剣と盾の誓い
すると突然、長椅子に座ったばかりのアルクスはその場に片膝を立てて、リルヴィアへと跪いたのだ。流れるような動作に思わず目を瞬かせてしまう。
「リルヴィア姫に申し上げます」
凛とした声がその場に響く。
「私、アルクス・ラグーナをあなたの側近として仕えさせて頂けませんか」
「……」
何を言われたのかすぐに理解出来なかったリルヴィアは口をぽっかりと開けて、アルクスを凝視する。
「どういう、こと……ですか」
掠れそうになる声でリルヴィアは問いかける。何故、突然アルクスは自分の側近になりたいなどと言い出したのか。
「あなたを守りたいと思ったからです」
静かに呟かれる言葉は紛れもなくアルクスのものだ。心臓の奥が強く脈打ち、これは現実なのか分からなくなってしまいそうだ。
「わ……私に仕えることで、あなた自身に何か理不尽なことが及ぶかもしれません。それは分かっているのですか」
本当なら、セリアもミーシェも自分に仕える必要はないのに、彼女達は自ら進んで仕えてくれている。
これ以上、誰かを巻き込むまいと思っていたのに、どうしてアルクスがそんなことを言うのだろうか。
「リルヴィア姫。私はあなたがご自分の身をどのように思われているのか、全てを理解出来ているわけではありません。ですが、これだけは確かなのです」
アルクスは下げていた頭をゆっくりと上へ上げる。青色の瞳が自分の視線と交わった。
「私の心が、あなたを守りたいと願っているのです」
視界が一瞬、揺らいだように見えたのは何故か。言葉が春風のように暖かく感じるのは何故か。
アルクスは優しい人だと知っている。だから、友人以上の関係を彼に求めることは出来ない。
それなのに、アルクスは自ら自分との関係を強くしようと望んできている。
「私を側近として傍に置いて頂くことも、断ることも姫君次第です。ですが、これだけは覚えておいて下さい。私は……。アルクス・ラグーナはあなたの心を守る剣と盾でありたいのです」
「……っ」
リルヴィアは思わず、自分の口を右手で押さえた。
どうして、そこまで自分のことを想ってくれるのだろう。自分とアルクスは夜に会う友人というだけの関係だ。
それ以上の感情を抱くことはあってはならない。それがお互いのためだと分かっている。
深く息を吐き、少し潤んだ瞳でリルヴィアはアルクスを見つめ返す。
「……何故、そこまでしてあなたが私の側近を望むのかをお聞きしてもいいですか」
我ながら意地悪な問いかけだと思う。だが、彼を自分の傍に置くことを躊躇している手前、安易に承諾することは出来なかった。
「……私の我儘です」
「えっ?」
「おこがましいと思われるかもしれません。……他の誰でもなく、自分の手であなたを守りたいと思ってしまったんです」
紡がれる言葉の心地よさに酔ってしまいそうになったリルヴィアは唇を小さく噛み締めて、これは現実なのだと自覚する。
「思った上で、願ってしまった……。姫君の瞳が夕暮れ色に染まる瞬間を見てみたいと」
「……」
息を飲み込まなければ、何かが吐き出てしまいそうだった。彼はあの約束を叶えるために今、自分の前に跪いているというのか。
「もし、あなたの側近になることを許して頂けるのであれば、どうか私の名前を呼び、この長剣で肩を叩いてくれませんか」
アルクスはそう言って、彼の腰に下げている長剣を抜いて、頭上へと掲げるように持ち上げる。
この長剣を手に取れば、戻れないことは分かっていた。
「……お願いします」
リルヴィアは震える両手で掲げられた長剣の柄を握った。その重さは想像以上のもので、アルクスは普段からこの剣を腰に下げて持ち歩いているのだ。
……責任と覚悟の重さはきっとこれ以上なのだわ。
アルクスは彼なりの覚悟を決めて、ここにいる。それならば、自分も彼の覚悟に応えなければならない。自分の側近を望む彼の覚悟を受け止めるべきなのだ。
それでも、柄を握る腕に力は入らない。
怖いのだ。自分と同じように彼が誰かから嘲笑されてしまうことが。
雨を降らせる奇妙な姫の側近となれば、理不尽な笑いと視線が彼にたくさん降りそそがれることになる。
「……」
自分が迷っていると気付いているのだろう。アルクスは何も言わないまま、じっとこちらが動くのを待っている。
本当はアルクスが自分の側近になりたいと告げた瞬間、とても嬉しかった。だが、嬉しさよりも先に溢れたのは不安だった。
アルクスの身に理不尽なことが及んでしまうのは想像出来ているからだ。
……怖い。動けない。
握った柄を震えながら持とうとしたが、持ち上げきれない。アルクスはたくさんの感情を自分に与えてくれている。色んなことを望んでくれている。
それなのに、自分はずっと怖気づいたままだ。
すると、震えている手にアルクスの右手が添えられたことに気付いたリルヴィアはぱっと顔を上げる。
「……大丈夫です。重いなら、私も一緒に持ちますから」
その表情は夜に会う際に見る穏やかで優しい笑顔と同じだった。
彼は自分と一緒に背負ってくれるのだろうか。この不思議な力を持つ自分が他人から受ける惨めさと不安を。
触れられている手の温度は柔らかいもので、昨日貰った朱色の石と同じ温かさがそこにはあった。緊張が解けるように、リルヴィアは一度深く息を吐いた。
「……私と背負って下さるのですか」
雨を降らせる力がいつ消えるかは分からない。もしかすると消えないまま、時間だけが過ぎていくかもしれない。
それでも彼は自分が持っている運命を共にし、理不尽な枷を半分背負ってくれるというのか。
「あなたが持っておられるものが、少しでも軽くなるなら、どんな重さでも背負っていく覚悟は出来ております」
「……」
言葉を止めることなく、彼は真っすぐと答える。その瞳は乞うようにさえ見えた。
リルヴィアは剣の柄をもう一度、強く握る。しっかりと足を踏ん張らなければ、身体が揺れ動いてしまいそうだ。
……背負っていなかったのは私の方なのかしら。
自分がこの雨を降らせる力の一番の被害者なのだと勘違いしていたのかもしれない。それならば今、背負うべきではないだろうか。
共に背負ってくれるという彼の望みを受け入れて、一歩前へ踏み出すのは他でもなく、自分なのだ。
力を込めた腕でリルヴィアは剣を持ち上げる。自分の手に添えるようにアルクスの手は支えてくれたままだ。
ゆっくりと、ゆっくりとアルクスの右肩へと長剣の平をそっと載せる。もう、後戻りはできない。
「……近衛騎士団所属、アルクス・ラグーナに告げます。あなたを……私の筆頭側近として仕えることを認めます」
静かに唱える言葉がどれほど重いものか自覚はしている。こんな日が来るなど、一度も想像したことはなかったリルヴィアは声が震えそうになるのを耐えながら、定められた言葉を全て呟き切った。
「ありがたき叙任のお言葉、しかと胸に刻ませて頂きます」
これでアルクスは正式に自分の側近となったのだ。それが現実だとは思えないような気がして、長剣の柄を握っていた腕の力が緩んでしまう。
「わっ……」
重さに気を取られて、持っていたはずの長剣は手から抜け落ちてしまう。
だが、その直前で、アルクスが柄を強く握り返してくれたため、長剣は床の上に落ちずに済んだ。
「……すみません」
「いえ、重たいものですから」
しっかりと長剣を持てなかったことを謝るとアルクスは苦笑しつつ、リルヴィアが手放した長剣を軽く受け取り、そして自分の腰に下げられている鞘へと収めた。
「今日からどうぞ、宜しくお願い致します」
「……宜しく、お願いします」
アルクスは立ち上がり、仰々しく頭を下げてくる。
この先、何が待っているかは分からない自分の行く道に彼も一緒に来てくれると言うのなら、心強くは思っていた。ただ、少し申し訳なく思うだけで。
「あの、アルクスさん……」
名前を呼ぼうとしたリルヴィアをアルクスは手で軽く制するような仕草をして、もう片方の手の人差し指を自らの口元へと当てた。
名前を呼ぶな、という事だろうか。しかし、表情を見る限りは違う気がする。彼の視線がゆっくりと扉の向こう側へと移った。
「……」
どうやら扉の向こう側にいると思われるセリアに、夜の間柄のように名前を呼ばれるところを聞かれるのはまずいと思ったらしい。
「……アルクス、とお呼びしても?」
夜に会う際は呼び捨てにはしていないので、いつもと違う呼び方にすぐ慣れるのは難しいだろう。リルヴィアの問いかけに応えるようにアルクスは軽く頷いた。
……今は、友人ではいられないのね。
表向きには自分とアルクスは、姫と仕える側近という関係になったのだ。友人である彼が側近になるのは、少しだけ寂しいような嬉しいような不思議な気分である。




