望み
その後、アルクスの馬の足跡を辿って、ナスター達が馬に乗って追いかけて来たことで再び合流することが出来た。
リルヴィアはアルクスの操る馬に乗せてもらい、アティ村まで戻ることにした。
リルヴィアを襲ったクプルムの密偵達はその場で取り押さえられることとなり、彼らが使っていた荷馬車へと五人を押し込んで、一度アティ村まで運んだ。
今回の件は国同士が関わるため、リルヴィアの独断で彼らを逃がすことはせずに王城まで連れ帰ることにしたのである。
アティ村では、リルヴィアの無事を祈っていたセリアとミーシェが、泥だらけになった上に一つにまとめていた白髪まで短くなったリルヴィアの姿を見て、最初は驚いたものの、無事だったことに安堵し、暫くの間リルヴィアの胸の中で泣き続けていた。
セリア達が落ち着いてから、宿屋に沸かしてもらっていた湯で土を落とし、汚れた服を着替えることにした。
リルヴィアは自らがネフリティス王国の第五王女であることを宿屋の主人に告げて、今回、無関係の人間が巻き込まれたことを深く謝罪した。
宿屋の従業員達は腰を抜かす程に驚いていたが、むしろ自分達の不手際で危ない目に合わせてしまって申し訳ないと平謝りされてしまった。
気に病むことはないが自分が王女であることは他の村人達には黙っていて欲しいと伝えると、宿屋の主人はそれならば、と歓迎の宴としてたくさんの料理を用意してくれた。
丸一日、何も食べていなかったのでリルヴィアは宿屋の主人の厚意に甘えることにした。
自分の部屋の前を見張ってくれていた護衛のロズからも跪いて謝られたが、リルヴィアはそれを笑顔で返し、残りの帰路の護衛も頼むと伝えると彼は涙を浮かべながら平伏していた。
余程、自分が攫われたことを気に病んでいたのだろう。
その一方で、アルクスはナスター達と協力して、捕えたクプルムの密偵達を見張り続けていたらしい。
泥だらけだった服は替えたようだが、彼は宿屋で休まずに見張りを自ら買って出て、捕らえたクプルムの密偵達の前から動こうとはしなかった。
あとでナスターから聞いた話だが、アルクスに叩きのめされたクプルムの密偵達は一晩中、眠ることが出来ないまま怯えて過ごしたらしいと肩を竦めて言っていた。
・・・・・・・・・・
翌日、リルヴィアは宿屋の従業員達からささやかな見送りを受けたあと、アティ村を出発した。
リルヴィア達が乗っている馬車の後ろから、クプルムの密偵達を乗せた荷馬車が付いて来ている。その荷馬車を運転するのは何とナスターで、使い慣れているように他人の馬を操っていた。
一番北に位置するアティ村から王都まで二日かかり、リルヴィアはその道すがら、川の状況や農地の状態を確認することにした。
上流の堰が壊されていることもあって、川の水量は増えていたが溢れる程まではなく、農地も流されていなかったため、心底安堵しつつリルヴィアは帰路の空を見上げた。
セリア達も驚いていたが、一番驚いているのは自分だ。
「……今日は久しぶりのいい天気ね」
馬車の窓の外を眺めつつ、リルヴィアはぽつりと独り言のように呟く。
晴れ渡った空は広々とどこまでも続いており、柔らかな日差しが久しぶりに地面へと降り注いでいた。
・・・・・・・・・・
王城に辿り着いてからも落ち着く暇はなく、アルクスは先にクプルムの密偵達を団長であるイルティに引き渡し、共謀していた占い師のサイゲルを取り押さえることを優先した。
彼らの企みを阻止したことをまだ潜んでいるかもしれないクプルムの人間に覚られないようにするためだ。
クプルムの密偵達のことをイルティに任せている間に、リルヴィアは国王である父に謁見の間へと来るように呼び出された。
恐らく、長期間に降らせた雨について追及するためだろうと何となく予想していたリルヴィアはアルクスだけを連れて、謁見の間へと向かうことにした。
謁見の間には普段、会うことのない異母兄弟達までいた。
国王しか座ることの許されない椅子の後ろで、その場所を我が物顔のような表情を浮かべながら立っているのは義兄のラティスだ。相変わらず、意地悪そうな顔をしている。
王座にゆっくりともたれかかっていた国王は、リルヴィアが謁見の間に入って来てもその重く腰掛けた椅子から身体を起き上がらせることはなかった。
リルヴィアは頭を下げつつ、その場に跪く。側近であるアルクスも同じように自分の斜め後ろで片足を床へと付けて跪いた。
この謁見の間に来るのは初めてだった。空は晴れているというのに、漂う空気は重く、拭いきれそうにない。
「……この度の、長い雨……。クプルムの密偵によって仕組まれたことだと聞いておるが、まことか」
石のようにのしかかる言葉の前でリルヴィアは頭を下げたまま答える。
「すでにお耳に挟んであると思いますが、イルティ・ラグーナの報告の通りでございます。大干ばつを未然に防ぐためだと謳われたこの旅は、大災害を起こすためだと私自身がはっきりと密偵達から聞いています」
目の前にいる大柄な男をはっきりと父だと意識したことはなかった。それよりも、自分は血の繋がっている者達を「家族」だと意識していないのかもしれない。
今ならそれが分かる気がする。
大事なものは同じ血などではなく、想いなのだと。
「……幸いというべきか、それとも不幸というべきか。アティ村の上流にある川の堰を破壊されただけで済んでいるが……。これがもし、百年前と同じような事態が起きていたなら、お前が負うべき責任がどのようなものか分かっているのか?」
まるでお前が全て悪いと言っているような口調にリルヴィアは唇を見えないように噛んだ。
この旅は占い師のサイゲルが国王に進言したことで始まったのをもはや、忘れているような言い草である。
むしろ、クプルムの密偵達に上手い事、利用されたことで国に危機をもたらした責任をリルヴィアに押し付けたいようにも聞こえる。
……そういう人だもの。最初から分かっているわ。
目の前の国王どころか、自分はこの場にいる者を誰一人として信用はしていない。この場で、自分が心の底から信頼しているのは斜め後ろに控えているアルクスだけだ。
「……もし、私を処罰するというのであれば、どのような罰でも受ける覚悟でございます」
後ろにいるアルクスが微かに引き攣ったような音を出したのが聞こえた。
「今はこのように空は晴れていますが、再び雨を降らせる身へと戻るのかは分からない……。それを恐れられるのであれば、どうぞ私を処罰なさって下さい」
「……」
静けさがそこに生まれていく。いつもは軽快な声で笑っている義兄のラティスもこの場の行方をじっと探っているようだ。
国王に仕えている者達も誰一人として声を発することはない。
「ですが、一つだけ。たった一つだけ、国王様にお願いがございます」
「……申してみよ」
リルヴィアはゆっくりと顔だけを上げた。そして、挑むように自らの父に剣の如き視線を向ける。
「私が生きることを許して頂きたいのです」
その発言が周囲をざわめかせるのには十分だった。国王も眉を深く寄せている。
「今回の件だけではなく、私は……ずっと自分が生きるべき人間ではないと何度も思いました。そして、一度はこの命を捨てようと決心も致しました」
出来るだけ言葉が震えないようにリルヴィアは一つ一つに力を込めて、呟いていく。呟く言葉に耳を傾けているのか、その場は静まっていた。
「雨を降らせて、人を不幸にするしかないこの身……。誰も自分を必要としない。それがどういうものか、きっとこの場にいる方々には分かりかねないことだと思います。ですが――」
そこで一度、言葉を飲み込んでから再び紡いだ。
「ですが、こんな自分でも必要としてくれる人がいると知ったのです。私は私を大切に想ってくれる人の心は傷つけたくはない……だから、生きたいと思ってしまったのです」
喘ぐように息をして、リルヴィアは言葉を続ける。
「私は一人でも自分のことを想ってくれる人がいる限り、生き続けたい……。それ以上は何も望みません。死ぬということ以外ならば、私はどのような罰でも受けます。受けて、自分に与えられたものを背負い、生き続けます」
伝えたいことを全て言い切り、リルヴィアは真っすぐと自分の父の姿を瞳に映し続ける。
「……どうか、一度だけご慈悲を」
初めて、自分の父親と視線が重なった気がした。自分を見下ろしている男の瞳はどこか動揺しているように微かに揺れている。
何も発する事は無く、どれだけ時間が流れただろうか。重い空気が張り詰めた糸のように流れている。そして、やがて深い溜息交じりの音が漏れ聞こえた。
「……そうか」
静かにそう告げたのは国王だった。
「お前の言葉を聞いて、わしはお前のことを大切にしているかと言われれば、そうではないとすぐに答えが出て来た」
「……」
自分も彼に大切に扱われた思い出は全くない。物心つく頃にはすでに塔での暮らしを始めていたため、実の父親である彼にさえ会うのは年に数度もなかった。
「――だが」
そこで国王は言葉を詰まらせた。続きをリルヴィアは固唾を飲み込んで待つ。
「だが、今だけお前の訴えに寄り添うことを自分に許そうと思う」
「え……」
思わず、素で声が出てしまったリルヴィアは国王を凝視する。その表情は父親というものでは決してなかった。
しかし、国王が浮かべている表情は彼自身が言った言葉に戸惑っているような、そんな表情のように見えたのだ。
「……その懇願を受け入れよう。今回の件は不問とし、策を企てたクプルムだけに責任があることを認める。……お前が生きることを許そう、リルヴィアよ」
「っ……」
穏やかに細められる国王の瞳が自分の姿を映しているように見えた。初めて向けられる父親らしい表情からリルヴィアはすぐさま目を逸らし、顔を下へと向ける。
「……ありがたきご配慮、痛み入ります」
お礼の口上は震えていないだろうか。誰も自分の中に生まれた動揺と嬉しさに気付かないで欲しい。
生まれて初めて、実の親から優しさというものを貰ったことがどうしようもなく嬉しくて、我慢しなければ涙が出てしまいそうだった。
それをぐっと堪えて、リルヴィアはもう一度頭を深く下げる。
自分にはもう一つだけ気掛かりなことがあったことを思い出したリルヴィアは国王へと声を張って言葉を告げた。
「……陛下、もう一つだけお願いがございます」




