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打ち消される叫び

 

 夕食後は明日の帰路についての道順を確認してから、それぞれが借りている部屋へと戻った。


 宿屋の多くの部屋は団体客が借りているとのことだが、リルヴィア達が食堂に居ても、他の客の姿を見ることはなかった。


 ベッドに入って、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。だが、人の呻き声のようなものが聞こえた気がして、リルヴィアは跳ね起きた。


「……」


 耳を澄ませて、微かな音を拾おうと扉の向こう側へと意識を集中させてみる。


 ……今、誰かが呟いたように聞こえたけれど。


 ベッドから立ち上がり、靴を履き直す。念のために外套を頭から被り直してから、リルヴィアは息を潜めた。


「――ここだ」


 そう確かに聞えたリルヴィアは心臓の奥が大きく脈打ったのが分かった。


 誰かの声がはっきりと聞こえたのだ。恐らく、一人ではない。自分が泊っている部屋の扉の向こう側に誰かがいる。


「……は気絶させろ。目的は……だ」


 知らない男の声だ。アルクスでも護衛の誰かでもない。低く少し曇ったような声は若者ではない気がした。


 リルヴィアは胸元に下げている石をしっかりと握りしめつつ、慣れて来た夜目を使ってベッドの枕元に置いていた護身用の短剣をベルトに差して、その上に服で見えないように隠した。


 何かが扉の向こうで起きている。それは分かっているが、どうすればいいのか分からない。


 そう言えば護衛の誰かが廊下を見張っているはずだ。それなのに知っている声すら聞こえないのは何かがあったに違いない。


 額に汗が伝っても、扉を凝視し続けた。

 ここは二階の部屋だ。窓はあるが、運動神経のない自分が外へと飛びおりて無事でいられる保証はないだろう。


 隣の部屋にはセリアとミーシェが寝ているはずだが、二人はこの異常な状況に気が付いているだろうか。


「……早くしろ。他の護衛が来たら面倒だ」


「確か、こいつ以外にもあと四人はいたよな」


 扉の向こうには数人の男がいるらしい。だが、それよりも驚いたのはアルクス達を護衛だと知っていることだ。


 自分達はただの泊り客としてこの宿屋に泊まっているため、護衛ということは誰にも伝えていない。そして、もう一つ気になる点があった。


 ……こいつ、と言ったわ。もしかして……。


 それは扉の前を護衛として見張っている者を指しているのではないかとリルヴィアは気付いた。


 震えそうになる足を何とか動かしつつ、リルヴィアは窓へと手を伸ばす。一か八かで窓から逃げた方がいいかもしれない。

 もし自分に危害を加えようとしているのであれば、数人相手はかなり分が悪い。


 だが、その時だった。微かな金属音が部屋に響いたのだ。


「っ!」


 思わず身体を強張らせていると、かけていたはずの鍵は開けられており、外側から内側へと押し込むように扉が動いていく。


 夜目が捉えたのは廊下からこちらを覗き込む数人の影。

 体験したことのない恐怖に襲われたリルヴィアは声を上げることも出来ずに彼らを凝視した。


「――何だ、起きていたのか」


「面倒な……。寝てくれている方がよっぽど楽だったのによ」


 汚い声が部屋中に響く。リルヴィアは彼らの足元に転がっているのが自分に付き添ってくれている護衛の一人、ロズだと気付いた。その表情は苦痛で歪んだままだ。


 だが、それが返ってリルヴィアを冷静へと戻した。


「……あなた達は何者です」


 男達は何かを確認するようにリルヴィアを上から下まで眺めるように見て、小さく笑った。


「あんた、ネフリティスのお姫さんだな?」


「……」


 無言のままで意地汚い笑みを浮かべている男達を睨むと彼らはわざとらしく肩をすくめた。何故、彼らは自分が王女だと知っているのか。


「言っておくが、誰もあんたを助けには来ないぜ」


「明日の朝まで、あんたがいなくなったことさえ気付かないままかもしれないな」


 誰かが言ったその言葉に同調するように汚い笑い声が重なっていく。耳を塞ぎたくなるが、リルヴィアはぐっと我慢して、毅然とした態度を演じた。


「……私に何をする気ですか」


「なぁに、お姫さんにはちょっとばかり、付いて来てもらうだけだ。……ここではない場所にな」


「……従わなかったらどうなるの」


「そうだなぁ……」


 男が言葉を紡ごうとした瞬間、隣の部屋から短い叫び声が聞こえる。


 その声がミーシェのものだと気付いたリルヴィアはすぐに男達の間をすり抜けて二人の部屋へと向かおうとしたが、男の腕によってそれは阻まれる。


「おっと、勝手なことは困るぜ」


「離しなさいっ!」


 リルヴィアの細い腕は簡単に男の手に掴まれ、動けないものとなる。


「――なっ⁉ 何者ですか、あなた達はっ!」


 セリアの焦った声が聞こえ、リルヴィアは声が届くように大声を出す。


「セリア! ミーシェ!」


 自分の声が聞こえたのか、セリアが姫様、と呼ぶ声が聞こえたと同時に途切れたように物音がしなくなる。


「っ……!」


 嫌な予感がしたリルヴィアは青ざめた表情のままで自分の腕を掴んだまま離さない男の顔を見上げた。


「あの子達に何をしたのっ⁉」


「少し大人しくしてもらっただけさ。人数が多いと面倒だからな。――おい、そこの女子(おんなこ)どもは縛っておけよ」


 男は用意していた縄でリルヴィアの身体を動けないようにと何重にして巻き付けてくる。


「っ……」


 力に容赦がないため、その痛みでリルヴィアが表情を歪ませると男は嘲笑うように小さく鼻を鳴らした。


「言っておくが、余計な真似をすれば、この二人どころかあんたに関わっている人間の命はないと思っておくことだな」


 その嘲笑を含めた歪んだ笑みが頭に張り付いたように取れなくなってしまう。


「――お(かしら)、向こうの奴らも出られないようにしてきました」


「ついでに宿屋の売上金と金目の物も馬車に運んでおきましたぜ」


「よし、それじゃあ引き上げるぞ」


 頭と呼ばれた男は縄で縛ったリルヴィアをひょいっと片手で荷物を運ぶように抱え上げる。


「このっ……」


 リルヴィアは男の腕の中でもがくが、全く相手にされることはないまま部屋から連れ出される。


 廊下には護衛のロズが仰向けになって倒れているままだ。剣は抜かれていないので不意打ちで気絶させられたらしい。


 そして隣の部屋の前を通る際に見えたのは、自分と同じように縛り上げられたセリアとミーシェの姿だった。

 二人は折り重なるようにして床の上に倒れている。気絶させられているとは言え、その表情は歪んで見えた。


「セリアっ! ミーシェ!」


 名前を呼んでも二人が目を覚ます事はない。男の腕に抱えられたままリルヴィアは名前を呼び続けた。


「誰かっ……! 誰かいませんかっ!」


 この宿屋の従業員がいたはずだ。誰でもいいから気付いて欲しかったが、返事は返ってこない。


「言っておくが、あんた以外の皆には眠ってもらっているぜ。ここには俺達しかいないからな」


「何ですって……」


 そこでリルヴィアははっと何かに気付く。もしや夕方、アルクスが言っていた団体客とはこの男達の事ではないだろうかと。


 それなら、最初からネフリティス王国の王女である自分がこの宿屋に泊まると知っていて、客を装っていたことになる。


「……誰の差し金ですか」


 恐怖で言葉が詰まりそうになりつつもリルヴィアははっきりとした声で訊ねる。


「私のような軽視されている姫を攫っても利益になることはありません。それどころか厄介者払い出来たと国王達には安堵されるに決まっています」


 真面目な声色でそう告げると頭の男は再びリルヴィアを鼻で笑った。


「はっ。あんたを誘拐して金を得るというのもいいが、俺達は姫としてのあんたに興味があるわけじゃねぇ」


 宿屋の外へと強引に連れて行かれたと思ったら、出入り口のすぐ傍に荷馬車が停まっていた。その荷台の上にリルヴィアは果物を放り投げるように乱暴に横たえられる。


「っ……」


 痛みで顔を歪ませて、自分を投げ放した男を睨むと彼は馬鹿にするような瞳でこちらを見ていた。


「あんたの雨を降らせるその力、使わせてもらうぜ?」


「どうして、それを……!」


 何故、自分が持っている力の事をこの男は知っているのか。しかし、リルヴィアの悲痛な問いかけに男は答えることはなかった。


 悪人面という言葉を本で読んだことがあるが、まさにこの男に似合う言葉だと冴えた頭で理解していた。

 見下すような視線と嘲笑う口元、良いと思えない態度の全てを以て、これを悪人というのだと思う。


 声を出せないようにするためなのか、口には布を棒状に細めたものを無理矢理に咥えさせられて、頭の後ろ辺りできつく結ばれる。


 そして、荷台の上に横たえられたリルヴィアの上に分厚い布のようなものが被せられたことで、視界は暗闇しか映さなくなってしまった。

 自分が逃げないようにと用心しているのか、再び縄で布ごと身体を縛り上げられる。


「これだけやっておけば、逃げないだろう。――おい、そろそろ行くぞ」


 頭の男の声に従うように男達が返事をする。


 ……どこに連れて行くというの。


 ここではないどこかと言っていた。だが、見当が付かないため、考えても男達が何故自分を攫うのか理由が分からない。


 ただ一つだけ分かるのは、自分のせいでセリア達を巻き込んだということだ。


 ……アルクスさん。


 自分を攫っている男達は他にも護衛がいることを知っていた。その上で、朝まで自分が消えたことに気付かないだろうと。

 もしかすると離れの借り家で寝ているアルクス達の身に何か起きているのかもしれない。


 それなのに、身体は自分の意思で動くことが出来ないままだ。


 車輪が回る音が荷台の下から聞こえ、振動が直接身体に伝わって来る。荷馬車が目的地に向かって動き始めたようだ。


 声さえ出せれば、アルクス達でなくとも、村人の誰かに聞こえるかもしれない。だが、声が出せないように閉ざされているため、助けを呼ぶことはできなかった。


 ……誰か。


 そう思った時、最初に浮かんだのはアルクスの無邪気に笑う穏やかな姿だった。その微笑みは身体に感じる痛みによって打ち消される。


 自分はどこに連れて行かれるのだろうか。どうして自分以外の人間が傷付いてしまうのか。

 そう問いかけても、答えてくれる者はいなかった。

  

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