第4章 アグ
「逃がさないよ!」
水色の魔法少女、夏菜子は氷の檻を作り出して1匹のニホンザルを閉じ込めた。ニホンザルは驚いてきょろきょろと氷の檻を見ている。すると出られないことに気がついたのか、氷の檻をガシガシとかじりはじめた。
「後は私に任せて」
そう言って桃色の魔法少女、彩綾が杖の先をその猿に向け、目をつぶって呪文を唱えた。
猿は次第に動きがゆっくりになっていく。そうしてころりと眠ってしまった。
「彩綾ナーイス! 脱走のお猿さん、捕獲成功!」
「夏菜子も魔法の使い方がすごく上手になったね」
「それほどでもあるなあ」
ぶぅん、と音を立てて2人のコスチュームは中学校の制服へと戻る。
ふう。さて、後は動物園に連絡してお猿さんを保護してもらうだけ。今日も良いことをしたなあ。
私と彩綾が魔法少女隊を結成してから1ヶ月になる。街をパトロールしたり、誰かが困っていることを探して、正義の為に魔法を使うの。魔法も魔法少女そのものも、普通の人には目でも耳でも感知してもらえないから、感謝されたことないけどね。交通事故を防いだこともあるのになあ。
ちなみに魔法が感知されないというのは。
例えば私が氷でハンマーを作って地面に打ちつけたとする。すると地面には小さなクレーターができる。普通の人には、魔法少女の私の姿も氷のハンマーも見えない。ついでにハンマーを振り下ろす私の、気合いが入った声も普通の人には聞こえない。
でも、確かにクレーターはそこにある。ここからがビックリな話なんだけど、大きな岩が落ちてきてそのクレーターができた、という記憶がクレーターを見た人の脳に勝手に植えつけられる。魔法は感知できないけど、魔法の結果は感知できてしまうから、代わりの何かに記憶が置き換わるようになっているらしい。そう彩綾が言ってた。
私はもう5回、魔法少女に変身した。とはいっても半年の寿命よりも目の前の平和が大事。これからもどんどん魔法を使っていかなきゃね。
彩綾は1年前に魔女と契約したらしくて、もう30回くらい魔法を使ってるみたい。それだけにやっぱり彩綾は魔法を上手く使える。私も頑張ろうっと。
ちなみに私は魔法少女に変身すると、フローズン・タイムっていう名前になる。氷を使ったり、時間を止めたりできるから。彩綾が名付けてくれたんだ。
彩綾はイレブンバック・ドリーム。対象物の状態を11秒前に戻したり、どんな生き物でも眠らせて夢を見せたりできるの。悪いやつには悪夢を見せてやる、って言ってた。うん、彩綾を怒らせないようにしよう……。
「私、11って数字を見るとなんだか不安になるんだよね」
魔法少女隊の活動を終えて、帰り道。彩綾はそう呟いた。
「んん?」
「私がイレブンバックの魔法を使うからなのかな。理由はわからないけど、魔女と契約してから11っていう数字が気になるようになってさ」
「どう気になるの?」
「数字は十進数だって、数学の先生が言ってた。0から9までは別の数字なのに、その後は1と0で10になって、11、12、ってまた1から繰り返していく」
「えっ、なに……? 彩綾、数学者になるの?それとも哲学者?」
「11ってさ、2回目の始まりだよね。私が魔法を使えば夏菜子を11秒前の状態に戻すこともできるけど、その戻った夏菜子は戻す前の夏菜子と本当に同じ夏菜子なのかな」
「んんん? なんか難しくて彩綾の言ってること全然わからないや……」
「あはは。ごめんね、変なこと言って。さ、私の家で共に温かいスープでも飲みますか!」
「やったー!」
空気がからりと乾いている。冬の冷たい風が夏菜子と彩綾の間を通り抜けた。
翌日。
夏菜子は授業を聞き流していた。がっちりとして体格のいい数学の先生がぼそぼそと喋りながら黒板にチョークを走らせている。他のクラスメイト達は口を結んでノートを取ったり、或いは静かに眠っていた。
なにさ、連立方程式って。なんでこんなの勉強するんだろう。xとかyとかどうでもいい。それより人生に役に立つことってもっともっとたくさんあるのに。
彩綾は昨日、11がどうのこうのみたいなこと言ってたけど、彩綾なら数学も楽しいのかな。なのにどうして私は連立方程式とやらの話を聞いていて、彩綾のクラスはバレーボールなのよ。私、バレーボールがいい。
妹の春香は小学校の勉強が楽しいみたい。まあね、私だって足し算やってるときは楽しかったよ。いつの間に関数とかこんなわけのわからないことに……。
すると。突然に教室のスピーカーがわんわんと騒ぎだした。緊急サイレンだ。
『西棟3階に不審者が現れました。避難するのも危険ですから、無闇に動かず、先生の指示に従ってください。授業中の先生方は、そのクラスの生徒全員を目の届く範囲に。それ以外の先生方は西棟3階にお願いします』
スピーカーから聞こえてくる音楽の萩原先生の声。その声には緊迫感があった。
当然教室はざわめいた。怖がったり、ワクワクしたり、困惑したり、その反応は様々。
ふむ。これは魔法少女隊の出番ですな。不審者と言っても、露出狂のようなものじゃないだろうしね。避難するのも危険だから動くな、と放送したってことは間違いなく危険な人物。爆弾を持ってるとか、暴れてるとか。警察に通報はしてるんだろうけど、到着までには時間がかかる。
彩綾もたぶんバレーコートでこの放送を聞いたはず。となれば現場に行けば彩綾と落ち合えるだろう。
いくよ。
夏菜子の体が光り輝き、すすすと浮かんでいく。水色に煌めくレースのフリルをはためかせ、グレーの制服を着ていた少女は魔法少女へと変身した。
よし。この姿になればもう皆に私の姿は見えない。とりあえずは被害が出る前に早く西棟の3階に行かないと。
夏菜子は駆け出す。廊下に出てきた他のクラスの生徒達がおろおろと歩き回っていた。
どうも困ったな。皆は私に気付くことはないけど、すり抜けられるわけじゃないからなあ。対応してる先生達が怪我とかしなければいいけど……。
ここは本棟の2階。このまままっすぐに進めば渡り廊下がある。時を止めて実質ワープをやってもいいけど、現場まであと1分もかからないと思うんだよなあ。5分の変身時間の中で1回しか使えない『時止め』はできれば温存しておきたい。
夏菜子が西棟に着いて、階段を上ろうとしている時だった。
「夏菜子!」
彩綾がジャージ姿のまま、夏菜子に声をかけた。
「あ、彩綾。よし、行くよ!」
「ちょっと待って!」
「えっ、早くしないとけが人が出るかもしれない」
「夏菜子、変身時間の残りは?」
「まだ4分はあると思う」
「なら大丈夫。30秒私に時間をちょうだい。策もなしに突っ込んだら危ないでしょ。先生達が3階で不審者を抑えてるとは思うけど、3階のどこにいるのかまだわからないし」
むむ。まあ、リーダー命令とあらば仕方ない。それに彩綾の言う通り、作戦は確かに必要だ。
「わかった。でも、どうする?」
「放送の内容から考えて、おそらく不審者は刃物みたいなリーチの短い武器を持ってる。萩原先生が放送で3階に先生を集めようとしたのは、人が多いほど安全に不審者を捕まえられると思ったから。つまり不審者は、先生達を一網打尽にできるような銃火器を持ってるわけじゃない」
「なるほど、確かにそうかも。それなら私がリーチの外から『時止め』して、彩綾が不審者を眠らせるのがいいかな?」
「だね。夏菜子も慣れてきたねえ」
「はっはー。リーダー、私をなめてもらっては困りますな」
「あはは。失礼しました。じゃあ行こう」
夏菜子と彩綾は階段を上り、3階に着いた。男の怒鳴り声が聞こえてくる。
「たぶん理科室にいる」
彩綾はそう言って走り出す。夏菜子もそれに続いた。
理科室は西棟の1番奥にあり、その出入口となるドアは1つしかない。ドアは開いていて、その奥に先生達の背中が見えた。不審者は理科室の中にいるようだが、先生達の背中に阻まれて廊下からではその姿は見えない。
「私も変身するね。このままじゃ先生にも不審者にも私の姿が見えちゃうから」
彩綾は小声で夏菜子に伝える。夏菜子はこくんと頷いた。
よし。彩綾が変身したら理科室に入って、不審者の姿を見てから『時止め』を使おう。
そう考えていた夏菜子であったが、ふと違和感に気付く。
あれ、音がしない。まさか。
間違いない。時が止まってる。
まだ『時止め』は使ってないのに、どうして。
「夏菜子さん、彩綾さん。お久しぶりです」
黄色の小さなウサギが夏菜子と彩綾の目の前に浮いていた。
「あ、ウサちゃん。どうしたの?」
「ウサちゃんではなくて使い魔です、夏菜子さん。さて。今日お伺いしたのは、彩綾さんの契約が終わりになるからです」
「どういうこと?」
彩綾が使い魔に尋ねる。すると使い魔は首を傾げて言った。
「彩綾さんが今魔法を使うのならば、寿命の残りが0になります。ですから、契約終了の手続きをと」
「え……?」
彩綾は言葉を失って、しかしかろうじて疑問の意を示した。
「まだご理解いただけませんか? あなた方の言葉を借りれば、あと1回魔法少女に変身したら、彩綾さんは死ぬことになりますよ、ということです」
彩綾はふらふらとして、そして廊下に崩れ落ちた。座り込んでしまった彩綾を見て、夏菜子が声を荒げる。
「そんな! 彩綾はまだ30回くらいしか変身してないはず!」
「ですから、寿命を15年いただきまして、彩綾さんの寿命はあと半年になっています」
「彩綾は私と同じ14歳だよ? 何言ってるの?」
「いい。夏菜子。私もそうかもしれないって考えてたことあるんだ」
彩綾が俯いたまま呟いた。それを聞いた使い魔も再び口を開く。
「そういうことです。どうやら今回は彩綾さんは魔法を使われないようなので、そろそろ失礼します。質問したいことがあれば、魔女様のところへいらしてください。夏菜子さんはもう次元の歪みを開けるはずですから」
そう言って使い魔はふっ、と消えた。同時に時が再び動き出す。
理科室の中にいた先生の1人が、廊下に座り込んでいる彩綾に気付いた。
「おい、なんでここにいる? 危ないから早く離れなさい」
その先生は彩綾を立ち上がらせ、そのまま彩綾と一緒に階段を下りていった。
どういうことなの。彩綾の寿命がもう半年しかないってそんな。とにかく不審者は私1人でなんとかするしかない。
夏菜子は理科室の中へと入った。立ちはだかる先生達の合間をぬって奥に進むと、そこには日本刀を持った若い男が目を血走らせて立っていた。
「邪魔なんだお前ら! 俺はもう駄目なんだ。こうして同じ時を繰り返すくらいなら、運良く記憶が戻った今、好きなことを好きなだけしたいんだ!」
「それが中学生を傷つけることか?」
体育の風間先生が刺又を構えながらそう質問する。
「それの何が悪い。いや、悪かったとしてもどうでもいい。この業物で馬鹿なガキどもをぶった切ってやりたくて仕方ねえんだ。いいからどけ!」
「何あの人……。完全におかしいよ」
夏菜子は独り言を呟いたつもりだった。魔法少女に変身した夏菜子の声は誰にも聞こえないからだ。しかし。
「おい、お前。お前は何だ。魔女か?」
その男は血走らせた目を夏菜子に向ける。
「えっ、私が見えるの?」
「あ、ああ。いや違うな、魔女と契約した人間か」
なんなの。この人は一体何者。どうして私と会話できるの。どうして魔女を知ってるの。
「もしかして、あなたも……」
「いや、いや、いや。俺は違う。魔法は使えない。ただ、呪いを受けているだけだ」
先生達がざわつく。あの不審者は一体何と会話しているのか、と。幻覚を見ているのでしょう、おそらくは違法薬物を摂取している、と柳先生が小声で呟く。
「呪い?」
あれ、私、なぜだろう。こんなに危険な人と話してるのに何故か落ち着く。まるでずっと昔からこの人のことを知っていたような。
「お前、知らないことが多すぎるな。あぁ、というかお前みたいな魔法使いがいたんじゃ面倒だわ。それじゃあな」
男は突然、窓ガラスへと向かって走り出した。ジャンプして窓を派手に割り、男は外へと飛び出した。
「待て!」
風間先生が叫ぶ。
夏菜子は割れた窓ガラスに駆け寄り、外を見る。器用に校舎を跳ねながら下へと降りていく男。そのまま東門から校外へと出ていった。
あの男は一体……。それに彩綾……。
夏菜子は彩綾のことを考えながら、割れた窓ガラスを呆然と見つめていた。