嫌な予感
夜の逢瀬の時間は一時間も満たないものだ。別れの時間が来る度に、明日の夜が早く来ればいいと何度も願う。
「……はぁ」
深い溜息を吐いても誰かに気付かれることはない。近衛騎士団の宿舎に向けてアルクスは人気がないかと探りつつ、道を戻っていた。
夜の見回りの時間やそれを担当している騎士、そしてどの通路を通るかなどをはっきりと把握しているため、夜の逢瀬の帰りに誰かに会ったことは一度もなかった。
……今日も言えなかったな。
せっかく、贈り物を用意したのに肝心なことを言えないのであれば意味がない。だが、言おうと思ってもリルヴィアの顔を見たら、いつも言えなくなってしまうのだ。
彼女は自分に対して友人であることを求めている。だから、その一線を越える言葉を彼女にかけられないでいた。
……あの子の専属の側近になれたら、どんなに良いだろうか。
騎士の中には王族に直接的に仕える側近もいるらしく、その役目としては仕える主を護衛するものだ。
少し調べたところ、リルヴィアに直接的に仕えているのは侍女が二人だけなのだという。
彼女の腹違いの兄弟や姉妹達はそれぞれに多くの侍女や側近達がいて、更には親衛隊のようなものまであるとのことだ。
しかし、末姫のリルヴィアには仕える者が二人だけで、側近一人さえいない。
もし自分がリルヴィアの側近になることが出来れば、夜だけでなく昼間も彼女に会う機会が多くなるはずだ。そうすれば、寂しさを少し紛らわせることが出来るのではと思った。
……でも、そんなの自分勝手な願いだよな。
リルヴィアは一言も側近が欲しいなどと言ったことはない。自分にはいつも対等の友人として接してくれているのはよく分かっていた。
それでもリルヴィアが抱いていた孤独をどうにかして、埋めてあげたかった。そう思うのも自分の傲慢によるものなのかもしれない。
宿舎まであと少しの道のりだった。瞬間、何かの気配を感じたアルクスはさっと後ろへと飛び上がるように下がった。
「……」
通路の角である壁の向こう側から気配を感じたアルクスはじっと動かないまま凝視した。
向こうも自分の気配に気付いているのだろう。溜息が聞こえ、やがて角から姿を現した。
同じ黒髪で青い瞳。前髪は眉よりも上に揃えるように切られており、長い髪を一つにまとめている。そして、白い外套にはこの国の近衛騎士団団長を表す剣と蔦の紋章が描かれていた。
目の前に現れた影は訊ねなくても、すぐに誰なのか分かったアルクスは息を飲み込んだ。
「っ……。姉上……」
自分の実姉であるイルティだ。しかし、団長である彼女の部屋は宿舎ではないはずだ。何故、こんな所にいるのだろうか。
それよりも、暗闇で彼女の無表情がやけに際立っているように見えて、背筋に流れる汗が止まらない気がした。
「こ、こんばんは……」
「……今日は夜の見回りか?」
抑揚ない声で彼女はそう訊ねてくる。
「いえ、そういうわけでは……」
だが、ここで嘘でもついておけば良かったとすぐに後悔した。ナスターからいつも馬鹿正直だと言われていたことを今、思い出したアルクスはイルティに見えないように唾を飲み込む。
「姉上……。いえ、団長は何故こちらに」
表情だけでも平静を装って、アルクスは仕事をする際の真面目な顔を作った。もちろん、長年一緒に暮らしていた姉であるイルティに効くかどうかは分からないが、試さないよりはましである。
「お前に用があって来た」
「俺に、ですか」
嫌な予感しかない。額に汗が浮いているのが触れないでも分かる。
「ここでは誰かに話を聞かれかねない。……付いて来い」
イルティがすっと踵を返し、歩き始める。何の話が自分に待っているのかは分からないが、ここは大人しく彼女の言うことを聞いておいた方が良いだろう。
アルクスは周りに誰もいないことを確認してから、イルティの後を付いて行った。




