もう一度、あなたと
夜になれば、自分が塔の外へ出ても雨が降ることはない。リルヴィアは足音を立てないように注意しながら塔の外へと身を投げ出した。
今日、アルクスが約束の場所にいるかは分からない。それでも走り出さずにはいられなかった。
体力のない自分は少し走っただけで息が続かなくなってしまう。それでも無理矢理に身体を鞭打ちながら走り続けた。
……会いたい。ちゃんと、話したい。今度は私が伝えたい。
頭に被っていた布は走ったことで風の抵抗を受けて、飛ぶように脱げてしまった。白い髪が視界に入っても構わず、目的の場所へと急ぐ。
木々の間を通り抜け、ひらけた視界に思わず目を瞑る。通り過ぎた柔らかな風が自分よりも先に、前へと進んだ。
「……」
目を開いて、リルヴィアは息を小さく吸い込む。
自分がいつも座っている長椅子に、腰かけて見えるのは一つの影。間違いではない。あの人影を見るのは三度目だ。
一歩、一歩を踏み固めるようにリルヴィアは近づいていく。だが、リルヴィアが声をかける前に人影はこちらを振り返った。
「っ……」
アルクス本人を目の前にしてしまったら、事前に考えてきていた言葉が頭から抜け落ちてしまった。
「あの……」
言葉が見つからないまま、リルヴィアがアルクスに声をかけようとした時だった。
「良かった……」
彼から深い溜息が聞こえたのだ。
「良かった、もう……。来てくれないのかと……」
泣いているわけではないのに、アルクスの苦笑した表情は自分からは泣いているように見えてしまう。彼は自分を待っていてくれたのだ。
「あの、アルクスさん……」
リルヴィアは胸に手を当てながら深呼吸して、言葉を続ける。
「あなたに嘘をついていて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げ始めるリルヴィアに驚いたのか、アルクスが慌てて腰を上げた。
「いえっ……。私もまさか姫君だとは知らずに接してしまって……」
先日とは違って、アルクスの口調は敬語となっていた。
それもそうだろう。身分的に見れば、アルクスよりもリルヴィアの方が上だというのは世間の認識と変わりない。
だが、それは同時に自分の中に新たな寂しさを生むこととなった。
「……隣に座りませんか」
「え……」
リルヴィアの誘いにアルクスは迷っていたようだが、すぐに頷いてくれた。やはり、話をするなら座った方がしやすい。二人は同時に長椅子へと腰を下ろした。
「……すみません、嘘をついてしまって」
リルヴィアはもう一度、アルクスに身体を向けながら頭を下げる。
「騙すつもりはなかったのです。ただ……。本当の私を知ったら、あなたが……私のことをどう思ってしまうのか想像するのが怖くなったのです」
「……」
誰かに見下されるように見られるのは慣れている。それでも、アルクスからはそのような目で見られたくはなかったのが本音だ。
「もう、御存じかと思いますが私はこの身一つで雨を降らせる奇妙な力を持っています。自分でも制御が出来ない力です」
リルヴィアは自分の細い手を見つめた。この身体のどこに雨を降らせる力なんてあるのだろうと何度思ったことか。それでも、自分の力は現実にあるものなのだ。
「気味が悪い、ですよね……」
実の親兄弟でさえ、そう思っている力だ。まだ会って、数回しか経っていないアルクスはどう思うだろう。しかし、今の聞き方ではアルクスが気遣って答えてしまいそうだ。
「……最初は驚きました」
「……」
アルクスが静かに言葉を紡ぎ始める。
「昨日の昼食会の席に、リルヴィア姫が来るとは知りませんでしたが……。あの場に現れたあなたの声を聞いた時に、間違いなくルネさんだと気付いてしまったんです」
アルクスはどこか気まずそうに頬を指先でかいている。
「その時の表情が凄く泣きそうに見えて……。あなたが深く傷ついているように自分の目には映ったんです」
真っ直ぐと自分の方向へと向き直るアルクスと目が合った。
彼は今の自分の姿を見て、どう思うだろうか。やはり、親兄弟達と同じように自分のことを毛嫌いするか、もしくは――。
考える前に、リルヴィアは声を出していた。
「私が泣いているように見えたとすれば、それは……友人であるあなたを失ったと思ったからでしょう」
「え?」
「私は……御覧の通りに奇妙な力を持っているが故に親兄弟からでさえ、惨めな扱いを受けております。確かに姫君という身分であることも秘密にしておきたかった要因の一つですが、それ以上にあなたが私を見て、落胆するのではないかと恐れていたのです」
こんな自分でも友人になって欲しいと言ってくれたアルクスを失望させたくはなかった。
「でも……」
リルヴィアは外套の下から折り畳んだ紙切れを取り出す。それをゆっくりと開いて見せた。
「それは……」
アルクスが静かに息をのむ。
「アルクスさん、ですよね? この紫の花を塔の前へと置いて下さったのは……」
月明りの下で、紙の一部となった小さな花へと目を落とす。
「……私、アルクスさんとここでお話出来るようになって、次の日が来るのが楽しみになってしまったんです」
リルヴィアは何度目か分からない深呼吸をして、言葉を続ける。
「奇妙な力も身分も何も関係ない……ただ夜に話すだけの友人であることが、凄く嬉しかったんです」
紫の花が一部となった紙を胸に押し当てながら、リルヴィアは顏を上げる。
「だから、これはこの国のリルヴィア姫としてではなく、あなたに貰った名前のルネとして、申し上げます。……私の友人になってくれませんか」
誰かに自分の願いを伝えることがこれ程、恐ろしいことだとは知らなかった。拒絶されるかもしれない、変に気遣われるかもしれない。
様々な思いが入り混じり、リルヴィアはそう伝えたあと、顔を下へと向けた。
アルクスは今、どんな表情をしているだろう。
やはり、自分がリルヴィア姫だと知っている上で、友人になることは無理だろうか。姫としての命令と受け取って欲しくはない。
自分はただ、彼の本当の友人になりたいだけなのだ。
「……いいんですか」
最初に聞こえた言葉に、リルヴィアは目を見開く。
「もう一度……友人になってくれるんですか?」
顔を上げれば、そこには信じられないと言わんばかりの表情のアルクスがいた。
「姫とか騎士とか……。そういうことに関係なく、ただのアルクスとして私があなたの友人になってもいいんですか?」
縋るような声は少しだけ震えて聞こえた。念を押すように呟かれたのは、リルヴィアが言った言葉が信じられないと思っているからかもしれない。
「私は……あなたの対等な友人になりたいのです。……駄目でしょうか」
リルヴィアが下から覗き込むようにアルクスの表情を窺う。彼は戸惑った表情のままで固まっていた。
口がぽっかりと開けられ、目も丸く見開いたままだ。見ていると少し面白い表情である。
「あの……。アルクスさん?」
リルヴィアが名前を呼ぶと彼はやっと現実に戻って来たのかリルヴィアの方を向き直った。
「ごめん。驚いちゃって……」
その口調は最初に会った時と変わらないものとなっており、安堵したリルヴィアは隠しながら溜息を吐いた。
「本当に……今まで通りみたいな友人でいても良いってこと?」
「はい。……アルクスさんがお嫌でなければ」
「嫌なことなんてないよ! むしろ……」
そこでアルクスは何かに気付いたのか口を押える。
「むしろ?」
リルヴィアが聞き返すとアルクスは照れくさそうに頬を掻きながら小さく笑った。
「むしろ、こちらからお願いしたいくらいだよ。凄く嬉しいんだ。君はリルヴィア姫で俺はただの騎士だから、遠慮しなきゃいけないって分かっていても本当は……。本当は君の友人になりたいって思ったんだ」
「アルクスさん……」
我慢していなければ、嬉しくて涙が出てしまいそうだ。
彼が自分との友人関係を望んでくれていたことに安堵しつつも、心のどこかでまた別の感情が生まれたような気がしてリルヴィアは少し首を傾げてしまう。
「だから、もう一度、友人になろう。夜だけの秘密の友人に」
「……また、ルネと呼んで下さいますか?」
自分の本当の名前ではなく、アルクスに与えられた名前で呼んで欲しい。アルクスと一緒にいる時は姫君ではない自分でいたいのだ。
「うん。……あ、俺も普通に話していて良いのかな? 敬語の方が良かった?」
「いえ、そのままで。その方が友人らしいので」
畏まられてしまうと窮屈だし、少し壁が出来たようで寂しく感じてしまいそうだ。
「それなら、今まで通り気楽に喋るよ。……でも、今日からは帰り道を見送らせてくれるかな?」
「え?」
「リルヴィア姫だからじゃなくて、やっぱり女の子が夜道を歩くのが心配なんだ。……良いかな?」
恩着せがましくない気さくな感じでアルクスが気遣ってくれるのが、嬉しくもあり、くすぐったくも感じたリルヴィアは小さく頷いた。
もう一度、友人になれた。それだけで十分なのに、これ以上の幸福はあるのだろうかとさえ思う。
「アルクスさん」
「ん? 何かな」
「あの……。ありがとうございます」
お礼を言わなければならない気がしたリルヴィアが真っすぐとアルクスに向き直って、そう言うと彼は嬉しそうにはにかんで見せた。
「今日からまた宜しく、ルネさん」
「はい。宜しくお願いします……」
穏やかな夜の空気が流れていく。少し勇気を出しただけで、自分が望んでいた以上のものを得られたのだとやっと実感すること出来た気がした。
リルヴィアは月明かりに照らされるアルクスの笑顔につられるように静かに笑みを浮かべていた。




