夕日の欠片
宵闇の中、長椅子へと深く腰掛けて、リルヴィアは空を埋め尽くす星を眺めていた。
少し前までなら、この時間を一人で過ごしていた。それは時間を潰すためでもあれば、昼間に外に出たいと思った衝動を夜空の下で発散するためでもある。
だが、今は――。
「こんばんは、ルネさん」
穏やかな声にリルヴィアは顏を上げて、振り返る。
いつもと同じ、太陽のように明るい笑みを浮かべたアルクスがこちらに軽く手を振りつつ、向かってきていた。
「こんばんは……」
彼の表情は昨日と変わらないままだ。イルティが自分のもとから帰ったあと、何か言われたりしなかったのだろうか。
アルクスはいつものように自分の隣へと腰掛けてくる。
普段ならばすぐに何かの話題を振って来るはずのアルクスだが、今日はそわそわとリルヴィアの様子を気にしているような素振りを見せていた。
……やっぱり、何かイルティさんに言われたのかしら。
もし、イルティが夜にアルクスと自分が会う事を反対しているならば、どのように説得しようか迷ってしまう。
出来るなら、夜に会うことを禁止しないで欲しいと思うが、真面目なイルティのことだ。姫君である自分の立場を考慮して、やめさせようとするかもしれない。
ここは思い切って、アルクスに訊ねてみようと息を吸い込んだ時だ。
「あのね、ルネさん。……手を貸してくれるかな」
「え?」
突然、何を言われたか分からなかったリルヴィアは目を瞬かせる。
だが、すぐに頷いて、アルクスの方へと右手を差し出した。
アルクスはどこか気恥ずかしそうに視線を迷わせつつも、リルヴィアの細い手を左手で受け取り、右手をそっと重ねてくる。
「……」
彼が手を重ねて来た時、掌に何か硬いものを感じたリルヴィアは一体何だろうかと首を傾げた。
「えっと……。女の子に男が自分の手作りを渡すのはどうかと思われるかもしれないけど……。良かったら貰ってくれないかな」
アルクスが重ねていた手をそっと離してから、リルヴィアは自分の右手を凝視する。
掌に載せられていたのは淡い朱色の丸みを帯びた石が革紐に通されたものだった。
首飾りだということは分かるが、これをアルクスが作ったのかと、目を丸くしながら顔を上げると彼は照れくさそうに頷いた。
「こう見えて、手先は器用なんだ。石をやすりで研いで、紐を通しただけの首飾りだけれどね」
本当にこの首飾りをアルクスが作ったのだ。だが何故、突然この首飾りを自分に渡したのだろう。
「あの……頂けるのは凄く嬉しいのですが、どうしてこの首飾りを自分に……」
掌で転がる淡い朱色の石からは懐かしさを感じた。少し温もりを感じるのはアルクスが握っていたからかもしれない。
「……この石、夕日と同じ色なんだよね」
アルクスの言葉にリルヴィアははっと顔を上げる。
「まだ本物の夕日を君に見せる方法が思いつかなくって。……気休めというわけじゃないけれど、夕日を見たいと思った時にこの石を眺めて、少しでも夕日を見た気分になればいいなと思ったんだ」
熱を帯びた朱色の石をリルヴィアは同じ目線になるように掲げてみる。月の光に照らされた石は内側から光を放っているように見えた。
……あぁ、この人は。
何て優しい人なのだろうか。アルクスは自分にも見えるようにと形あるものを作ってくれたのだ。
色も温もりも知らない夕日のことを少しでも感じられるように、手に載せられるものとして。
太陽の温もりを知らなくても、自分にはアルクスの存在だけで十分だと思えた。
彼が自分にとっての太陽なのだ。温かくて優しくて、目を開いていることが出来なくなるくらいに眩しい人。
手の中の小さな石は彼の優しさの結晶なのかもしれない。だから、こんなにも穏やかで懐かしい色をしているのだ。
リルヴィアは両手で祈るように石を包み込み、額に添えるように当てた。
「……ありがとうございます、アルクスさん」
お礼を告げるとアルクスはやっと安堵したような溜息を吐いた。
「良かった。人に贈り物なんてしたことなかったから、何がいいか迷ったんだよね」
まだ照れくさいのか、彼は頬を指でかいている。リルヴィアは少し迷ってから、アルクスに笑顔を向けた。
「アルクスさん、これを……私に着けて下さいませんか」
「えっ……」
今度はアルクスの方が目を丸くしている。
「私、手先があまり器用ではないので……。もしよろしければ着けて頂けると嬉しいです」
アルクスはぎこちなく、こくりと頷いた。朱色の石を再びアルクスへと手渡して、リルヴィアは首飾りが着けやすいように彼に背を向ける。
「……それじゃあ、失礼します」
一つ咳払いをしてから、アルクスが動く気配が感じられた。
すっと首元に革紐が通されて、胸元辺りに淡い朱色の石が静かに触れるように落ち着いた。熱は逃げていないのか、温かさは残ったままだ。
うなじ辺りで革紐を結んでくれているのか、一瞬だが首元にアルクスの指が触れたことで、くすぐったさを感じた。
「……はい、出来たよ」
ぱっとアルクスが自分から離れたため、身体の向きを元へと戻した。
「ありがとうございます……」
リルヴィアは自分の胸元を覗くように見てみる。温かみのある色がそこに存在しているだけで、憧れていた夕日の色をすぐ傍で感じられる気がした。
「本当は革紐の部分を細い鎖に出来たら良かったんだけれど、あいにく持ち合わせがなくって。男物の革紐でごめんね?」
「いえ……。こちらの方が色合いに落ち着きがあって良いと思います。それに私は普段から金属製の装飾品などを身に着けることに慣れていないので……」
義姉妹達ならば、普段から煌びやかな装飾品に慣れているだろう。だが、自分は金属製の輝かしいものには興味がなかったし、着ける機会さえなかった。
むしろ、アルクスから贈られたこの石の方が何倍も美しいと思えた。
大事なのはその装飾品の値段や見た目などではない。自分にとって、どういう価値があるのかで美しさは決まるのではないだろうか。
ふと、アルクスの視線がこちらに注がれていることに気付いたリルヴィアは彼の青い瞳へと見つめ返す。
真剣な表情にも見える彼の様子につい、胸の奥が波打った気がした。
しかし、余計なことを考えてはならないと自分に言い聞かせながら、心の中が落ち着くようにと静かに息を吐いた。
「あの、何か……?」
リルヴィアが首を傾げるとアルクスははっとしたように我へと返ったようだ。
「あ、ごめん。……何でもないよ」
そう答えたアルクスの表情はどういう感情を持ったものなのか読み取ることは出来なかった。
「……また、明日もこの首飾りを着けて、待っていますね」
「うん。……あ、でも他の人に見つかったら、面倒にならない? 君の侍女とか……」
「そうですね……。では、夜の間だけ着けることにします。あとはこっそりと見つからないように眺めさせていただきますね」
「あはは……。それは嬉しいね。ありがとう」
お礼を言いたいのはこちらの方なのに、アルクスはさらりと言ってしまう。
……私がこの人に何かしてあげられる事なんて、あるのかしら。
アルクスはこんなにも自分に喜びと楽しさを与えてくれるというのに、お返し出来るようなものが何もないのだ。
それが少し寂しく感じてしまい、リルヴィアはそっと胸元に下がっている石へと右手を触れてみる。
誰かから、心ある贈り物を貰ったのは初めてなので、浮かれているのかもしれない。心の奥が先程からざわついて仕方がないのだ。
「……ルネさん」
名前を呼ばれたリルヴィアはアルクスの方へと顔を上げる。
「はい。何でしょうか」
「あのさ……」
何か悩んでいるのか、アルクスは考える素振りを見せる。しかし、言葉を選んでいるらしく、どう切り出せばいいのか迷っているようだ。
「……私で宜しければ、いつでもアルクスさんのお話を聴かせて頂きますので」
今の自分にはそのくらいしか出来ることがない。何か助言するようなことが出来る問題ならいいが、深い悩みならちゃんと一緒に良い答えを探してあげたかった。
「……うん。ありがとう」
言うことを止めたのか、アルクスの表情は少し気が抜けたようなものへと変わっていた。
「さて、それじゃあそろそろ、帰ろうか」
アルクスがすっと立ち上がり、自分に向けて右手の掌を差し出してくる。
一瞬、それを躊躇ったが、躊躇ってしまっては勿体ない気がして、リルヴィアは自分の右手を彼の手へと重ねた。
優しく引かれる手と同時にリルヴィアは長椅子から立ち上がる。だが、次の瞬間にはその手は離されてしまった。
もう少し、アルクスの手に触れていたいと思ってしまうのは本当に友人に対して思う気持ちなのだろうかと不安になってきてしまう。
「送っていくよ」
「……宜しくお願いします」
今夜の逢瀬はこれで終わりだ。それを名残惜しく感じつつも、また明日が楽しみになってしまうのだから、随分と単純な性格になってしまったものだ。
隣を歩き始めるアルクスの歩の速さはゆっくりだ。彼も自分と同じようにこの時間が終わることを名残惜しく思ってくれているのだろうか。もし、同じ気持ちなら嬉しいと思う。
だが、アルクスと会うたびに複雑な感情へと変わってしまうことは秘密にしておかなければならない。
でなければ、この関係が壊れてしまうからだ。
……私はただの友人。夜の友人のルネ。
それ以上を求めてしまえばきっと、アルクスを困らせてしまう。自分は彼が困った表情を見たくはない。だから、静かに胸のうちに秘め続けるしかないのだ。
リルヴィアはすっかり消えてしまった温もりを思い出そうと再び胸元に下がっている石へと手を触れて、隣を歩くアルクスへの想いを石に向けて告白した。
……私はアルクスさんが、好き。
人として、友人としてだけではない。きっと、自分はこの人が居なければ以前のように一人で日々を過ごすことが出来ないのだ。
自分の心は彼を求めていると知ってしまった。アルクスに対して恋慕を抱いていると自覚してしまったのだ。
彼に優しくされたからかもしれない。穏やかに笑ってくれるからかもしれない。
これが恋だと自分で勘違いしているなら、まだいい。気持ちが高ぶっただけだとそれで済むからだ。
「……ルネさん?」
名前を呼ばれて、リルヴィアは少しだけ歩みを速くする。
気付かれてはいけない。気付かせてはいけない。
静かに感情を覚られないまま殺すのは得意だ。今までと同じように、そうすればいいだけだ。
「いえ、何でもないですよ」
アルクスに向けて微笑むと彼もまた同じように笑い返してくれる。
これでいいのだ。自分は今の関係に不満などない。むしろ心地よささえ感じているのだから。
ただ、少し苦しくなっただけなのだ。




