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幸せの始まり

 

 リルヴィアが王城へと戻って、二日程経った頃。自分を攫ったクプルムの密偵達と自称占い師のサイゲルは、リルヴィアの懇願もあってか処刑されずに済んだ。


 だが、そうなったのは恐らく団長のイルティがむやみに処罰するよりも、クプルムとの平和協定をより強固なものとし、持続させるための取引材料に使えると進言したためである。

 それにより、密偵の男達はクプルムの返答次第によっては自国へ帰されることとなるらしい。


 その事を誰よりも安堵して聞いていたのは、彼らに利用されたリルヴィアで、セリアからは優し過ぎると憤慨された。


 占い師サイゲルはリルヴィアのことを以前、クプルムから来た使者に話を聞いたことで、リルヴィアを利用し、ネフリティスに被害を出すために大災害を起こそうと計画したらしい。


 占い師であることに変わりはないが、大臣を誘惑し、国王の信用を得るまでにそれ程時間がかからなかったことは、彼の口の上手さによるものだったようだ。


 後にアルクスから、大図書館でサイゲルが国史や地理などの本ばかり読んでいたのは百年前の大災害の状況について調べていたからだという話を聞いて合点した。


 それだけではなく、リルヴィアの雨を降らせる力が歴代の王族も持っていた力かどうかも王家の家系図を使って熱心に調べていたと報告を受けている。

 彼も他の密偵達と同じようにクプルムからの返答待ちで、今は王城の牢の中へ入れられているらしい。


 サイゲルと親しくしていた大臣は知らずのうちに利用されていたことを憤慨していたが、他の大臣に嘲笑われたことで大人しくなり、さっさと自国へ帰って欲しいと願っているようだ。


 また、クプルムの密偵達が壊した川の上流の堰の修理も近いうちに始まるらしく、その手筈を国王である父が急いで進めていると耳に挟んだリルヴィアは心底安堵し、感謝した。



 一方で、リルヴィアのことを軽視していた護衛三人はリルヴィアの心が寛大だと思い直したようで、以前のような見下す態度は取らないようになっていた。


 むしろ、正式にリルヴィアの側近になりたいと言ってきているらしく、アルクスが露骨に嫌な顔をしたというのはナスターから話を聞いている。


 自分はどちらでも構わないと思っているが、以前のことを気にかけているアルクスは側近として仕えるための権利を獲得する条件として、自分に剣術で一本を取ることが出来たら認めると伝えたらしい。


 それから三人はお互いに切磋琢磨しつつ、アルクスを打倒することを目標に真面目に剣術の鍛錬を行なっているとのことだ。


 しかし、ナスターの方はというとイルティの方に直接、自分の側近になりたいと申し込んだらしく、後から知ったアルクスが溜息交じりに頭を抱えていた。




 そうやって、自分を取り巻く環境と空気は少しずつ変わっていく。


 王城に帰ってきて、暫くは晴れていた空も再び雨を降らせるようになり、リルヴィアは早々と自分の住居である塔へと戻った。


 だが、どうしてアルクスに説得された時に雨が止んだのかは分からない。その後も暫くは晴れていたままだった。


 何度か試しに塔の外へと出てみれば、すぐに空は曇って来たので雨を降らせる力を持っているのは変っていないようだ。


 ……でも、今はどちらでもいいわ。


 リルヴィアは夜色へと染まった空を見上げつつ、小さく微笑む。


 窓に映る自分の髪はすっかり肩上よりも短いものとなってしまったので、セリア達に惜しまれつつ綺麗に整えて貰った。


 だが、アルクスが短くても似合っていると言ってくれたため、結構気に入っているのはセリア達には秘密である。

 髪はまた伸ばせばいい。だが、自分の命はたった一つだけだ。


 宝物である朱色の石が付いた首飾りを胸元へと下げて、リルヴィアは浮足立つ心を抑えつつ、静かに自分の部屋から出た。



・・・・・・・・・・



 今日は会う約束はしていない。それでも、この木々が鬱蒼と並んだ道の先に自分を待ってくれている人がいると感じていた。


 リルヴィアは小走りで細い道を通り抜けながら、星が煌めく空の下を進んだ。

 静けさの中に混じるのは草木の匂い、そして――。


 開けた場所にぽつんと置かれている長椅子、そこに座っている姿に向けてリルヴィアは声を上げる。


「――アルクスさん」


 リルヴィアの声に反応するようにアルクスが座ったままでこちらを振り向く。


「こんばんは。あぁ、そんなに急がなくても良かったのに……」


 主と側近ではなく、夜の友人としての口調にリルヴィアはつい口元がほころんでしまう。


「早く、お会いしたかったのです。……最近、やっと落ち着いてきましたから」


 リルヴィアは失礼しますと一言、言い置いてから彼の隣へと座った。


 夜にこうやって会うのは久しぶりだった。特使として旅をする前は毎日のように夜に逢瀬を重ねていたというのに、随分と遠くのことのようだ。


 だが、またこうやって夜に会える日が戻って来たのだから、自分の手で消えることを止めてくれたアルクスには感謝している。


 いや、彼に対して抱いているのは感謝だけではないだろう。

 あの日、初めて夕日を見た日。告げられた言葉を自分はこの胸の奥に刻み付けるように覚えている。


「そういえば、ナスターが……。……ルネさん?」


 夜だけの名前で彼が自分を呼んでくる。それはまだ、自分がこの国の末姫であると名乗れなかった時に名付けてもらった名前だ。


「アルクスさん」


 突然、名前を呼ばれると思っていなかったのか、アルクスは目を瞬かせて首を傾げた。


「何かな」


「あの……」


 今は友人としての関係を保ってくれている。だが、もう一歩だけ、進んだ関係になりたいと思ってしまう自分は強欲過ぎるだろうか。


「せ、先日……。私があなたのことを……好きだとお伝えしたことは覚えていますか」


「へっ⁉」


 そのような話を振られると思っていなかったらしく、彼にしては珍しく赤面していることは月明かりだけでもよく分かった。


「お、覚えている、けど……」


 明らかに狼狽しているアルクスが本当に、先日クプルムの密偵達と剣を交えた時の彼と同一人物なのか疑ってしまいそうだ。

 自分はもちろん、今のアルクスの表情の方が何倍も好きであるが。


「今からお伝えする言葉は友人としてでも、姫君としてでもなく、ただのリルヴィアとしてお伝えします」


 少し、座っている距離を詰めるとアルクスが驚いたように仰け反った。頬が赤くなっているが、彼は慌ててそれを隠すように片手で口元を覆った。


「ま、待って……。それは……俺から言ってもいい言葉なのかな」


「え? あ……」


 自分の伝えたい言葉が分かってしまったのか、アルクスは頬を赤らめたまま真剣な表情をした。熱っぽい視線を含んだその表情にリルヴィアは小さく頷き返す。


 リルヴィアの返答にアルクスは一度深く呼吸をしてから、膝の上に載せていた手に彼の大きな手を重ねてくる。


「――俺と、秘密の恋人になってくれませんか」


 緊張しているのか、その手は少し震えているように感じた。丸い瞳はどこか幼さも含まれており、それが返って純粋に見える。


 世間的には姫君と側近が恋人になるなんて、ありえない話だろう。だからこそ、アルクスは秘密という言葉を使ったのだ。


 リルヴィアは熱くなっていくアルクスの手に自分の左手を重ねる。


「……宜しくお願いします」


 上目遣いで、リルヴィアが照れながら答えると、アルクスは口を真っ直ぐに結び直し、息を飲み込んでいた。


 アルクスの表情が何だかおかしくも、可愛らしくも思えたリルヴィアはとうとう我慢出来ずに小さく噴き出してしまう。

 アルクスも少し呆けた顔でリルヴィアを見ていたが、つられるように彼も笑い出した。


挿絵(By みてみん)


 二人で笑い合って、そしてお互いの指を重ね合わせる。


「昼は姫君と側近、夜は友人と恋人か。中々、多様性があるね」


「そうですね。……あ、もちろん、他の方にはご内密に。セリア達が何か言ってくるかもしれませんし」


「あー……。俺もナスターに冷やかされそうだな」


 お互いに小さく苦笑しながら、ふっと笑いを止める。温度を感じ合うように、指を少しずつ逃れられないものとして絡めていく。


「今だけ、呼ばせて?」


 気付いた時にはアルクスの顔がすぐ傍まで来ていた。


「――好きだよ、リルヴィア」


 熱が込められた名前を呼ばれたと同時に、リルヴィアは目を閉じた。重ねられる唇は優しく触れるようなものなのに、それだけで身体が痺れてしまいそうだ。


 だが、離れたくはなかった。

 自分は独りぼっちではないのだと、手と唇から感じる温度がそれを証明している。


 晴れようとも、雨が降ろうとも、アルクスが好きだという気持ちが曇ることはないのだろう。


 変わることも、変えられることもないと思っていた。

 だが、太陽のような笑顔は温かく、そして自分の願いを連れてきてくれた。


「……アルクスさん」


 呼吸をする際に名前を呼び返す。鼻先のアルクスが静かに微笑んでくれていた。


 自分はもう、大丈夫だ。

 彼と一緒ならば、心が生きたいと叫んでいる。


 今度はリルヴィアからアルクスへと口付ける。強く、想いを伝えるように。


 この先、抱く感情も言葉も表情も、全てを忘れることなく刻み続けるのだろう。そうやって、自分は生きていく。


 この身が雨を降らせても、それを受けて入れて、雲を払ってくれる笑顔がある限り、ずっと生きていくのだ。


 リルヴィアは目を瞑ったアルクスに気付かれないように、赤く染まった頬に一筋の涙を零し、新しく始まる幸せな時間を噛み締めていた。





                        完


 

 

このたびは「雨謳う姫は黄昏を望む」を読んで下さり、ありがとうございました。

思い入れのある作品なので、たくさんの方に読んで頂けて、とても嬉しく思います。

このお話はこれでおしまいとなりますが、またお目にかかれるように精進したいと思います。

ありがとうございました。


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