噂の占い師
イルティに呼ばれているが、それまで少し時間があるため、アルクスはリルヴィアの要望に応えるべく王城内の大図書館へと来ていた。
ここ最近は鍛錬と仕事が忙しくて足が遠ざかっていたが、やはりこの図書館という空間に漂う古い本の空気は堪らなく好きだ。
何の本を選ぼうかと視線を迷わせていると後ろから、ぽんっと肩に手を載せられる。
「……何だ、ナスターか」
「何だとは失礼だな。お前がこっちの方に歩いて行くのが見えたからつい、追いかけて来た」
「追いかけて来たって……」
「大丈夫だって、今は休憩時間だし。それより、どんな感じなんだ? リルヴィア姫の側近は」
最後の言葉だけ、周りで本を読んでいる人達に聞かれないように小声になった。
ナスターも人を気遣うことが出来るらしく、アルクスはわざとらしくないように振舞いつつ、目の前の本を一冊手に取った。
「……別に、ちゃんとやっているよ」
団長のイルティの弟である自分がこの国の末姫の側近になったことは翌日には王城全体に広がっていた。
隠すつもりはなかったが、あまりにもその話が広まるのが早いのは側近として仕える姫が「雨を降らせる姫」だからだろう。
しかし、それは良い意味で注目されているわけではないと分かっていた。
直接、自分に向けては言ってくる者はいないものの、情報通であるナスターから自分を物好きや媚びを売っているなどと王城の者が会話していたことは聞いている。
「へぇ?」
にやりとナスターが口元を緩める。恐らく、また余計なことでも考えているのだろう。
「それでお前が久しぶりに大図書館に来た理由はその姫様が関係しているのか?」
「お前は本当に何でも遠慮なく聞いてくるなぁ。……この後、姉上に呼ばれているからそれまでの間、暇を潰しているだけだ」
「ふーん? まぁ、気が向いたら話してくれよな。俺、口は堅いから」
このナスターという男は、確かに調子はいつも軽いのだが口だけは堅い男だ。だからといって、リルヴィアと楽しく会話したことを教えてやる筋合いはない。
アルクスは軽く無視をしつつ、本棚へと再び視線を移した。
「……でも、少し元気になったみたいで安心したぜ」
「は?」
「お前、最近色々と悩んでいただろう? 例の相手が誰なのか野暮な事は聞かないけどさ」
「……」
恐らく、ナスターのことなので、その相手がリルヴィアだったと気付いているはずだ。それを明言しないのは彼なりの配慮なのだろう。
「しかも、イルティさんと決闘して剣まで折ったという話を聞いたけれど、あれって本当なのか?」
「どこから、そんな話が……」
自分とイルティの決闘は夜中に行ったため、誰も知らないはずだとアルクスが首を傾げるとナスターはわざとらしく肩を竦めた。
「近衛騎士団御用達の鍛冶屋にイルティさんが折れた剣とは別にもう一本、修理と手入れを頼んだらしいな。あそこの親父はお喋りだからなぁ。折れた剣から姉弟喧嘩でもしたんじゃないかと察したんだろうよ」
確かに自分の剣はイルティが鍛冶屋に出してしまっているため、今は予備の剣を帯剣していた。
近衛騎士団の騎士は、一人一本は必ず自分の名前が刻まれた剣を持っており、鍛冶屋に出されている剣はもちろん、アルクスの名前が刻まれているものだ。
「それで本当に勝ったのか? お前、今まで散々イルティさんと勝負していたけど、一度も勝ったことなんてなかっただろう」
さすがにお互い、幼少期から知っているだけあって、恥ずかしい過去も覚えているようだ。
「それはお前の想像に任せる」
「えー……。別にいいだろう。減るものじゃないし」
「お前に話したら一生、話題に上げて俺の事をからかってくるだろう」
「そんなことないって。ただの興味だし」
アルクスが溜息交じりに返事をしようとした時だ。
背後に気配を感じたため、ナスターと同時に後ろを振り返るとそこには紫の長い布を頭に被った、柔和そうな面立ちをした中年の男が立っていた。
「すみませんが、そこの本を取りたいので……」
自分達が壁となっているせいで、本棚にある取りたい本を取れずにいたらしく、その男は申し訳なさそうに頭を下げつつ、二人の間に手を伸ばしてきた。
「あ、邪魔になってしまって申し訳ないです」
アルクスとナスターはすぐにその場所をすっと譲った。紫の布はかなり上質なもののように見えるが、その顔に見覚えはない。
その男は身体を少し縮めながら、欲しかった本へと手をかけて一冊抜き取った。
緑の背表紙の分厚い本には『地理と国土の関係性について』と題名が書かれていた。政策を考える政務官くらいしか読まなさそうな本を男は両手で抱えつつ、自分が座っている席へと持って行く。
紫の布を頭から被った男の背中を何となく見送っていると隣に立っていたナスターが腹を小突いてきた。
「おい、今の……。噂の占い師様だぜ」
「え?」
「最近、王城内で話題になっているだろう。正体不明だが、その占いは百発百中だって言われている男さ」
「何でお前が顔を知っているんだ」
「この前、侍女達があの男を囲ってお茶を誘っているところを見たんだよね。まぁ、顔はそれなりに男前だし、物腰も柔らかいから女達から人気が出るのも分からなくはないね」
「……」
アルクスはすっと占い師の男へと再び視線を向ける。
占い師の男は山のように積まれた本を目の前にゆったりと椅子に座って、本を読み始めている。
重ねられた本の背表紙がこちらに向けられて置かれているので、近づかなくても何の本が読まれているのか、この場所からでも見えた。
積まれている本の題名から察するに「国史」「地理」関係が多いようだが、その中に一冊だけ、関連性がよく分からない本が置かれている。
机に広げられている本の中で一番、立派な装丁の本は「ネフリティス王国王族家系図」と黒の表紙に金の文字で書かれているものだった。
……あの本って一般人でも読めるっけ?
確か、禁書として大図書館の奥にある鍵のかけられた部屋で管理されているものの部類ではないだろうかと頭に過ぎった。
だが、あの占い師のことだ。誰か権力の強い人間に頼み込んで、禁書を読む手段を得たのかもしれない。
権力者の力を使ってまで何故、王族の家系図などを読んでいるのか少し不思議に思ったアルクスは首を傾げつつ、本棚の方へと目を移した。
一冊分だけ空白となった本棚を見つめながら、占い師は何を調べているのかそちらばかりが気になってしまう。
「アルクス、もうすぐイルティさんに呼ばれている時間だろう? そろそろ準備した方がいいんじゃないか?」
「え? ああ、もうそんな時間か」
リルヴィアに貸すために本を選んでいたが、思っていたよりも時間をかけ過ぎていたようだ。
アルクスは少し思案してから、自分の背よりも高い本棚から一冊の本を抜き取った。
リルヴィアが普段読んでいる本は物語ばかりのようなので、今回渡そうと思っている本は少し違ったものにしてみたが、どう思われるだろうか。
零れそうになる笑みをナスターに見られないように隠しつつ、アルクスは本の貸し出しの手続きをするために受付をしてくれる司書のもとへと向かった。




