくし立てると携帯を切った。それでも腹の虫が収まらない。私は箱をひっ掴む。
「なにが呪いの箱よ!こんなもの――
あっ、痛ッ!?」
そのままゴミ箱に放り込もうとしたが手に激痛が走り、箱を取り落としてしまった。
「えっ?なに?」
手を見ると、人差し指から小指までの四本の手の甲の方から血が出ていた。
指の第一関節と第二関節の間に一文字の傷かついている。傷跡は緩やかに湾曲している。まるで人に噛まれた跡のようだった。
「これって歯形?噛まれたの」
でも何に噛まれたのだ。
箱を持っただけだ。箱は空っぽだった。
ならば箱に噛まれた?そんな馬鹿な話があるか。
私は頭をふり、変な妄想を振り払う。
そして、床に落ちた箱へと目を向ける。
「ひっ!」
声にならない悲鳴が出た。床にひっくり返った箱。その箱と床の隙間から何か黒い物がはみ出ていた。細いヒモ、いや、髪の毛だ。女の黒髪のようなものが箱の周囲からフローリングに黒い染みのように広がっていた。
そんなはずはない。箱は確かに空っぽだったのだ。あんなものが箱からはみ出るはずがない。
私は恐る恐る近づく。気持ち悪くてとても触る気にはなれない。近くで見るとやはり女の髪の毛に見えた。
また、あの女の顔を思い出された。確か、あの女の髪もこんな、真っ黒い、重い、見ているだけで気が滅入る色だった。
とはいえ、このままじっと見ているわけにもいかない。私は震える手で箱をひっくり返した。
「えっ?なんで」
ひっくり返した箱の中はやはり空っぽだった。床に目をやるがなにもなかった。さっき、質感すらはっきりと感じていた黒いものはどこにもない。跡形もなく消えていた。
気が変になりそうだった。いや、もう変になっているのか。先程の『呪いの箱』というフレーズが甦る。
「馬鹿馬鹿しい!」
一言叫ぶと、私は箱をゴミ箱に放り込んだ。
2019/10/22 初稿