捧げる身
その日はアルクスが言っていた通り、隣国のクプルム王国から使者が来ているらしく、王城から離れた位置にある塔にまで人々の声が届いていた。
「今日は騒がしいですね……」
セリアが窓の外を伸びあがるようにしながら遠くを見ている。
「仕方ないわ。大切な日だもの……」
自分は政治に関われる身分ではないため、あとからどのようなことが決まったのかを聞くしかなかった。
今回も前年と同じように無事に協定が更新されるのなら、国だけではなく国民にとっても良い事だ。
そして、これから先も自分を取り巻く日常は大きく変化することなく、続くのだろう。
……いえ、一つだけ変わったわね。
友人の少ない自分に出来た、夜だけの話し相手。騎士だというアルクスは、今日は王城の警護に励んでいるのだろう。
零してしまいそうになる笑みを抑えて、昨日の夜にアルクスから借りた本を手に取った。
しかし、荒っぽく階段を駆け上がって来る音が聞こえて、リルヴィアはセリアと何事かと顔を見合わせる。
大きく開け放たれた扉からはミーシェが転がり込むように入って来た。
「しっ、失礼、しますっ……!」
小さな肩を激しく揺らしては息を整えている。何か余程の事があったらしい。
「どうしたの、そんなに慌てて……」
リルヴィアは本を机の上へと置いてからミーシェへと近付いた。
「ひ、姫様っ……。王城から……」
「王城?」
一度、深く息を吐いてからミーシェは言葉を紡いだ。
「王城から、使いの者が。……姫様をクプルムの使者に会わせる、と……」
「……ミーシェ、どういうことです? 詳しく話を」
セリアの眉が深く寄せられている。自分もミーシェの言っている言葉がよく理解出来ずにいたため、つい怪訝な表情を彼女に向けてしまった。
「あの、ただ今、塔の下に王城からの使いが来ているのです。姫様をクプルムの使者と顔を合わせさせるために……」
「はぁ?」
不快感を隠すことなくセリアが声を上げる。
「今までクプルムの使者が来ても、その調印の席どころか宴の席にさえ、姫様が呼ばれることなんてなかったでしょうに。どうして突然、そんなことを……」
「それが……。姫様の……雨を降らせるお力のことを国王様がクプルムの使者に話してしまわれたそうで……。クプルムの使者が姫様に興味を持ったようなのです……」
ミーシェは一つも悪くないというのに、彼女は申し訳なさそうに身体を小さくしながら答えた。視界の端のセリアの額に青筋がはっきりと浮いたのが見える。
「……つまり、私を見せ物にするということ?」
リルヴィアはミーシェが出来るだけ怖がらないように穏やかな声で訊ねる。彼女は瞳に薄っすらと涙を溜めて、こくりと頷いた。
「このあと、昼食会が行われるそうで……。その時、王城の庭で姫様をお披露目すると……」
「姫様は余興の催しものじゃないんですよ!」
セリアがどこにぶつければいいのか分からない怒りをその場で吐き捨てるとミーシェが更に肩を震わせる。
……断れば、お父様の顔に泥を塗ることになってしまうわ。
自分の父である国王は、この雨を降らせる身を気味悪く思っているだろうが、まさか国の使者をもてなすための余興として使われるとは思っていなかった。
「……セリア、正装と雨除けの術が施されている外套を用意してくれる?」
「姫様っ……」
「仕方ないわ。使者ということは、国に関わる方ですもの。……気分を害して、再び戦争が始まるなんてこともあり得ない話ではないでしょう?」
「っ……。ですが……」
自分を人の好奇の目に晒したくないというセリアの優しさは嬉しく思う。しかし、これは個人の問題ではないのだ。
「ミーシェは王城からの使いの人に言付けを。支度が整い次第、王城の庭へと伺うと伝えて」
「……分かりました」
ミーシェは強張った表情のままで頷き、少し早足でその場から去って行った。
「大丈夫よ。雨を降らせたら、すぐにここへと帰って来られるわ。……あなた達も侍女の正装に着替えておいて」
「……はい」
どこか悔しそうに表情を歪めながらセリアが頷いて、衣装部屋へと向かっていく。
その場に一人残されたリルヴィアは机の上に置いておいた本を手に取って、胸へと押し付けるように抱きしめた。
……私は、大丈夫。
誰かの目にこの身が晒されても、目に見える傷が付くわけではない。
ただ、心が痛むだけだ。
自分がこうやって平穏な日々を送っているのに、王城を守っている騎士のアルクスの方がよほど傷付く頻度は高いはずだ。
もし、戦争になればアルクスだって戦場に出なければならなくなるだろう。
塔から出て、雨を降らせるだけ。
それが国益になるというのならば、自分は喜んでこの身を差し出そう。
「……」
短く息を吐いてから、リルヴィアは本を再び机の上へと置いた。雨を降らせる怪奇な身だが、それでも姫であることには変わりない。
自分は国のためにその身を捧げるだけだ。
その役目が本当は怖くて立ち向かいたくなくても、自分には吐き出す場所などなかった。




