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雨を呼ぶ姫

 

 雨除けの術が施された外套を羽織っていても、効力は塔にかけられている術に比べれば半減以下だ。


 先程まで晴れていた空は自分が塔の外に出たことで、雲が覆いつくし始めてきた。あの雲ならそれほどの量の雨は降らないだろう。


「……」


 正装は鬱陶しい絹を纏わなければならないので、かなり動きにくかった。


 普段の服装は湿気がこもらないように侍女が着ているような裾の短い服を着ていた。

 袖口が広く通気性が高いためそればかりを好んで着ていたが、あまり足を人に見せる姫君など普通はいない。


 裾も袖も長く、身体にぴったりと吸い付くような服は好きではないため、ドレスなんて普段着ることはほとんどなかった。


 ……このような場に呼ばれるなら、もっと着慣れておけば良かったわ。


 雨除けの術がかけられた外套を頭から被り、呼び出された場所へと静かに歩を進めていく。

 後ろから付いてくる侍女二人も緊張しているのか、吐く息さえ制限しているように感じられた。


 幸いだったのが、昼食会が大広間ではなく大庭園に作っているらしく、それなら塔から直接、大庭園に行けばいいだけなのでたくさんの人の目に触れることは避けられそうだ。


 これが大広間だったならば、王城で働いている多くの人の目に映ってしまうことになっていただろう。


 濃い花の匂いが漂う緑の垣根を通り抜けて、リルヴィアは指定された場所へと辿り着く。


 ひらけた場所には細長い台が並んでおり、その上には白い布がかけられていた。台の上にはこちらが目を閉じたくなるほどに輝かしい料理とお酒がずらりと並んでいる。


 広げられた料理を前に二国の人間が向かい合って座っていた。食事の席はとても和やかそうに見える。


 ……あれがクプルムの使者。


 国王の前に座っている、中年の男がどうやら今回の使者らしい。

 その両隣には彼の側近か護衛らしき男が二人、立っていた。屈強そうな男達は、世間知らずの自分から見ても彼らの身体つきがいいのは見て取れた。


「――おぉ、来たか」


 昼食会が行われている庭へと入ったリルヴィアに最初に気付いたのは義兄のラティスだった。


「……お久しぶりでございます、ラティス兄様」


 リルヴィアは着ているドレスの裾を少し掴んでから、軽く持ち上げる。

 後ろについて来ている侍女二人は目の前にいる男が第二王子のラティスだと気付くとすぐに頭を垂れた。


「相変わらず、変な力を持っているんだな。お前が来るまでは空は綺麗に晴れていたというのに」


「……申し訳ありません。ですが、今回はそちらからのお呼び出しだと聞いたので」


 空が曇って来たのは自分に非があるが、それでも呼び出したのはそっちだと暗に伝えるとラティスは機嫌が悪そうに鼻を鳴らした。


「まぁ、いい。――父上、クプルムの使者殿。我が国の『雨を降らせる姫』が来ましたぞ」


 ラティスが大きく振り返るように国王達が座っている席の方に向かって叫ぶ。その声に反応するように皆が一斉にこちらを振り返った。


「もしや、そちらの方が先程、御自慢されていたリルヴィア姫ですかな?」


 使者の男が国王へと興味津々な様子で訊ねている。


「ええ。理由は分かりませぬが、その身が存在するだけで雨を降らせることが出来るのです。……ほら、空をご覧ください。先程まで晴れていたというのにこの者が来た途端に曇って来たでしょう」


「おぉ、そう言えば……」


 使者と国王の会話が耳に入っているのか後ろのセリアが頭を深く下げつつも怒りで肩を震わせているのが見えた。

 よほど怒っているらしいが、理性を保ち、暴れなかったことをあとで褒めてあげた方がいいだろう。


「リルヴィアよ、その外套を取って姿を見せて差し上げなさい」


 国王の愉快そうな声が耳に入って来る。それは逃れることの出来ない命令だ。


「……はい」


 布越しでも分かるのは好奇の視線だ。この布の向こうには自分の見たくないもので溢れている。

 それでも、その命令に逆らうことなど自分には出来ない。


 リルヴィアはゆっくりと滑るように頭を覆っている外套を脱いだ。白く長い髪が風で少しだけ揺れた気がした。

 その場にいる誰もが自分を見ており、息を飲み込んだまま動かくなってしまっている者もいた。


 そして、自分の瞳でとある人を見つけてしまう。


「っ……」


 昼食会の席から少し離れた場所には警備の者達が一列に並んでいた。


 その一番端の方に、アルクスが立っている姿を見つけてしまったのだ。彼は確かに昨日、警備の仕事があると言っていた。だが、それは夜だけではなかったのだ。


 新人扱いされていると聞いていたので、まさか国王と隣国の使者が同席する場に来ているとは知らなかったリルヴィアは引きはがすようにアルクスから視線を逸らした。


 彼は自分に気付いただろうか。アルクスに会ったのはまだ二回で、姿を彼に見せてはいない。だから、このまま声を出さなければ彼に自分が「夜の友人のルネ」だと気付かれないはずだ。

 どうか、そうであって欲しい。


 好奇の目に晒されるよりも、アルクスに自分が「雨を降らせる姫」だと知られる方が遥かに恐ろしいのだ。

 知られてしまえば、もう昨日の夜のような関係が終わってしまう。


 リルヴィアは口を噤み、顔を下へと向けた。


「……す、素晴らしい……。このような髪色の方を見るのは初めてですぞ……! まるで白い絹のようだ……」


 使者の男は立ち上がり、自分の容姿に驚きつつも興奮げにそう言った。


「リルヴィア、挨拶をしなさい」


 隣に立っていたラティスがリルヴィアに前へ進めと細い目で促してくる。


 前に進むのは構わない。だが、声を出すのは気が引けてしまう。

 リルヴィアは時間を稼ぐようにゆっくりと使者の前へと進む。


 どんな視線も、言葉も今の自分には痛くも痒くもなかった。


「ほら――」


 義兄に急かされて、リルヴィアは顏を上げる。

 

 目の前には好奇の瞳で満ちた使者の顔。

 視界の端に映るのはアルクスの姿。


 空気を吸うことがこれ程、辛いことだとは思っていなかった。


 ……怖い。


 得た友人を自分は恐らく、今日失うことになるのだろう。

 手をドレスの袖に隠しつつ、爪を食い込ませたまま、使者へと頭を下げた。


「……初めまして、クプルムの使者様。リルヴィア・エル・フォースクリフと申します」


 ドレスの裾を軽く摘まんで、挨拶をした。


「雨を降らせるこの身、ささやかですがどうかお楽しみくださいませ」


 リルヴィアが挨拶の言葉を終えた途端に、まるでそれに合わせたように曇った空から雨がぽつりと降り始める。


「おぉ……! 本当に雨が……!」


 使者の男は手を広げて、雨を身体全体で感じるように空を仰ぎ見ている。


 それは服が濡れるほどに強いものではなく、爽やかな雨だったことにリルヴィアは安堵しつつも、はっと顔をアルクスの方へと向けた。


 彼の瞳は大きく開いており、自分を真っすぐ見ていたのだ。


挿絵(By みてみん)


 それは他に警護している騎士や同席している貴族達、政務官達とは違う表情だ。


 アルクス以外の人間は、自分のことを奇妙な目で見ているか、もしくは雨が落ちてくる上空へと顔を不思議そうに見上げている者ばかりだ。


 それ故に、彼が自分の声を聞いて、「夜の友人のルネ」であると気付いていることはその表情を見れば明らかだった。


「っ……」


 リルヴィアはアルクスから顔を逸らす。もう、自分は彼の友人には戻れない。


 きっと彼も「雨を降らせる姫」の話を知っているはずだ。白い髪を持ち、存在だけで雨を呼ぶ奇妙な姫君リルヴィアのことを。


 ……ただの友人でいたかっただけなのに。


 身分も正体も性別も関係ない。

 ただ夜に二人で他愛無い話をする友人でいたかった。


「見事ですぞ、リルヴィア姫! まるで遠い国に伝わる魔法のような御業(みわざ)ですな!」


「……お褒めの言葉、ありがとうございます」


 リルヴィアは脱いだ外套を再び、顔を隠すように被った。


「大変申し訳ないのですが、今日はあまり体調が優れませんで。……ここで失礼させていただきます」


「何だ、もう帰られてしまうのか?」


「はい。私が外に居れば、このまま大雨も降りかねないので……。暫くすれば再び晴れてくると思います」


「ほう、そういうものか」


 使者の男の後ろで国王である父が興味なさげにお酒が入ったグラスを傾けているのが見えた。

 近くにいるラティスも使者の満足そうな表情に愉悦に浸っているようだ。もう、自分の役目は終わっただろう。


「残りの滞在もどうかごゆっくりとお楽しみ下さいませ……。それでは失礼致します」


 リルヴィアはもう一度、ドレスの裾を軽く摘まんで会釈してから使者に背を向けた。それに従うようにセリアとミーシェも使者に頭を下げてから自分の後に付いてくる。


 国王達の視線から逃れるようにリルヴィアは緑の垣根の中へと早足で入る。


 和やかな空気で再び談笑が始まったのが遠くに聞こえたがそれさえも耳に入れたくはなかった。


 感じたのは自分を余興の道具として扱われたことに対する惨めさよりも、アルクスに対する申し訳なさと自分自身への絶望だった。


 自分のような奇妙な力を持つ人間を好むものなどいない。だから、彼には秘密にしておきたかったのだ。

 アルクスに嫌われたと知るのは辛い。


 傷付くのは身体ではなく、心。見える傷は治ることはあっても、見えない傷は癒えないままそこにあり続けるのだ。


 ……あぁ、もう二度と――。


 リルヴィアは立ち止まり、振り続ける雨へと顔を向ける。先程よりも少しだけ弱まった雨が頬を濡らしていく。


「姫様?」


「大丈夫ですか……」


 侍女二人が急に立ち止まった自分を心配しているのか、声をかけてくる。その声さえも今は遠くに感じた。


 心に刻まれた傷は、癒えることはない。

 再び会っても傷が増えるだけならば、それならもう二度とアルクスに会わない方が良かった。

 

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