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側近への一歩

 

 妙な気分の悪さと、背中を包み込む柔らかさに対して違和感を覚えたアルクスははっと目を覚ました。


「え……」


 目を開けると真っ白の天井が最初に視界に入ってくる。だが、ここは宿舎の自分の部屋ではない。


 身体中から痛みを感じる上に、上手く動くことが出来ないのは疲れこんで寝てしまう前に姉のイルティと剣の試合をしたからだ。


 ……多分、勝った気がするけど。


 自分にとって都合の良い夢でなければ、確かイルティの剣を二つに折って、勝ちをもぎ取った気がする。


 深く溜息を吐きつつ、再び目を閉じようとしたが自分が横になっているベッドの左側に気配を感じたため、何となくもう一度瞳を開いた。


 首をゆっくりと動かすと何故かイルティの姿がそこにはあった。目を閉じて、腕を組んだままで器用に椅子の上で寝ている。


「あ……姉上?」


 驚きでつい声をかけてしまったことを後悔したが、イルティの眠りはそれほど深くなかったのかすぐに目を開いた。


「起きたか」


「……もしかして、ここって医務室ですか」


「そうだ。頬を叩いても起きなかったから、勝手に運ばせてもらったぞ」


「……」


 昔はよく姉の背中に乗せてもらって遊んでいたが、彼女の体重と身長を超えた今の自分を軽々と運んでしまうとは恐れ入った。

 苦い表情をしているアルクスに気付いたのかイルティはわざとらしく肩を竦めた。


「全く……。力を使いきって、倒れるのは昔から変わらないようだな」


 真面目で常に無表情であるイルティがふっと笑ったように見えた。


「だが、前とは比べ物にならないくらいに成長したな」


 そう言って、彼女は外套の下から何かを取り出す。銅製の小さな札のようなものが細い鎖の先に下がっていた。


「これはお前のものだ」


 アルクスは痛む身体を起こして、イルティから渡されたものをじっくりと眺める。


 ――「ネフリティス王国第五王女 リルヴィア・エル・フォースクリフ姫殿下筆頭側近 アルクス・ラグーナ」。


 ぽかりと口を開けて、銅製の名札とイルティの顔を交互に見やる。


「欲しかったんだろう、それが」


「え……。えぇっ⁉」


 大声を出した後に、すぐさま口を右手で押さえる。耳を澄まして、周りの様子を窺ったが自分達以外に誰もいないのか声は聞こえなかった。


「え、姉上……。これって……」


「正式な役職だ。一番上の私が許可しているのだから問題はない」


 それにしては、この名札を作るのが早すぎる気がしてアルクスはじっと問いかけるようにイルティを見つめると彼女はどこか気まずそうにわざと咳払いをした。


「……お前を医務室へ運んだあと、すぐに許可を出して職人に作ってもらった」


 王城で働く者は身分証明として名札を常に首に下げている。

 その名札を作る職人が王城内で働いているのは知っていたが、まさかすぐに許可を貰えると思っていなかったアルクスは戸惑った表情で名札を見つめる。


「そんなに早く許可を出していいのか? まだ、俺は……」


 リルヴィアに直接、側近になりたいと告げたわけではない。


「……元々、この名札は作ってあったんだ」


「え?」


「だが、お前の名前が入っているところはずっと空欄のままだった。……リルヴィア姫の側近になりたいと願い出る騎士は今まで一人もいなかった」


「……」


「私も本当はリルヴィア姫の側近になりたいとは思っていた。だが、ずっと切り出せないまま、今に至る」


 イルティの瞳はアルクスの手元にある名札へと注がれていた。


「勇気がなかったのは私の方なんだ」


 まるで秘密を語るようにイルティは静かに言葉を続ける。


「それと同時にリルヴィア姫の心を支えられるのは自分ではないと自覚していた」


 ふっと顔を上げたイルティの表情は、後悔はないと告げるように穏やかだった。


「だから、お前がリルヴィア姫の心を守る剣と盾になりたいと言った時、本当は嬉しかったんだ。そして、自分が踏み出せなかった一歩を軽々と言い放ったお前が……羨ましかった」


 姉の口から、弟である自分が羨ましいという言葉が出るなど思っていなかったアルクスは目を丸くした。


「リルヴィア姫の側近となった以上、お前には理不尽な出来事が降りかかるかもしれない。だが、それを決して姫に覚られてはいけない。……姫の心を守りたいと思うのなら、静かに耐え続けなければならない。それが何故だか分かるな?」


 イルティの忠告にアルクスは強く頷いた。


「仕える者の剣となり、盾となるから。だから……どこに居ても弱みを見せてはならない。厳とした態度でいなければならない。……リルヴィア姫に自分の身を心配されたら、それだけで側近失格ということだろう?」


 リルヴィアに心配された時点で、それは彼女の心を揺らがせている証拠だ。アルクスの言葉にイルティはその通りだと言うように頷いた。


「お前が姫の側近になったことを国王には後で伝えるつもりだ。今日から姫専属の側近として振舞うように」


「分かった。……でも、具体的に側近って何をすればいいのか分からないんだけど」


 自分の周りは王城を警備することが主な仕事としている騎士達ばかりだ。王族に直接仕えている知り合いはいないため、具体的にどのような仕事をしているのか話を聞く機会さえなかった。


「王族の身の回りの警護が主な仕事だ。仕えている主の傍に控えつつも、自身は彼らの影のように振舞わなければならない。まぁ、ずっと傍にいなければならないわけではないから、それ以外は通常の仕事とそう変わりはない」


「……門番とか、見回りも?」


「その仕事は少なくなるだろう。……ただ、リルヴィア姫が住まわれている塔は王城から離れているからな。通常の仕事とは大きく異なるようになる。細かい仕事内容は後で詳しく伝えることにしよう」


 イルティはすっと立ち上がった。この後、国王に自分がリルヴィアの側近になることを伝えに行くのだろうか。


「お前はもう少し休むと良い。後で正式な使者をリルヴィア姫に送るから、側近になることを伝えに行くように。……まぁ、姫に側近になることを拒まれた場合は慰めてやろう」


 彼女らしからぬ冗談を含んだ口調にアルクスはつい苦笑してしまう。


「その時は思いっきり笑ってやってください。……あ、でも側近になっても、夜にリルヴィア姫と会うことを止めるつもりはないから」


 夜の友人の関係は続けたい。ただし、リルヴィアがもう一人で夜を過ごさなくてもいいと感じているのなら、自分はそれに合わせるつもりだ。


「……夜に塔の周りを歩き回る奴はそういないと思うが十分に気を付けろよ」


 イルティは腕を組みながら深く溜息を吐く。どうやら、夜の逢瀬のことは見逃してくれるらしい。


 言われるまでもなく、リルヴィアの身に何か起きることがないようにしっかりと守るつもりでいるアルクスはイルティに頷き返した。


 立ち去る前にイルティはこちらに向けて、頭だけ振り返った。


「……リルヴィア姫の側近になりたいと望んでくれたのがお前で良かったよ、アルクス」


 浮かべられた表情は団長としてでも、姉としてでもないものに見えた。穏やかにイルティは口元を緩ませる。


 それが幻だったのではないかと思えるくらいに、イルティが微笑を浮かべていたのは一瞬だった。次の瞬間、彼女の表情は団長らしい厳かな表情へと戻る。


「……姫を頼んだぞ、アルクス」


 アルクスは口を一文字に結び、強く頷いた。それを見届けたイルティはこちらに背を向けて、医務室から出て行った。


「……」


 手元に残った銅製の名札にもう一度、視線を落とした。紛れもなく、自分の名前がそこに刻まれている。

 

 覚悟は示した。

 あとは、自分の想いをリルヴィアに告げるだけだ。


 ……受け取ってもらえるかな。


 側近になりたいと言ったら、リルヴィアはどんな反応をするだろうか。自分はどんな答えでも受け止めるつもりだ。彼女が望むことを優先したいのだ。


 今は身体中が擦り傷だらけな上に包帯も巻いているので、この状態を見ればリルヴィアに余計な心配をかけてしまうだろう。汗を流して、怪我も目立たないようにしてから、服も着替えなければならない。


「……とりあえず、朝食でも食べるか」


 イルティがリルヴィアの元へ正式な使者を立てると言っていたので、その時間になるまでやるべきことはやっておいた方が良いだろう。


 まだ、節々が痛む身体に鞭打つようにアルクスはベッドから立ち上がり、銅製の名札を自分の首へと下げた。

 身分証明である名札はこれとは別で近衛騎士団に所属していることを表す名札も持っているが、やはり重みが違うように感じられた。


 ……俺が、守る。


 今までは近衛騎士団に入って、実力を上げて、姉と比べられないためだけに努力してきた。しかし、そこに確かな目的があったわけではない。


 ただ、強くなりたかっただけで、何のために強くなりたかったのかという想いを抱かずにここまで来た。

 

 だが、今日からは違うのだ。守りたいと思ったもののために、自分の身を使いたいと思った。

 他の誰でもない、自分が最も心を寄せているリルヴィアのために。


 心持ちが変わっただけで、それ以外は何も変わっていないはずなのに、意識は別人のように感じられた。アルクスは短く息を吐き、一歩を踏み出した。

 

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