密かな頼み事
アルクスがリルヴィアの側近となって数日が経った。主な仕事としてはリルヴィアの警護となっている。
しかし、普段から誰かが頻繁に塔を訪ねてくるわけではないので、彼の仕事は専ら食事を作る際に必要な薪を塔内に運ぶ力仕事や掃除が主となっていた。
もちろん、そう言い付けをしているのはリルヴィアではない。アルクスが率先して力仕事をしてくれているのだ。
それが好印象となっているのか、ミーシェはすっかりアルクスに懐いていた。
その一方でセリアの方はというと、認めたくはないが仕方がないと腹を括ったらしく当初のように、アルクスに対する嫌悪感を表すことはなくなっていた。
本気でアルクスを嫌っているわけではないようなので、暫くは様子を見ていても大丈夫だろう。
その日の掃除や雑用を終わらせた後は、四人でお茶を飲むこととなった。
普段使っている調理場の隣の大台の上にカップとお茶菓子を置いて、四人はそれを囲むように座るが、アルクスがあまりにも自然に溶け込んでいるように思えて、そのことに何気ない嬉しさを感じたリルヴィアは微笑を隠した。
紅茶を飲みつつ、世間話をしているとアルクスが何かを思い出したようにぽつりと言葉をもらす。
「そういえば今、王城で話題になっている占い師って知っていますか」
「占い師?」
リルヴィアと同じように、菓子を口へと運んでいたセリアとミーシェも首を傾げる。毎朝、王城の厨房へと朝食のパンを受け取りに行っているミーシェも知らないようだ。
「誰かの紹介か分かりませんが、よく王城に入り浸っている占い師がいるらしく、その占いの的中率が百発百中だと聞いたんです」
「まぁ……」
リルヴィアは不思議なこともあるものだと驚きの声を上げたが、セリアの方は占いなどを全く信じていないらしく、顔を顰めて次の菓子を口へと放り込んだ。
「何でもリルヴィア姫の姉上であられる姫君達どころか国王陛下までご執心とか」
アルクスは苦笑しながら冗談のようにそう言った。
「……占いで国の大事を決めるなんてことがあったら、良い笑い者ですよ」
毒を吐くセリアを窘めるようにリルヴィアは溜息を吐く。
「もう、セリアったら。……でも祝い事をする際には占いで日程を決めたりすることもあるでしょう?」
「それはそうかもしれませんが、国王様までご執心なさるなんて……。仮にも一国の王であられるのに占いで一喜一憂して国の大事を軽々と決めて欲しくないじゃないですか」
「姉様ってば、また……」
妹であるミーシェにまで窘められたセリアは鼻を鳴らして、カップに入っている紅茶を一気に飲み干した。
「……あの。その占い師はどのような占いをしているのかなど、聞いていますか?」
試しにリルヴィアはアルクスに話の続きを聞いてみることにした。
「そうですね……。私も友人からのまた聞きなので、少しだけしか覚えていませんが。例えば、姉上であられる姫君達が失くしたと思っていた物があった場所をぴたりと当てたとか、誰それに大金が舞い込んでくるという占いが当たったという話を聞きました」
「……上の姫君達は物を持ちすぎだから、失くしたと勘違いしているだけですよ、きっと」
付け加えるようにセリアがぼそりと呟いたため、その隣に座っているミーシェが彼女の脇腹を軽く小突いていた。
「でも、不思議な事もあるんですねぇ」
ミーシェも驚いてはいるようだが、あまり関心はないようだ。
「まぁ、王城に入り浸っているならどこかで会うかもしれませんね。ただ、素性がはっきりと分からない占い師らしいので、用心しておいた方がいいでしょう」
「素性が知らない者を入れているなんて、王城の警備はどうなっているんですか、全く」
呆れた溜息を吐くセリアに対して、アルクスも困ったように苦笑した。
「我々、騎士団も人の出入りを厳しく取り締まり切れない時はあるんですよ。例えば……大臣が親しい人間を王城に連れてくる場合や王族によって直接お召しがかかった者などは、門番による審査や身体検査を受けずに門を通ることが出来るんです」
「……色々と気苦労が多そうですね」
地位ある者の都合で仕事が滞ることもあるのなら、自分が悪い事をしたわけではないのに少し申し訳ない気持ちになってしまう。
「荒波を立てないようにはしていますよ。まぁ、近衛騎士団には血の気が多い者もいますけど」
何でもなさそうにアルクスはそう答えて、カップの紅茶を口へと含めた。
「あ、美味しいですね。この味、好きです」
「セリアは紅茶を淹れるのが得意なんですよ」
アルクスの呟きに答えつつ、リルヴィアはちらりとセリアの方を見た。
淹れたお茶の味を褒められて、気恥ずかしく思ったのかセリアはわざと無表情を作っているように見えた。これは照れている時の顔だ。
「……そういえば、洗濯物を取り込む時間ですね。失礼致します」
わざとらしくそう言い置いて、セリアは長椅子から立ち上がり、さっさと調理場がある部屋から出て行った。
「……どうやら、褒められて嬉しかったようですね」
セリアの後ろ姿を見つつ、同じように顔の変化から感情を読み取れたミーシェが苦笑しながら立ち上がった。
「私も姉様の手伝いをしてきます。アルクスさんは確か、このあと王城に戻られるのですよね?」
「はい。この後、姉上……じゃなかった、イルティ団長に呼ばれているので」
アルクスの返答にミーシェは軽く頷いてから、リルヴィアの方へと振り返る。
「片付けは後でやっておきますので、カップはそのまま置いておいて下さい」
「あら、私も後片付けくらい出来るわよ?」
「駄目ですっ! 今日は私の当番です!」
頬を膨らませながらミーシェが勢いよくそう言ったので、リルヴィアは微苦笑を浮かべて頷いた。
「分かったわ。それじゃあ、後で宜しくね」
ミーシェはこくりと大きく頷いてから、セリアが出て行った扉へと向かっていった。完全に足音が聞こえなくなるのを確認してから、アルクスが小声で笑いかけてくる。
「片付け、当番制なんですね」
「ええ。……ずっと塔に籠っているだけだとすることがないので、料理以外は手伝わせてもらっているんです」
もっとも、料理は怪我をしたら危ないという理由で刃物も火も未だに扱わせてもらえないでいる。
「それでは私もそろそろ失礼致しますね」
「あっ……」
アルクスに続くようにリルヴィアも立ち上がる。
「あの、アルクスさん」
周りに自分達以外に誰もいないので、ついいつもの呼び方で呼んでしまう。
「何でしょうか」
「その……一つお願いがありまして」
何と切り出せばいいのか迷っていると、アルクスは自分の目線に合わせて腰を屈めてくれる。
「どうしましたか?」
「あの、ですね……。私、王城の中にある大図書館に行ったことがなくて……。もし宜しければ、大図書館から本を借りてくる、なんてこと……頼めないでしょうか」
王城の大図書館はかなり広く、数えきれない程の本がずらりと並んでいると聞いている。もちろん、見た事も入ったこともないので、憧れだけを抱いていた。
自分はこの塔から出られないため、本を借りに行くことも出来ないし、同じように王城の中をそれほど詳しくないセリアとミーシェに頼むことは出来なかった。
どんな顔をされるだろうかと、アルクスの表情を下から窺ってみると、彼は少し目を丸くして、眩しく破顔した。
「いいですよ。それなら、私の名前で本を借りてきますね」
「え……。いいのですか?」
「ええ。次にここへ訪れる際に持ってきますね。置いておくだけなら、また貸しにはならないと思いますし」
「……ありがとうございます」
「ちなみに、どんな本が読みたいなど希望はありますか?」
「えっと……。本だったら何でも好んで読みますので……。あっ、アルクスさんのお薦めで」
リルヴィアがそう答えるとアルクスは自分の唇に人差し指を立てて、口元を小さく緩めた。
「口調、気を付けないと戻っていますよ、リルヴィア姫」
秘密事を話すような仕草にリルヴィアは口調がつい、馴れ馴れしくなっていたことに気付き、自分の口を手で押さえた。
「……すみません、セリア達の前では気を付けているのですが二人きりになると、つい……」
「まぁ、分からなくはないですけれどね。私もたまに素で話してしまいそうになりますから」
アルクスはそう言っているものの、ここ数日間、塔に訪れている間の仕草や口調、姿勢といったものは側近として完璧にやり通しているように見える。余程、素が出ないように注意しているのだ。
……私も気を付けなくちゃ。
自分の不注意でもしかするとアルクスに迷惑がかかることもあるかもしれない。
アルクスに付いて行くように彼の後ろを歩く。塔の外へと通じる扉の前で追いかけていた背中が立ち止まり、アルクスがこちらへと振り返る。
「では、また……」
「あ、はい。お気をつけて……」
下げられる頭に対して、リルヴィアも軽く頭を下げ返した。開かれた扉の向こう側へとアルクスの姿が消えるまで、じっと見つめ続ける。
この扉を自分で開けて、外を自由に出歩けたらどんなにいいだろうかと願ったことは何度もある。
だが、それをやらないのは、やっても自分が惨めな思いをするだけだと知っているからだ。
しかし、今は違った。この扉が向こう側から開けられることを何よりも楽しみにしてしまっている自分がいる。
アルクスも一日中、塔の中で仕事をするわけではない。普段は剣術の鍛錬や団長であるイルティに任された仕事もやらなければならないらしく、王城と塔を行ったり来たりしていた。
……この塔は王城と離れているから、何だか申し訳ないわね。
それでもアルクスは不満などを口にせずに毎日、側近としての仕事を務めに来てくれている。
彼は仕事として自分に仕えてくれているのに、毎日会えるのが楽しみだと思うのは無神経かもしれない。
「……また、あとで」
その言葉が現実になるまであと数時間だ。今日は直接会うと約束したわけではないが、いつもの場所へ行けばきっと待っていてくれる。
リルヴィアは笑顔を綻ばせながら、下りて来た階段を再び上り始めた。




