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絶望の雨

 

 気絶していたのか、それとも眠っていたのかどちらなのかは分からない。だが、目が覚めた時にはリルヴィアの両目には見知らぬ場所の光景が広がっていた。


 ……ここはどこなの。


 見渡せば、深緑の木々が壁のように立ち並んでいる。まるで本の中に出てくる深い森のような場所だ。


 木材の冷たさが服越しに伝わってきたため、リルヴィアは改めて自分の今の状況を見つめ直した。

 自分が座らされている場所は古い小屋のような建物の大きな柱の根本で、身体を柱に密着させて縛り上げられていた。


 かなり縄が身体に食い込んでくるため、鈍い痛みが続いたままだ。身体を少し捻ったくらいでは解けそうにない。


 そういえば、腰に護身用の短剣を隠し持っていたため、それを使えば縄を切ることが出来るだろうが、今の状態だと自分の望み通りに身体を動かすことさえ出来ない。


 口を塞いでいた布は外されているが、周りを見渡しても木々しかないため、声を出しても無意味だということはすぐに気付いた。


「……」


 空を見上げれば、夜が明けたというのに分厚い雲が広々と覆ったままだ。しばらくすれば、雨が降り出すに違いない。


 ふっと何か音が聞こえた気がして、リルヴィアは耳を澄ませてみる。風は吹いていないため、その音が水の流れる音だとすぐに気付いた。


 大量の水が留まることなく、大きな音を立てて流れ続けている。


「……川?」


 この小屋の近くに川があるのだろうか。周りを見渡しても木々だらけで自分の視界に川が映ることはない。


 すると小屋の扉が急に開き、中から夜中に見た男達が大きな鉄槌(てっつい)を抱えて、ぞろぞろと出て来た。


「――お? 目が覚めたみたいだな」


 (かしら)の男は整えられていない髭を生やしており、鍛えられているのか身体は硬そうだ。その後ろの男達も身体つきが大柄の者ばかりだ。


「……ここはどこですか。このような事を私にして、許されると思っているのですか」


 普段は姫君らしい言葉遣いをするのは苦手だが、今は口調だけでも強気でいたかった。


「ははっ。強気を装えるうちはまだ、元気そうだな。……あんたには暫くこの場所に居てもらうぜ」


「……暫くとはどれくらいなの」


「そうだな……。王都が無事に滅ぶまでさ」


「っ⁉ 何を……あなた達は何を企んでいるのですかっ⁉」


 思わず目を見開き、声を荒げると頭の男は口元を緩め、にやりと笑った。


「どうせあんたも役目が終われば生きて返すつもりはないからな。あの世への土産で教えてやるよ」


 何故か得意げな顔をしつつ男は言葉を続けた。


「俺達はクプルムの密偵だ」


「クプルム王国……⁉」


 先日、我が国ネフリティス王国に平和協定の使者を送って来た隣国の名前にリルヴィアは眉を深く寄せる。


「クプルムは今でもこの国を欲している。何せ国土は豊かだし、流通の便も良い。だが、クプルムは違う。山岳を超えた先にあるのは一年中、寒さに怯える世界だけだ」


 確かに話で聞いているクプルム王国は、山岳地帯に囲まれており、一年の中で雪が降らない日の方が少ない国だと聞いている。


 そのため、幾度となく南に位置しているネフリティス王国を我が物にするために南下しては戦争を仕掛けてきていた。


「だが、何度やってもこの国が傾くことはない。それは戦争に強い国だからだ。しかし、戦争以外を仕掛けてみたらどうなると思う?」


 勉強を教える者のような口調で頭の男はリルヴィアに訊ねてくる。


「国ごと滅ぼすには、土地を壊せばいいのさ」


「どういう意味ですか」


「百年程前にネフリティスを襲った大災害は知っているか?」


「……ええ」


 確か、国史には長期間の雨が降り続いたことにより、水かさの増した川が濁流と化して王都を襲ったと聞いている。


 その被害は大きいもので、濁流にのみ込まれて亡くなった人もいれば、汚水の排水が出来なかったことにより、淀んだ水から流行り病まで発生したのだという。


 それだけではなく、近隣の村々では増水した川の濁流によって育てていた農作物は全て流され、国全体が飢饉に襲われたのだ。


 大災害によって国の人口の六分の一が亡くなったことは周辺の国々に大きな衝撃を与えたらしい。

 しかし、クプルム王国以外の隣国から支援を受けたことで、何とか復興することが出来、今に至っている。


 この話はネフリティス王国の人間ならば、幼少期に誰しもが国史として勉強することだ。それを今更、目の前にいる男が自分に話す意味とは何だろうかと考えてみる。


 自分と関係していなければ、こんな話はしないはずだ。


 ……ネフリティス、大災害、川、飢饉。


 それらと自分が関わるものとは――。


 関連性に気付いたリルヴィアは悲痛な表情で、目の前の男を信じられないものを見るような瞳で見上げる。


「まさか……。まさか、私を使って、雨を降らせるために……」


「おっ! ご名答」


 愉快そうに頭の男は答えた。それはつまり、自分の雨を降らせる力を使って川を増水させて、無理矢理に大災害を引き起こそうとしているということだ。


「あんたは存在するだけで雨を降らせることが出来るらしいな? 王城の塔の外に一歩出ただけで、雨が降るとか」


「どうしてそれを……」


「あんたのところに、妙な占い師が来ただろう。あいつもクプルムの密偵なのさ」


「……! それじゃあ、この特使の旅は……」


「最初から全部、仕組まれていたんだよ。あんたを塔の外へと連れ出し、ここへと連れてくるためになぁ!」


 自分は気付かないまま利用されていたのだ。国を守るために決意したことが、国にとって大きな被害を与えるために仕組まれたことだと気付かずに。


「ここは王都へと水を運んでいる川の上流だ。しかも、雨期に合わせて水の量を調節出来る(せき)が見張り一人いないまま放置されているなんて、襲ってくれと言っているようなものだろう?」


 男達が何故、大きな鉄槌を持っていたのかリルヴィアはその理由にやっと気付いた。


「雨が降り続き、止められるものがなくなれば、あとはお膳立てされた通りのままだ」


 濁流が王都を襲う光景を脳裏に浮かべて、リルヴィアは急いで首を横に振った。


「上手くいくわけがないわ。あなた達の思い描くことはあくまで仮定の話だもの。それにそんな事をすれば、あなた達だって濁流に巻き込まれかねないでしょうに」


「はっ。その前にさっさと自国へ帰るさ。ここは幸い国境に近いからな。……その仮定を現実にするためにあんたを攫うという所業まで行ったんだ。しっかりと働いてもらうぜ?」


 男がリルヴィアの足元に向けて、鉄槌を振り下ろす。突然の行動にリルヴィアは何が起きたか分からないまま目を見開かせる。

 足先のすぐ傍には鉄槌が床へとめり込んで、深い穴を開けていた。


「いいか。逃げられると思うなよ? あんたの命が縮まるのが早くなっちまうぜ」


「……」


 リルヴィアの固まった表情を怯えと受け取ったのか、男はご機嫌な表情へと戻り、鉄槌を再び持ち上げる。


「それじゃあ、俺達は堰を壊してくるから大人しく待っているんだな」


 男の言葉にリルヴィアは仇の相手を睨むような厳しい視線を向けるも、彼らはそれさえも痒く思わないらしく、背を向けてさっさと堰がある場所へと行ってしまった。


 あの男達がやろうとしていることを止めなければならない。だが、自分にそんな力はないと分かっている。

 持っているのは雨を降らせるという稀有なものだけ。


 ……でもそれさえも、人を不幸にするものだったのね。


 顔を覆い、自分自身に絶望したくても、それすらも出来ない。


 ぽつりと頬を濡らす一滴が触れては流れていく。視線を上げれば、灰色の空がこちらの気持ちに遠慮することなく雨を降らせ始める。


「……どうして、降ってしまうの」


 その呟きを雨雲は受け入れることなく、静かに雨を落としていた。

 

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