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夜だけの友人

 

「あ、そう言えば名前を言ってなかったよね。俺はアルクス。君の名前も聞いても良いかな?」


「え……」


 名前を訊ねられると思っていなかったリルヴィアはつい動揺の素振りを見せてしまう。

 名前を言えば、彼に自分が何者なのかが知られてしまうだろう。


 雨しかもたらさない、太陽に嫌われた姫だと知られてしまえば、彼が自分に向けていた笑顔が消えてしまうのではないかと恐れの方が先に込み上げてきたのだ。


 どう答えようかと悩んでいると、そんなリルヴィアを気遣ってなのか、アルクスは慌てるように手を横に振った。


「ごめん、不躾(ぶしつけ)だったよね。よく、姉上からもお前はもっと思慮深(しりょぶか)くなれって言われていたのに……」


 駄目な奴だな、と彼は独り言のように呟いていたが、彼のせいではない。怯えている自分が悪いのだ。


「……すみません、名前を名乗れる身ではないのです」


 顏を伏せながらそう言うとアルクスは先程よりもさらに慌てたように首を横へと振った。


「謝らないで。俺が遠慮なさ過ぎたのが悪いんだから」


「ですが……」


「あ、それなら仮の名前で呼ぶのはどうかな」


「え……。仮の名前、ですか?」


「うん。何にしようかな……。あっ……」


 そう言って彼が見上げたのは空で輝いている月だった。


「そうだ、月にしよう」


「月、ですか?」


「俺の好きな物語の登場人物でね、主人公の相棒の名前なんだ。ルネ、っていう猫なんだけれど、その名前は遠い国で月という意味なんだって」


「あっ……」


 アルクスの言葉にリルヴィアは思わず声を上げてしまった。


「あの、その物語はもしかして……。『虹の世界を歩くもの』という本ですか?」


「そう、それ! えっ、知っているの?」


 それは自分が今日、イルティから借りたばかり本の名前だ。その中に主人公である旅人の相棒にルネという猫がいたのだ。


「はい。知り合いの方からその本を紹介してもらいまして。今、新刊を読んでいるんです」


「いいなぁ……。この続き物、ずっと好きで読み続けているんだけれど、最近、忙し過ぎて本を読む時間がないんだよね……」


 騎士ならば、毎日忙しく勤めを果たしているのだろう。少し申し訳ない気分になりつつもリルヴィアは自分の好きな本の愛読者に会えたことを嬉しく思っていた。


「お貸ししたいですが、人からの借り物ですので……」


「あっ、ううん。そういう意味じゃないんだ。大丈夫、俺の姉上もこの本の愛読者だからもしかすると新刊を買っているかもしれないし、聞いてみるよ」


 嫌味のない笑顔でアルクスはそう言った。


「……それでは、私のことはその……ルネ、とお呼び下さって構いませんので」


「え、いいの?」


「はい。アルクスさん以外で他に呼ばれることもないでしょうし……」


「それじゃあ、この名前も俺達だけの秘密だね」


 アルクスは人差し指を彼の唇にそっと添えながら、小さく笑う。


 彼だけに呼ばれる秘密の名前。それだけでも特別な気がしてしまい、自分は変な顔になっていないか確かめたくなってしまう。


「それでルネさんはいつもここに星見に来ているの?」


「……はい。曇っている時や眠い日以外はよく散歩に来ます」


「まぁ、ここは近衛騎士団の宿舎から離れているけれど、女の子一人で夜道を歩いていたら危なくない?」


 どこか自分の身を心配するような口調にリルヴィアは首を竦める。


「やはり、夜中に歩くのは不審に思われますよね……」


「あ、違うんだ。ルネさんみたいに大人しそうな子が夜道を歩いて、変な奴らに絡まれたら大変だなと思って。ここは一応、王城の敷地だからそういう輩は少ないと思うけどさ……」


 何故か困ったように答えるアルクスは弟というよりも、兄のように見えた。


「……もし、そんな時があれば走って逃げます。足は遅いかもしれませんが……」


「ははっ……。走るのは苦手か。まぁ、俺も女の子で足が速い人は姉上以外に見た事がないな」


「……お姉さんと仲が良いのですね」


 兄弟の仲が良いことはいいことだ。自分は義兄弟達からは訊ねなくても嫌われていると分かっているので、仲が良い兄弟が少し羨ましく思ってしまう。


「うーん……。悪くはないかなぁ」


 アルクスは頭を捻りながら腕を組む。


「凄く厳しい人なんだ。自分にも俺にも。……昔はあの厳しさが怖くもあったけれど、今思えば、弱かった俺を強くするためだっただろうし」


 嫌な思い出ばかりではないのだろう。細められたアルクスの目は遠い日に思いを馳せているように見えた。


「あ、俺ばかり喋ってごめんね」


「いえ……。あまり人様のお話を聞く機会はないので、とても楽しいですよ」


 慌てた素振りが何故か可愛く見えてしまい、リルヴィアは口元を隠しながら小さく笑った。


「……ルネさんは聞き上手なんだね」


「そうでしょうか。多分、本を読むのと同じで、色んな話を知りたいと思っているからかもしれません」


 塔の外には自分の知らないことで溢れている。情報源となるのは、読んでいる本と侍女二人から聞ける話、そして団長のイルティがたまにする世間話くらいだ。


 ……世間知らずと思われていないかしら。


 出来るだけ、言葉に気を付けているつもりだが普段は引きこもっているので話し方がおかしくないか不安になってしまう。


「あ、それなら今度、俺のお気に入りの短編集を持って来るよ」


「え……」


 つい、ぽつりと零してしまった言葉に今度はアルクスの方が戸惑いを見せる。


「あー……。こういう()()れしい所が駄目だと分かっているんだけどな。……つまりはさ、俺の友人になって欲しいなと思って」


「友人、ですか……?」


 初めて聞いた言葉ではない。ただ、人生で一度も言われたことのない言葉に驚いてしまったリルヴィアはつい、声を裏返してしまった。


「うん、そう。ルネさんが良ければ俺の友人になって欲しいんだ。今日みたいに好きな本の話をしたり、ただ星を見ているだけでもいいから……。もう少しルネさんと話がしたくって」


「私と……ですか?」


「そうだよ。趣味の話で合う人が周りにいないからさ……。君さえ良ければ、また色々と話したいな。……まぁ、俺がお喋り過ぎて幻滅されるかもしれないけど」


 そう言って、アルクスは唇を軽く尖らせる。その小さな仕草にリルヴィアはもう一度笑ってしまった。


「では、夜だけお会いする友人というのはいかがでしょうか」


「あ、それいいね。夜だけの秘密の友人。物語の中に出てくる話みたいだ」


 屈託(くったく)なく笑うアルクスにつられて、リルヴィアも頷きながら微かに笑った。これ程、ずっと笑顔のままでいられるのは本当に久しぶりな気がする。


「……それじゃあ、俺はそろそろ戻るよ。途中まで送っていこうか?」


 アルクスはすっと立ち上がり、こちらを振り返る。立つとかなり、身長が高いようだ。


「あ、いえ……。私はもう少しここにいます」


 送ってもらうのはかなり気まずい。塔まで送ってもらえば自分が雨を降らせるリルヴィア姫だと知られてしまう可能性が高くなるので別々に帰った方が良いだろう。


「あまり遅くまでいると身体を冷やすから気を付けてね」


「はい。あの……ありがとうございました」


 何に対してのお礼なのかは分からないが、いつのまにか呟いてしまっていた言葉に自分が一番驚いていた。

 一歩ずつ、アルクスがその場から離れていく。


「……」


 遠くなっていく足音に対してこれほど名残惜しくなるのは初めてだった。

 すると、ぴたりと足音が止まった気配がして、リルヴィアはつい顔を上げる。


「――ルネさん」


 与えられたもう一つの名前を呼ばれ、リルヴィアは身体ごと大きく振り返った。こちらに向けて手を振っているのは笑顔のアルクス。


「またね」


 夜なのに、その笑顔は太陽のように明るく思えた。


「……はい。また……」


 軽く手を挙げて、リルヴィアもその手を彼に振り返す。アルクスは小さく頷いてから再びこちらに背を向けて、木々の向こう側へと姿を消した。


 立ち上がりかけていた身体を長椅子の背もたれに預けて、深い溜息を吐く。


 ……誰かにまたね、なんて言われたのは初めてだわ。


 心に残ったのは味わったことのない、温かで寂しいものだった。この感情を人は何と呼んでいるのか。自分が今まで読んできた本の中には書いてはいなかった。


 いつか、アルクスが自分の本当の正体を知ったらどう思うだろうか。

 やはり、他の人間と同じように恐れ、奇妙なものを見るような瞳を向けるのか、それとも同情的な瞳を向けるのか。


 ……言えないわ。あの人には絶対に知られたくないもの。


 気遣う言葉、優しい笑顔。

 それが曇ってしまう気がした。


 空を見上げながらリルヴィアは唇を噛み締める。また、アルクスに会いたいと思いつつも、初めての感情に戸惑いと恐れを抱いていた。

 

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