剣と盾の決意
連れて行かれた場所はいつも自分が剣術の鍛錬を行なっている訓練場だった。もちろん、今は夜間なので鍛錬している者は一人もいない。
広い場所に二人、足を踏み入れていく。大きな窓から射しこむ月明りだけがその場を照らしていた。
「……それで用とは何でしょうか」
「口調は普段通りで構わない」
お互いに近衛騎士団に所属しているため、私語は慎むように気を付けていることから、王城内でイルティと言葉を交わす際には上司と部下という関係を保っていた。
今は一緒に暮らしていた時と同じように気やすく言葉をかけていいらしい。
「夜の見回り当番ではないのに何故、外を出歩いていた」
「それは……。ただの散歩だよ。そういう気分の日もあるんだ」
「では、質問を変えよう。……いつから、リルヴィア姫と夜中に会っていたんだ」
「っ⁉」
その一言で、平静を装っていた表情は消え去った。目を見開いたままでイルティを見つめる。彼女の表情は色がないままだ。
「まだまだ鍛錬が足りないな。気配を消した私がお前の後を付けていたことを知らないだろう」
「いつのまに……」
リルヴィアに会う際には出来るだけ周りに勘付かれないように細心の注意を払っていた。通る道だって毎回変えていたし、気配だって消していた。
……迂闊だった。
忙しい姉のことだから、自分を気に掛ける暇などないと思っていたのだ。もう、そこまで知られている以上、言い訳や嘘を並べる事は出来ないだろう。
「……この前、クプルム王国から使者が来ただろう。あれよりも少し前から、会っていた」
「……会っている目的は何だ」
「ただ少し、話をするだけだよ。……今日はどんな日だったとか、どういう本を読んだとか。そんな他愛無い話をするだけなんだ」
イルティは分かってくれるだろうか。
リルヴィアが抱く、隠した孤独の感情を。
「でも、リルヴィア姫は俺があの場所で会った時よりも、ずっと前から一人で星を眺めていたみたいだ。長椅子に座って、時間が過ぎるのを待つように、ずっと……」
「……」
自分には孤独というものがどれほど重いものなのかは分からない。それでも、とてつもなく寂しいものだという事だけは分かる。
たった一人で、太陽の下に照らされることなく、影の中で生きる。それがどんなに寂しくて、暗くて、苦しいものなのか自分は全てを理解出来ずにいる。
だからこそ、リルヴィアの孤独を理解したかった。
「夜だけ会う友人なんだ」
「友人だと?」
疑うというよりも、驚いているように聞こえたその言葉にアルクスは頷き返す。
「誰にも秘密の夜だけの友人。それが俺達の関係だよ」
まさかこれ程早く、誰かに秘密を話してしまうことになるとは思っていなかった。もしかすると、逢瀬を止めろと言われるかもしれない。
友人とは言っても、リルヴィアがこの国の姫君であることに変わりはない。危ないことをさせるなと真面目なイルティなら言うだろう。
だが、知ってしまった以上、自分はリルヴィアを夜の中に一人で閉じこもらせたくはなかった。
「俺はまだ、リルヴィア姫の全てを理解出来ているわけじゃない。雨を降らせる身が、どれほど辛いものなのか考えても同じように感じることは出来ない。それでも――」
アルクスは身体の向きをイルティの方へと向けた。真っすぐと姉の顔を見たのはいつぶりだろうか。
いつからか自分は優秀過ぎる姉を避けていた気がする。それは自分と姉を比べられるのが嫌だっただけではない。目標としては大きすぎる姉を越えられないと自覚してしまったからだ。
今だってそうだ。身勝手な我儘だと分かっている。
だが、言わなければいけないと思った。
「それでも俺は、リルヴィア姫の側近になりたい。彼女が感じている寂しさや苦しさ、辛さから守ってあげたい。……リルヴィア姫の心を守る剣と盾になりたいんだ」
おこがましいと分かっている。それでも望まずにはいられないのだ。時折、リルヴィアが見せる寂しげな表情をどうしても拭ってあげたかった。
目の前のイルティは微塵も表情を動かすことはなかった。
今、自分が言った言葉はただの戯言として受け取られてしまったのだろうか。確かに、自分はまだ一人前の騎士として足りない部分があると自覚はしている。
未熟ならもっと鍛えて、上を目指す。だから、どうか自分の言葉が真剣なものだと知って欲しかった。
すると、ふっとイルティが自分から視線を逸らしたのだ。
「……私がたまに、リルヴィア姫のもとへ訪ねていることは知っているか」
「え? いや、知らないけれど……」
「今日、昼間にリルヴィア姫の部屋へと訪れた際、私が昔、持っていた本が何故か彼女の机の上に置かれていた。随分前にお前にくれてやったものだ」
「……」
どうやら先日、リルヴィアに貸した本が彼女の部屋にあったことで、イルティは自分とどこかで関わっているのではないかと睨んだらしい。
「どうしてすぐに俺の本だと気付いたんだ?」
「本の表紙に傷が付いていたからな。……あの本を気に入り過ぎたお前が本を持ったまま歩いて、転んだ際に付いた傷だ」
「……よく覚えているなぁ」
そんなこともあったなと記憶の隅に置いていた思い出だ。姉は記憶力も良いらしい。
「だが、そうか……。お前とリルヴィア姫が会っていたとは……」
イルティは右手を顎に添えつつ、何かを考えているのか黙り込む。
何を言われるのだろう。怒られる覚悟は出来ているが、やはりリルヴィアと会うことを止められるだろうか。
しかし、考え事をしているような表情からイルティはふっと突然顔を上げて、歩き始める。
どこに行くのだろうと思っているとイルティは数メートル先で立ち止まり、こちらを振り返った。
「――剣を抜け」
「え?」
瞬間、イルティは腰に下げている長剣を抜いた。その素早さにアルクスは思わず息をすることを忘れてしまう。
「剣を抜け、アルクス」
顎を少し動かして、イルティはアルクスの腰に下げてある長剣を示す。
「お前の腰に下げてある剣は飾りではないだろう」
「突然、何を……」
目の前で剣先をこちらに向けてくるイルティの気迫に圧されたアルクスは一歩、後ろへと下がった。無表情の瞳の奥に見える闘志の炎が冗談によるものではないとすぐに分かったからだ。
「私と勝負をしろ」
「……何のために」
今の自分が姉と剣術の勝負をすれば、結果がどうなるかは目に見えている。それなのに、何故突然そのようなことを提案してくるのかとアルクスは首を傾げた。
「私と勝負して一本でも取れたならば、お前がリルヴィア姫の側近となることを承認しよう」
「っ……」
イルティの表情は無のままだが、彼女は滅多に冗談を言わないことは承知している。
「それは……絶対だな?」
アルクスはひと呼吸してから、腰に下げている長剣を抜いた。
イルティに剣の試合で一本を取ることが出来れば、リルヴィアの側近になることを認めてくれるという意味なのだろう。それならば、やるしかない。
「もちろんだ。時間は無制限。お前が一本取るまでか、もしくは降参するまでだ」
瞬間、空気が張り詰めたように冷たいものへと変化する。息をする暇もないまま、イルティが一撃を放った。
「っ!」
それを寸前で刃を盾にして防ぐ。両手で柄を支えているというのに、その一撃はかなり重いものだった。少しでも遅かったならば、刀身が腹に当たっていただろう。
どうやら姉は手加減することなく本気で自分の相手をしてくれるらしい。
「……側近を名乗るなら、守らなければならないものを不安にさせてはならない。何故だか分かるか?」
数歩、跳ぶように後ろへと下がり、イルティは剣を持ち直す。手が痺れたままでアルクスは一つ息を吐いた。
「……自分の腕に守るものの命がかかっているから」
「そうだ。守り手である側近には二つの命がかかっている。自分とそして守るべきものの命だ」
イルティは剣を横に振る。その風斬り音は他の騎士達が作る音とは別物だった。
「今、リルヴィア姫には専属の側近はいない。王族の側近となるには、ほとんどの場合が王族から声がかかる場合が多い。リルヴィア姫の歳なら側近が五人いてもおかしくはないだろう。しかし、あの方に直接お仕えしているのは侍女が二人だけだ」
イルティが剣を水平に倒し、再び自分目掛けて突っ込んでくる。それを下から掬い上げるように弾き返して、今度は自らが切り込んでいく。
だが、イルティはアルクスの一撃を難なく受け止めて、刃と刃を滑らせるように受け流した。
さすがに簡単に一本は取らせてはくれなさそうだ。
「……リルヴィア姫が自身に仕える人間をそれ以上置かれないのは、あの方が優しいからだ」
「……」
「あの方は自分に関われば、その者も自らと同じような扱いを受けると思っていらっしゃる。ご自分と同じような思いをさせたくないのだろう。だからこそ、それ以上を求めたりしないのだ」
イルティの気迫に圧されたアルクスは額の汗を素早く手の甲で拭った。
「リルヴィア姫の覚悟を知った上で、側近になることを望むというのであれば、お前はあの方以上の覚悟を持たなければならない。側近は剣であり、盾だ。そして、降り注ぐ刃は物理的なものだけではない。あの方に注がれているのは、目には見えない言葉や視線といった悪意ばかりだからだ。……アルクス、お前はそれらからリルヴィア姫を守ることが本当に出来るのか?」
すっと再びイルティの長剣の先がこちらへと向けられる。窓から射しこむ月明りによってその刃は白銀色に反射した。
脳裏に浮かんだのは寂しげな微笑。
何かの想いを隠したまま優しく微笑むリルヴィアの姿だった。
「俺は……リルヴィア姫を傷付けるものを跳ね除けたい。取り除きたい。彼女の笑顔が曇ることがないように。……彼女が望む、空を見上げられるように」
もう一度、柄をしっかりと握りしめてから剣を構え直す。
「リルヴィア姫を独りにさせたりはしない。……俺はそのために、彼女の傍に居たいんだ」
独りの夜を超えて来たリルヴィアの心を自分が守りたい。守ってあげたい。
傲慢で向こう見ずだと思われるかもしれない。それでも、自分はリルヴィアの味方だということだけは伝えたいのだ。
「だから、俺は絶対に姉上に負けるわけにはいかない」
短く息を吐く。その一瞬がどれ程、大きな隙になるかは分かっていた。それでも息を整えなければ、目の前の大きな壁であるイルティに気後れしてしまいそうだ。
「……その意気込み、どこまで続くか見届けてやろう」
イルティの瞳は鋭く細められ、同じように剣を構えた。
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