後悔と残影
「……あなた達の言いなりになんてならないわ」
リルヴィアは服の下に隠し持っていた短剣を素早く抜き、柄を震える両手で握りしめる。
「ははっ。震えているじゃねぇか。まぁ、籠の中のお姫様にしては中々、肝が据わっているようだけど……なぁ!」
こちらに向けられた石弓から矢が勢いよく放たれる。突然のことに動くことが出来なかったリルヴィアの首をかすめるように矢は通り過ぎていった。
一つにまとめていた白髪が矢によって肩口辺りで遮断されるように切られる。はらりと足元に落ちたのは自分の白髪のひと房だった。
「……」
一歩でも動いていれば、確実に矢が喉に刺さって即死していただろう。固唾を飲み込み、リルヴィアは男をゆっくりと見る。男はにやりと意地汚い笑みを浮かべていた。
「良かったなぁ、お姫さん。こう見えて俺は狙った獲物を逃がしたことがない腕の持ち主でな。動かない的なんて、目を瞑っていても当てられるもんさ」
男が自慢げに話している間に、彼の下っ端である男達が追いついてきてしまった。
大男五人に対して一人で太刀打ち出来るわけがないと分かっている。逃げようとしても、向こうには馬があるため、すぐに追いつかれてしまうだろう。
「大人しくしておけば、痛い目に合わずに済んだのによ。馬鹿なお姫様だぜ」
「頭ぁ。足をやっちまいましょう。そうすれば、生きたままで動けなくなりますぜ」
「おおっ、そいつは名案だなぁ」
頭の男は新しい矢を石弓へと準備し始める。他の男四人はそれぞれが腰に下げている短剣よりも少し刃が長めの平たい剣を抜いていく。
「……」
自らに刃を立てるか、それとも他人の手にかけられるか。
リルヴィアが一歩も動かずに男達をじっと見つめていることを不審に思ったのか頭の男が少し首を傾げる。
「何だ、逃げないのか?」
だが、リルヴィアは何も答えないまま見つめ続ける。
「まぁ、いいさ。死なない程度にしておいてやるよ。役目が終わるまでなぁ!」
石弓に準備された矢先が真っすぐとリルヴィアを狙ってくる。
――ああ、もう一度だけ。
浴びた事のない太陽のような眩しい笑顔を見ることが出来ればどんなに良かっただろうか。
話したいことも聞きたいこともたくさんあった。
伝えたい言葉だってあった。
もっと一緒に笑い合っていたかった。
だが、この雨を降らせる身が国中に災いをもたらすというならば、自分はきっとその咎に耐えることは出来ないだろう。
それならば、ここでさっさと死んでしまって、雨を止ませた方がいいのではないだろうか。
ぽつりと生まれてくる絶望にリルヴィアは死を受け入れてしまいそうになった。
「……」
静かに呼吸をして、目を閉じる。短剣を持った腕は空気に対抗することなくゆっくりと下ろした。
耳を澄ませば、脳裏に残っている温かな声が鮮やかに蘇ってくる気がして、心の中でたった一人を思い浮かべる。
……アルクスさん。
頬を遠慮することなく濡らしていく雨の中、石弓の金属音だけが微かに響く。届く痛みを受け入れる覚悟は出来ていた。
だが瞬間、冷たい雨がもたらした風とは違う、初夏のような爽やかな風が自分の横を通り過ぎていく。
鼻をかすめた匂いは懐かしく、自分の知っている優しい人と同じ匂いがした。風を切る音と共に聞こえたのは金属が摩擦する音だった。
しかし、自分の身体に痛みは降ってこない。何が起きたのだろうかとリルヴィアはゆっくりと目を開いてく。
先程まで、視界の先に居たのはクプルムの密偵達のはずだ。
だが、そこに居たのは黒髪を雨に濡らし、剣を右手に持っている大きな背中があった。
その背中の持ち主は馬上から、自分の方へとちらりと視線を向ける。
青い瞳と自分の視線が重なった時、思わず声を上げてしまいそうになるのをリルヴィアは何とか押しとどめた。
寂しげな瞳が一瞬だけリルヴィアの姿を映したが、すぐにクプルムの密偵達の方へと向けられる。
「――お前達。この方に何をした」
怒気の込められた声でアルクスが密偵の男達に言い放つ。
彼が抱く怒りの表情は、背中しか見えないリルヴィアからではどのようなものなのか窺うことは出来なかった。
アルクスは手綱を放して、馬から降りる。馬はアルクスの意思が分かっているのか、その場からゆっくりと離れていき、距離を取った。
目の前のアルクスは自分とクプルムの密偵達との間に動かぬ壁のように立っていた。
よく見ると、頭の男が石弓から放った矢はアルクスの剣によって跳ね返されたのか、彼らの足元に深々と突き刺さっている。
アルクスの突然の登場にさすがの男達も驚いているようだ。
「……いや、聞かなくても分かるか」
ふっと息がアルクスの口から漏れたと思った瞬間、彼は剣を構えたまま泥水となった地を強く蹴り、矢の如く前へと飛び出した。
リルヴィアが瞬きをして開いた次の瞬間には、頭の手下である男二人に向けて剣をひと薙ぎしただけで倒していた。
その威力は見ている側からすれば分からないが、馬車がその身へ突進してきたように吹き飛んでいく男二人を見れば、アルクスの一撃が想像よりも重いものだということは理解出来た。
「聞かなくても、お前達がこの方の敵だという事は分かっている」
クプルムの密偵達と間合いを詰めたアルクスは低く言葉を呟きながら、他の三人を仰ぎ見る。
頭の男を含めた三人はその一瞬で何が起きたのか理解するのに時間がかかったらしく、はっと我に返った表情はすぐに面倒なものを見るような瞳へと変わっていた。
「護衛か」
苛立ったように頭の男が呟く。
しかし、アルクスは男の言葉に返答することなく、剣先を向けた。
「お前達が何の目的でこの方を攫ったのかは知らないが、この後どうなるくらいは分かっているだろう。……今すぐ武器を捨てて投降するか、俺に斬られるかどちらがいいか選べ」
普段のアルクスからは想像出来ないような物言いに、リルヴィアは目の前の彼が自分の知っている穏やかで優しいアルクスと同一人物なのか目を疑ってしまう。
アルクスの発言が気に障ったのか、頭の男は持っていた石弓を投げ捨てて、腰に差していた長剣をすぐさま抜いた。
「たかが能無し姫の護衛如きにやられると思っているのか?」
頭の男の言葉に同意するように他二人の男は剣を持ち直して、間合いを取り始める。
「……愚かだな」
鬱陶しく降っている雨を気にすることなく、アルクスは剣を両手で水平に構えて、下っ端である金髪の男に向けて槍のように突き刺した。
その攻撃を受けた金髪の男は自らの剣を何とか盾にしつつアルクスの攻撃を躱したが、その動きを最初から見切っていたかのようにアルクスは柄の持ち方をすぐさま変える。
突き刺すように伸ばした腕を一度曲げて、剣の柄で男の横腹を突いた。
「ぐ、あっ……」
アルクスの攻撃を受けた男はすぐに膝を地面へと付けて、そのまま濡れた土の上へと身体を横たえた。
しかし、まるで流れ作業のようにアルクスは左斜めに居た茶髪の男へと、直線を描くように剣を刺した。
「っ! この……!」
向けられる剣先を弾こうとしたらしいが、アルクスの一撃の方が重かったらしく、茶髪の男の剣は手元から離れ、軽々と遠くへ飛んで行ってしまう。
その隙を見逃すことなくアルクスは男の鳩尾へと遠慮する事無く右足で強く蹴りを入れた。
男の身体は勢いよく後方へと飛んで行き、身体中が泥水で染まっていっていた。




