砕く心
その日は宿屋で一泊するだけなので特にすることもなく、リルヴィアは一人部屋のベッドの上へと寝ころんでいた。
夕食を食べた後も何かしようという気にはならなかった。本でも持ってくれば良かったと後悔しても遅い。
どれくらいの雨量が降ったのだろう。
大干ばつを防ぐにはどのくらいの水が必要なのだろうか。
そんなことを考えつつ、天井を見上げれば見知らぬ木目が並んでいる。塔の自室は石の天井なので、それを思い出そうとしたところで、部屋の扉が叩かれた。
誰だろうか。セリアとミーシェには暫く一人にさせて欲しいと告げて、部屋の鍵をかけて過ごしていた。
「……リルヴィア姫、起きておられますか」
「っ……」
声を聞いて、リルヴィアはベッドから跳ね起きた。
そして、扉の鍵をすぐに外して、内側からゆっくりと開く。扉の向こう側に真っすぐと立っていたのはアルクスだった。
アルクスはどこか安堵したような表情で微笑んでいた。その優しい笑みが嬉しいはずなのに、今は私情を挟んではいけないとリルヴィアは口元が緩まないように気を付けつつ返事をした。
「どうかしましたか」
「……」
アルクスは廊下に気配がないことを確認するように、左右を見た。
「……話をされるのであれば、私の部屋に入りますか」
「ですが、それは……」
「構いませんよ。隣の部屋にはセリア達もいますし」
自分が姫であるため、遠慮しているのだろう。リルヴィアはどうぞと言ってアルクスを部屋へと招きいれた。
彼は少しだけ遠慮がちに部屋の中へと入って来る。
宿屋の中では目立つが、白い外套を着たままで過ごしているのは、腰に下げている近衛騎士団の紋章が入った剣を隠しているからかもしれない。
どんな時も帯剣していなければならないのは窮屈そうだが、それが役目であるため仕方がないのだろう。
「それでお話というのは何でしょうか。もし、やり辛い話ならば……今だけ、『友人』で構いませんよ、アルクスさん」
自分が彼の名前をそう呼ぶと、アルクスはどこか気が抜けたように深い溜息を吐いた。
「……この宿屋の壁はそれ程薄くはないから聞き耳を立てられる心配はないと思うけれど、気を付けてね」
「はい」
久しぶりの友人らしい口調にリルヴィアも笑みを綻ばせた。
アルクスはここ最近、ずっと生真面目な態度で自分に接していたため、やはり気疲れしていたのかもしれない。
リルヴィアはベッドの上に腰掛けて、アルクスに部屋に置かれていた椅子に座るように勧めた。彼が深く椅子に座ってから、リルヴィアは再び問いかける。
「すみません、表の立場だとどうしても主と従者という関係をとらなければならないので、大変ですよね」
「いや、それはいいんだよね。俺が選んだことだし。ただ……」
そこでアルクスは気まずそうに口籠る。どうやら言葉を選んでいるらしい。
「……せっかく、俺が特使の護衛長になったのに、上手く他の護衛をまとめ切れていないせいで、君には気まずい思いをさせてしまって申し訳ないんだ」
「え?」
まさか謝られるとは思っていなかったリルヴィアは目を丸くしてから右手を横に振った。
「そんなことないです。むしろアルクスさんには色々とご迷惑をおかけしてばかりで……」
「……君には言っていなかったけれど、実は……俺の友人以外は噂の占い師が勝手に特使の護衛として選んだ騎士なんだ」
「……」
どこか苦しそうにアルクスは顏を顰めてそう言った。
「俺がもっと発言する力があれば、他に気心の知れた奴を旅に同行させることが出来たんだけれど、国王様があまり人数を割きたくないと仰って……」
「……それはそうでしょうね」
騎士は国力の一部だ。数人であれ、情をかけていない娘一人にそう何人も人数を割り当てるわけがない。
「もし、そのことで悩んでおられるのでしたら、御心配なく。むしろ、人が少ない方が私としても慣れていますので」
「でも、人数が少ないと心許なくない? 道案内の人間を雇っているとしても、さすがに……」
続きを呟こうとするアルクスの手にリルヴィアは自分のものをそっと添える。温度は温かいもので、こうして触れていると自分の方に熱が移ってきそうだ。
「……お心遣い、ありがとうございます」
自分のために、彼は心を砕いてくれている。それを嬉しく思ってしまう自分はやはりずるい人間なのだ。
「アルクスさんはイルティさんに剣術で勝ったとお聞きしました。あなたのご友人であるナスターさんも腕が立つと報告を受けています。お強い方が自分の周りにいるのはとても心強いです。なので、護衛の件はそれ程、心配はしておりません」
アルクスは何か言いたげな表情で、口を閉ざした。
「私は大丈夫です。……この旅に関することで気になることなどありませんから」
これ以上、アルクスに心配ごとを増やさせてはいけない。リルヴィアは両手でアルクスの手を包み込んで、にこりと笑う。
「まだ特使としての旅は始まったばかりですがもう暫くの間、護衛の任、どうぞ宜しくお願いしますね」
「……うん」
リルヴィアの笑顔に押されてなのか、アルクスは遠慮がちに頷き返す。
「――おーい、アルクス。ちょっといいかー?」
宿屋の廊下に響き渡る声にアルクスはぱっと顔を上げる。どうやら一階から、彼の友人であるナスターが呼んでいるらしい。
「ちょっと、明日の通る道について話したいから下りてきてくれないか」
明日は朝から別の村へと移動することになっている。それの打ち合わせがしたいのだろう。
「……すみません、行ってきます」
アルクスがそう呟いた時には、友人ではなく従者の表情へと戻っていた。
「はい。……明日も宜しくお願いしますね」
こくりとアルクスは頷き、一礼してから部屋を出て行く。扉が閉められる瞬間までリルヴィアはアルクスを目で追った。
……やっぱり、重荷になっているのかしら。
そう考えないようにしようと思っていても、自分のせいでアルクスに負荷がかかっていると感じてしまう。
ゆっくりと頭の向きを窓の外へと向ける。塔から出て、外で過ごす初めての一日。昼間はずっと降り続けていた雨は夜になり、やっとその雨足を止めていた。
・・・・・・・・・・
宿屋で出された朝食を食べ終わった後、リルヴィア達一行はすぐに次の村に向けて出発した。
その日も、太陽が出る時間になってから雨が降り出し始めたため、護衛の数人はどこか湿っぽい雨に不満そうな顔をしているように見えた。
そう思われるのも仕方がないだろう。夜には晴れていた空が朝になってから再び曇りはじめ、雨を降らせていくのだから。
自分でもこの身が何故そうしてしまうのか分からないまま十数年生きている。
「……」
リルヴィアは雨除けの術がかけられた外套を両手で寄せ合わせるように握りしめた。
まだ、旅が始まって一日経っただけだ。設けられた日数は二週間程だが、その通りにこの旅が進められるとは限らない。
その間、ずっと雨が降り続けるならば、誰だって苛立ちが募って、億劫になるはずだ。
それでも自分は、この旅の供をしてくれている皆の体調に影響しないことを祈るしかない。
唇を噛み締めたのを目の前のセリア達に気付かれないようにと、馬車の外の光景へと目を向けた。窓の外ではアルクス達が雨具を着て、馬に乗って走っている。
……どうか、体調を崩しませんように。
それしか祈ることが出来ず、リルヴィアは現実から目を逸らすように、瞼を伏せた。




