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花に願いを

 

 警備の仕事が終わったあと、アルクスは周りの人間に気付かれないように気配を隠しつつ、即行でリルヴィアのお気に入りの場所へと向かった。


「……居るわけない、か」


 夜も随分深い時間だ。さすがに起きてはいないだろうと思いつつも、どこか期待していた自分がいた。


 それでも、いつものように長椅子の上へとアルクスは腰掛ける。空を見上げれば、昼間に少し雨が降ったのが嘘のように思えるほど、星空が綺麗に見えた。


 ……まだ、たくさん話したいことはあるのに。


 何となく今日以降はリルヴィアがこの場所を訪れる気はないのではと思えたのだ。


 リルヴィアが自分に会いたくないと思っているのなら、それで構わない。潔く身を引く覚悟は出来ている。

 だが、少しでも自分とまだ友人でいたいと思ってくれているなら、その心に賭けてみたかった。


 瞬く星を見ていても、どうすれば自分がリルヴィアに友人でいたいと伝えられるのか思いつかない。


 ……こういう時、俺よりもナスターの方が頭は回るんだろうけどな。


 自分は昔から剣術一筋だったため、人の感情にどう対応すればいいのかすぐに悩んでしまう。それでも何とか知恵を振り絞るしかないのだ。


 ……ルネさん。


 リルヴィアに名付けた夜だけの名前は愛読書に出てくる登場人物の猫から取った。


 そういえば、物語の主人公がこのルネという猫に友人にならないかと誘う場面があったことを思い出し、その懐かしさを思い出すようにアルクスは少し目を細めた。


 しかし、アルクスはたった今、思い出した場面に自分が知りたかった答えがあることに気付く。


 ……そうか。これなら、伝わるかもしれないな。


 愛読書が同じであるリルヴィアだけに想いが伝わる方法を見つけたアルクスはすぐに立ち上がり、長椅子の周りを囲っている木々の根本を覗き込むように調べ始めた。


 ……もう一度、友人になりたいって伝えるんだ。


 きっと、リルヴィアなら自分が探しているものにどのような思いが込められているのか分かるはずだ。

 アルクスは暫くの間、目的のものを見つけるために地面を這うようにしながら探し続けた。



・・・・・・・・・・



 朝、目が覚めて思い出すのはアルクスが自分を驚いたように見ていた表情だ。

 彼と夜に会って話をしていたことも、自分がリルヴィア姫だと知られたことも夢ではない。


「……ルネ」


 与えられた夜だけの名前がどれほど嬉しかったか、自分は表に出せずにいた。

 あの時、はっきりと言っておけば良かった。この名前を自分に名付けてくれて、ありがとうと――。


 ふと、気付いた時には右頬に冷たいものが流れていた。


「……どうして」


 自分が泣いている理由が分からない。ただ、涙が零れて仕方がないのだ。


 手で軽く拭ってから、ベッドから降り立った。いつものように窓の外を見ると柔らかい光が空に少しずつ昇り始めてきている。


 朝が来て、夜が来る。その繰り返しの日々に戻るだけだ。

 何も変わることがない日常を送るだけ。


 ……あぁ。


 本当は分かっていた。

 たった二度会っただけの人間にここまで惹かれると思っていなかった。


 だからきっと、自分はもうアルクスに会う前の自分には戻れない。


 楽しいという感情をはっきりと理解してしまった以上、三日前のように代わり映えのない日々を送れる自信がなくなってしまったのだ。


 自分のいる部屋へと近付いてくる足音に気付いたリルヴィアはもう一度、目を拭ってから顔を上げる。


「姫様、起きておられますか」


「起きているわ」


 扉を開けたのはセリアだ。これもいつもと変わらない日常。


「おはよう、セリア。……ミーシェは王城の厨房かしら?」


「おはようございます。はい、先程戻って来ました。……それで、何ですけれど」


 セリアにしては珍しく、戸惑いの表情をしている。何か困ったことでもあったのだろうか。


「どうかしたの?」


「実は……。ミーシェが塔の外に出たら、入口の辺りにこの花が置かれていたそうなのです」


「え?」


 セリアは気まずそうに自分の前へとその花を見せる。片手に乗る程の小さな花が数本、セリアが持つ盆の上へと置かれていた。


「誰かの悪戯でしょうか? 明らかに人の手によって手折られたもののようですが、それが扉の前に一束で並んでいたそうです」


 リルヴィアは目を見開き、その一本を手に取る。


 自分はこの花の名前は知らない。

 だが、この花のことを知っている。


 紫の花びらで、少し力を入れてしまえば折れてしまいそうな程に、か弱そうな花から視線を逸らすことが出来なかった。


 この手に載せられた小さな紫の花がアルクスと話した、好きな本に出てくる花だとすぐに気付いていた。


 物語の主人公が相棒である猫のルネに友人にならないかと誘う時に、紫の小さな花を渡す場面があるのだ。


「っ……」


「ひ、姫様っ⁉」


 リルヴィアは花を持ったままその場に腰を抜かしたように座り込んだ。


 間違いない。この花を塔の前へと置いたのはアルクスだ。

 でなければ、知っているわけがない。


 自分の夜の名前はルネだ。その名を持つ者にこの紫の花を贈るということはどういう意味を含んでいるのか、すぐに読み取れてしまったのだ。


 ――友人にならないか。


 アルクスは自分にそう言っているのだ。

 姫だと知っても、自分が雨を降らせる奇妙な力を持っていると知っても、それでもなお、彼は自分に友人になってほしいと願っているのだ。


「……さま、姫様っ!」


「あ……」


 セリアの呼びかけによって我に返ったリルヴィアは座り込んだまま顔を上げる。


「ごめんなさい。何でもないのよ。気にしないで」


「ですが……」


「本当に大丈夫だから」


 セリアは心配そうな表情のまま、どうすればいいだろうかと空いた手を宙に浮かせたままだ。


「心配しないで。……ミーシェと一緒に朝食の準備をお願いね。私もすぐに行くから」


 念を押すようにリルヴィアがそう言うと、セリアは渋々と言った様子で頷き、踵をゆっくりと返していった。


 再び、部屋の中に一人残されたリルヴィアは包むように手に持っていた小さな花をもう一度、眺めてみる。


 淡い紫の花は、手折られてから時間が経っているのか少ししなびているようだ。随分、長い時間、放置してあったのだろう。


 アルクスは自分が住んでいる場所を知っている上で、この塔へと赴いたのだ。雨を降らせる力を持つ自分がこの塔で生活していることは王城で働く者なら知らない者はいないだろう。


 ……会いたい。


 本当は会いたくて、仕方がない。だが、その想いがアルクスを気遣わせてしまうものだと知っている。


 それでも、会いたいと願ってしまう自分は悪い性格をしていると思う。

 自分の正体を知っている上でアルクスが友人になりたいと望んでいることに甘えようとしているのだ。


「……っ」


 祈るようにリルヴィアはしなびた花を額に当てる。


 甘えるだけでは駄目だ。


 自分が現状のように塔から動かずに生活しているのも、国に余計な雨を降らせないためだと言えば聞こえは良いが、それは人に迷惑をかけて冷たい視線を浴びたくないからだ。


 だから、自分はここに閉じこもっている。

 人目に触れることを恐れて、自分自身をいないものとして生きている。


「……私が……変わらないと」


 受け入れて、身に留めるだけでは何も動きはしないのだ。

 もし、変わるならば受動的では駄目だ。自分からどうしたいのかを決めた上で行動しなければならない。


 ……私はもう一度、あの人の友人になりたい。


 秘密の友人で構わない。だが、嘘をついたままの友人ではいたくない。

 本当の意味で、今度は自分から友人になって欲しいと伝えたい。


 リルヴィアは立ち上がり、掌に載せられている小さな花を覚え書きにしか使用できない紙切れ二枚の間に入れて、本の間へと挟んだ。

 こうしておけば、ある程度の間なら花の形が保たれるはずだ。


 受け取るだけでは意味がない。もし、自分がアルクスに友人になろうと言って断られるのなら、それでも構わない。

 彼によって動かされた心を持って、今度は自分から行動を起こしたいだけなのだ。


 そして、自らが動いた結果をしっかりと受け止めたかった。

 

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