第5章 ナヲ
夏菜子は彩綾の家、その目の前に立っていた。ふう、と息を整える。そしてチャイムのボタンを人差し指でぐいと押し込んだ。
『はい』
小さなスピーカーから聞こえる、彩綾の声。
「夏菜子だよ。入ってもいいかな?」
『もちろん。鍵はかかってないよ。2階に上がってきてくれる?』
「うん」
スピーカーからガチャリ、と音がした。
彩綾、普通を装っているけど、やっぱり少し声が暗い。私が余命あと半年だ、って言われたら、どうするだろう。んん、とても想像できない。
夏菜子は玄関を開けて靴を脱ぎ、そして一歩一歩階段を上った。いつもと同じように、11段目の階段がぎしっと軋む。
彩綾の部屋のドアを開ける。ベッドの上に座る彩綾がそこにいた。茶色のワンピースが水色のベッドに浮かび上がっている。
「彩綾」
「いらっしゃい。ごめんね、お茶も出す気になれなくて」
「そんなこと。それより、どういうことなんだろう。あと1回変身したら、って」
「使い魔さんの言葉通りだと思う。私は変身したら死ぬし、変身しなかったとしてもあと半年で死ぬ」
「だって彩綾は14歳で!」
「そうだね。たぶん、私の寿命は……」
「魔女のところへ行こう。話を聞かなくちゃ」
「ありがとう。夏菜子」
「彩綾は魔法少女隊のリーダーだもの。彩綾がいないと私……。いや、とにかく魔女のところへ行かないと。えっと、次元の歪み? を通って行くんだよね」
「そう。私も使い魔さんとそこを通って魔女と契約した。私はやったことがないけど、魔法少女ならあの空間に通じる扉を開くことができるみたいだよ」
扉。たぶんあのブラックホールみたいなやつのことだ。でも、一体どうやって……。
よし、とりあえず。
「開けー、扉!」
夏菜子はそう言って右手を挙げた。5秒が過ぎる。10秒過ぎる。そして30秒が過ぎて。
「出ないね」と彩綾。
「もしかして変身しないとだめなのかな」
いや。そう簡単に変身するわけにはいかない。彩綾のこともあるし、私の寿命が残りどれくらいなのかよくわからないもん。
もっと魔法を使う時みたいに、明確にイメージをしてみよう。あの黒と紫のぐにゃぐにゃした空間を。魔女の小屋のイメージを。よし、いい感じ。
今だ。
「……開け」
瞬間。空気が揺れる。どこか遠くから低い音がして、そうしてあのブラックホールが夏菜子の目の前に現れた。
「夏菜子、すごい……。変身もしてないのに……」
「よし!行こう」
夏菜子と彩綾は次元の歪みの中で流されていた。
「なんだか勝手に進むね」
彩綾は不思議そうにそう言った。
「行きたい場所をイメージしておいたから。きっとこのままで大丈夫」
しばらくすると、流れがゆっくりと止まった。夏菜子はそれを感じて。
「着いたみたい。落ちるよ。気をつけて」
黒と紫の空間が突然に消え去った。夏菜子と彩綾は少し湿った地面の上に着地する。
夏菜子が以前来た時と同じ、霧と木漏れ日の森であった。目の前には魔女の小屋。
木のドアがぎぎぎと開く。夏菜子と彩綾が小屋の中へ入ると。
「少女達か。よくぞ来た」
黒いドレスに身を包んだ、青い瞳の魔女。やはり大きな古い椅子にしとりと座っていた。
「彩綾の寿命は、あと半年なの?」
夏菜子はぐいと体を魔女へと近づけた。
「ああ。ダシュが伝えに行ったはずだが」
ダシュ。ああ、ウサちゃんのことか。確かに来たけど、でも。
「どうして? 彩綾はまだ30回くらいしか魔法を使ってない。減った寿命は15年くらいでしょう?」
「そうだな。そこの少女には30回、魔法を渡した」
「それならどうして彩綾の寿命があと半年になるの? 嘘をついて私達を騙したの?」
夏菜子が矢継ぎ早に魔女に質問している間、彩綾はじっと黙って魔女を見ていた。
「人間の少女よ。寿命はな、運命なのだ。そこよ少女は契約をしていなかったとしても、15年後には死ぬことになっていた」
「まさか」
「ああ。事故、病気、自殺。人間は様々な理由で死ぬ。誰が、いつ、どのように死ぬか、それは最初から決まっている。寿命とは、そういうものなのだ」
「そんな……」
「契約をするとな、私はその少女の寿命がわかる。だが、それを伝えることはしない。そういう契約だ。主らが魔法を使い、寿命を減らさなければ我が困るのだ」
「どういうことなの?」彩綾がようやく口を開いた。
「この契約はな、少女としか結ぶことができぬ。若くて、我と同じ女でなければ、魔法を扱う器になれぬのだ。そして寿命を契約者から貰うことで、我は生きている」
「あなたは、長生きしているということ?」と彩綾。
「そうだ。遥か昔からな。だが……」
魔女の話を遮って、夏菜子は声を荒げた。
「魔女のことなんてどうでもいい! 彩綾を殺さないで! 何か方法はないの?」
「彩綾とやらが、半年後に死ぬことは免れぬ。魔法は世の理を捻じ曲げるのだぞ。それ相応に負の作用も起きる。そうでなければエネルギーの均衡が保てぬ」
「でも! まさかこんなことになるとは思わないじゃない! だって……」
「喚くな。契約も、魔法を使うのも、主らの意思で決めた事だ。我は主らを子供だとは思っておらん。1人の契約者として扱っている。だからこそ、このように説明の責任も果たしているのだ」
「ありがとう、夏菜子。もういいよ」
彩綾はそう言うと、夏菜子の肩をトントンと叩いた。夏菜子は彩綾の顔を見ることができず、涙をこぼしていた。
「……彩綾は、彩綾は、どうなるの? 死ぬって、どう死ぬの?」
「7日間だ。7日間、この世の苦しみでは再現することすら叶わぬ苦痛を受け続ける。近所でぎゃあぎゃあと騒がれても邪魔だからな、次元の歪みで勝手に苦しんでもらおう。まあ、安心しろ。冥界の炎に焼かれるほどではない」
「……っ、なにそれ。わかんない、わかんないよ……」そう言う夏菜子の目は虚ろに地面を見つめていた。彩綾は何も言わずに夏菜子の背中をさすっている。
「わからぬか? そうだな。例えるならば、全身の骨を折られ、生きたまま内臓を抉り出され続けるようなもの。その苦痛は魂へと刻むものであるから、一瞬たりとも気を失うことはない。7日間、きっちりと苦しむことになる」
「わかんない、わかんない、わかんない、わかんない」
「ふむ。では別の例えを……」
「もうやめて!」
彩綾はそう言った。
「……彩綾?」
夏菜子は彩綾を見る。
「もう説明はいい。私は半年後か、もしくは変身したら苦しんで死ぬんでしょう。魔法を使ったんだもの、それは別に構わない。でも、夏菜子をいじめるようなことはやめて」
「そうか。まあ、説明はこれだけだ。他に話さねばならぬこともない。後は主らの自由だ」
「うん。じゃあ私達は帰るよ。魔女さん、それじゃあまた」
彩綾はそう言うと、すっと次元の歪みへの扉を作り出した。実は彩綾にとって、扉を開くことは造作もないことであったようだ。
彩綾は涙で顔をぐしゃぐしゃにした夏菜子を支えて、次元の歪みへと入っていくのであった。
再び魔女1人となった静かな小屋。すると魔女が。
「ダシュ、やっと帰ったか」
ぽんっ、と音を立てて、使い魔が魔女の目の前に現れた。
「魔女様、聞いておりました。どうして本当のことを話したのですか? あれでは夏菜子さんはもう魔法を使わないでしょう」
「あの少女を見ていると、昔の私を思い出すようでな。少し肩入れしたくなってしまうのだ」
「魔女様、私にもその優しさを分けてはいただけま……」
「次の契約候補者の探索はどうした」
「あの、それはまだ……」
「終わるまで帰るなと言っておいたはずだが?」
「行ってまいります」
使い魔は再び姿を消すのだった。