優しい約束
アルクスと夜だけの逢瀬を重ね始めてから数日が経った。
もちろん、侍女であるセリアとミーシェにはアルクスと夜に会っていることは秘密にしているし、団長であるイルティにも話してはいない。
アルクスも自分との友人関係を誰にも話していないらしく、本当の意味での秘密の友人同士なのだ。
落ち合う時間もはっきりと決めてはいないが、二人が会う時間はいつも同じくらいで、少し話しては帰るということを繰り返していた。
話している内容は他愛無いことばかりだ。好きな本の話から、今日あった出来事、どんな食べ物が好きかといったものを話しているだけだ。
それでもリルヴィアにとっては穏やかで大切にしたい時間だった。
「こんばんは、ルネさん」
リルヴィアが長椅子に座ってアルクスを待っていると、長く時間が経たないうちに声をかけられる。
「こんばんは……。いつもお早いですね」
「早くルネさんとお喋りしたくって。あ、でもちゃんと仕事はしてきたよ? こう見えて真面目だからね」
わざとらしくアルクスがそう言ったのでリルヴィアは声を立てて笑ってしまう。
「あ、そうでした。借りていた本をお返ししようと思って……」
リルヴィアは隣に腰かけてくるアルクスへと借りていた本を渡した。
「どのお話も凄く好みでした。特にアルクスさんがおすすめして下さった流星のお話と夕焼けが世界から消えて行くお話がお気に入りです」
どれも読み応えがあって面白かったので、早く感想を伝えたくて今日一日ずっとそわそわしていたことは秘密である。
「夕焼けが世界から消える話も少し切なくていいよね。読んでいると薄らいでいく夕焼けの風景がさ、頭の中にゆっくりと浮かんできて……」
アルクスは楽しそうに話していたが、リルヴィアの顔を見て、言葉を止めた。
「……どうしたの、ルネさん?」
心配するように覗き込まれたため、リルヴィアは自分の手で頬を触る。
「複雑そうな顔をしていたけど、大丈夫?」
「あ……。すみません、あの……」
確かにさっき言った通り、自分はアルクスから借りていた本の中の話で夕焼けの風景が消えてしまう話が好きだと伝えた。
だが、生まれてから一度も夕焼けを見た事がないため、風景を想像することが出来なかったのだ。
「ん? 何かな?」
優しく訊ねてくれるアルクスには全て話してしまいたくなるので不思議だ。リルヴィアは静かに決意して、思い切って話してみることにした。
「実は私……夕焼けの空を見た事がないのです」
胸に手を当てつつ、出来るだけ落ち着いて話すことに努める。
「私が持っている雨を降らせる力は太陽が出ている時間に効果があるものでして……。私が塔の外に出れば雨が降るため、一度も……」
「え、でも……。住んでいる塔からも見えないの?」
アルクスの言う通り、リルヴィアが住まいとしている塔はそれなりの高さがある。
しかし、一つだけ悪い条件があったのだ。
「塔の窓は全て東向きに作られているのです。なので、夕日が沈む西側に窓がないため、一度も見た事がなくって……」
申し訳なくそう答えるとアルクスはどこか悲しそうな表情をした。
「そうなんだ……」
簡単なように思えて、簡単には叶えられない願い。それはいつか夕日を見ることだった。
読んでいる物語に夕日の場面が出てきても自分は想像することは出来ない。どれほど美しいものなのか、ずっと知らないままだ。
「いつか……夕日を見たいと思う?」
アルクスが穏やかな表情で問いかけてくる。
「……見たいです」
言葉にしても願いが叶うとは限らない。でも、言葉で告げるだけならば誰からも責められないはずだ。
「じゃあ、約束しよう」
呟かれた言葉にリルヴィアは大きく振り返った。
その言葉が決して気休めなどではなく本当に心から思っていることだと告げるように、アルクスの優しい笑顔がこちらに向けられていた。
「いつか、きっと。夕日を一緒に見ようよ」
「……一緒に、ですか?」
「うん。……それがいつ叶えられるか分からないけれど、俺も頑張ってルネさんが夕日を見ることが出来る方法がないか考えるからさ」
「アルクスさん……」
一体、彼はどれほどの優しさを自分に与えてくれるのだろう。気持ちだけで十分だと言うのに、新しい約束をしてしまっては欲が出てしまいそうだ。
夜にだけ会える友人だと言うのに、それ以上の感情が胸の奥から溢れ出てしまいそうになったリルヴィアは紛らわせるように視線を逸らしつつ頭を下げた。
「……ありがとうございます」
たとえ、この約束が叶うことが出来なくても構わなかった。アルクスが自分のことを想って、その言葉をかけてくれたことの方が嬉しかったからだ。
この夜のことを忘れはしない気がした。
自分の願いが叶っても叶わなくても、どちらにしても交わした約束のことを思い出してはアルクスの優しげな表情を心に浮かべるのだろう。
心の奥底で波打つ何かが熱く感じられたリルヴィアは自分の胸にそっと手を当てる。心臓がいつもより早く鳴っている気がしたが、その原因が分からない。
アルクスの気遣いも言葉も何もかもが全て嬉しい。だが、感じた気持ちが本当に友人に対するものなのかが分からないのだ。
「……ルネさん?」
もう一つの名前を呼ばれてリルヴィアは俯きかけていた顔を上げる。人懐こそうな顔がこちらに向けられており、それを見ると何故か安堵してしまう自分がいた。
「……アルクスさん。また、本を貸していただけませんか」
感情を隠すためにわざと逃げてしまう自分はやはり臆病だと思う。
だが、そう訊ねるとアルクスの表情は朝日のように眩しいものへと変わった。
「もちろんだよ。うーん、今度は何がいいかなぁ」
楽しげにどの本がいいか考え始めるアルクスを横目に見ながらリルヴィアは小さく微笑む。
アルクスに対する自分の感情がどういうものであれ、やはりこの笑顔を見ることが出来るのは嬉しいものだ。だから、自分は彼の笑顔を壊すようなことをしてはいけないのだ。
気持ちを覚られないように気を付けながら、リルヴィアは感情を隠した溜息を吐いていた。




