第3章 シハ
んー。中間テストも終わったし、最高にいい天気。ついでに私は魔法少女だし、もう無敵だね。
帰宅部の夏菜子は下校途中。木の葉がひらひらと散っている坂道を軽い足取りで下っていく。
「あ、夏菜子」
夏菜子の後ろで声がした。夏菜子の耳には聞き慣れたその声。振り返るとそこには制服の女の子がいた。ふわりとした癖っ毛を揺らして、可愛らしい垂れ目が夏菜子を見つめる。
「彩綾! テストお疲れ!」
「今日の夏菜子はご機嫌だね。そうそう私もご機嫌なの」
「おや、どうして?」
「わからない」
「なるほど。その見解は私としても意味がわからなくてわははのは、って感じです!」
「たぶん夏菜子がご機嫌なら私もご機嫌なの」
「それはよいですねえ」
夏菜子と彩綾は笑い合う。夏菜子にとって、彩綾は何年も前から知っている唯一の幼馴染であった。お互いの家は歩いて3分とかからない距離にある。
彩綾は何かを思いついたように、あ、と声を漏らした。
「そうだ。今日私の家においでよ。どうせ暇でしょ?」
「よいだろう、よいだろう」
「きっと夏菜子は喜ぶと思う。いや、間違いないでしょう」
「なんだろう……?」
「お楽しみですよ」
彩綾の家に行くのは、もはや何百回目かわからないなあ。そもそもこないだ一緒にテスト勉強をしたばっかりだし。それにしても幼馴染ってのはいいね。イケメン男子の幼馴染もついでに欲しいところだけど。
彩綾はお父さんと2人暮らし。夜遅くに彩綾のお父さんが帰ってくるまで、家にいるのは彩綾1人になる。そりゃ私もしょっちゅう行くよねえ。
夏菜子と彩綾はやいやいと喋りながら、彩綾の家へ。
「お邪魔しまーす!」
「誰もいないけどね。2階上がってて。いい物持ってくから」
「はあい」
すたすたと階段を上り、夏菜子は彩綾の部屋へと入った。淡い水色のベッドに小窓、シンプルな机と小さなテーブル、そして本棚。いつもの見慣れたレイアウトが夏菜子の目に映る。
夏菜子はよっ、と声を漏らしながら床に座った。
魔法。使ってみたいけど、寿命が減るもんなあ。そういえばテレビで見たけど、女性は平均寿命が87歳だとか。でも健康寿命は74歳。じゃあ13年は寝たきりだったり、病気やらで苦しむってこと?
そんな13年はむしろ、無い方がいい。健康なまま生きられないなんて。でも実際におばあちゃんになったらどうなのかな。例え苦しくても生きたいって思うかもしれない。それに、家族はきっと、死んでほしくないって思うもんね。
難しいな。でもやっぱり私なら健康なまま死にたい。うん。13年寿命を減らしてもいいとしたら、5分の魔法を26回使えるなあ。
とはいえ魔法を使わなきゃいけない場面なんてそうそうないと思うけど……。もしも使うべき時が来たら、迷いなく使おう。
がちゃりとドアが開く。彩綾が大きなお盆を持ってそこに立っていた。
「お待たせしました、夏菜子殿。有生橋の洋菓子屋さん、新作のフィナンシェと生チョコでございます」
「はわあー!」
「小さなカップにコーヒーと紅茶の両方をお持ちしました」
「なんとここは楽園か?」
「あはは」
と彩綾は笑って、小さなテーブルにお盆を置く。そうしてすっと座り込み、生チョコを1つ口に放った。
「いただきまーす!」
そう言って夏菜子はフィナンシェの小袋を開ける。
「あ、そうだ」
何かを思い出した様子の彩綾。ベッドの下から大きな箱をずずずと引きずり出した。彩綾がその蓋を開けると、それを見た夏菜子は首を傾げた。
「なにこれ、すごろく?」
「たぶんそんな感じ。知り合いにもらったの。日本じゃない遠いどこかで遊ばれてたボードゲームなんだって。遊んでみない?」
「ふむ。よくわからないけどやってみよう!」
1畳ほどの古びた厚紙の上で遊ぶゲームであった。1から6までの目がある赤黒いサイコロのようなものが2つあり、出た目の合計数だけ駒を進める。そうして先にゴールしたプレイヤーが勝ちというルール。盤上の指示は何故か日本語で書かれており、スムーズに遊ぶことができた。
「……5、6、7、ここか。げげ、炎に焼かれる、1回休む」
夏菜子はがっくりとしながら、彩綾にサイコロを渡す。
「次は私の番ね。あ、夏菜子は1回休みだから2回できるのか。さーて」
そう言って彩綾は2つのサイコロを転がす。出た目を見て彩綾は声を上げた。
「嘘! 11だ!」
「ん? 11だと何かあるの?」
「イレブンバック。最初に戻るんだって……」
彩綾が盤上の隅に小さく書かれているルールを指差した。
「なにその酷いルール。もはや私の勝ちであるな」
夏菜子はわははと笑う。彩綾は駒を最初の位置に戻し、再びサイコロを振った。3と5の目が出る。駒を8個進めて、夏菜子にサイコロを渡した。
そして夏菜子がサイコロを振ると。
「ええ。私もイレブンバックですか……」
「あはは。このゲームなかなか終わらないね」
「というかマスに書いてあるのが炎に焼かれるとか犬に噛みつかれるとかで怖いんだけど……。このすごろく、どこの国で作られたやつ? 日本語で書かれてるし日本じゃないの?」
「さあ。私もよくわからないんだよね」
そうしてフィナンシェと生チョコを楽しみながら謎のゲームをしていた2人であったが。
それは突然であった。
彩綾の家がガタンと縦に揺れる。地震。
「わっ。大丈夫かな。そんなに大きな地震じゃなさそうだけど……」
夏菜子が呟くと、次第に揺れが小さくなっていく。だが。
ぎぎぎっ、と音を立てて本棚が夏菜子に倒れかかってきていたことに夏菜子は気付いていなかった。
「危ない!」
彩綾が叫ぶ。夏菜子が見上げた時にはもう本棚は目の前で。
夏菜子は反射的に目をつぶった。
あ、あれ。私、下敷きに……、なってない。
夏菜子はゆっくりと目を開ける。本棚は元の位置にいつも通りおさまっていた。
「んん?」
夏菜子は周りを見渡すと、彩綾が立っていた。その姿はまさに。
「彩綾……。まさか、魔法少女だったの?」
彩綾はピンクと白を基調とした可愛らしいコスチュームに身を包み、大きな杖を持って息を切らせていた。
「夏菜子、私が見えるの?」
「見えるもなにも。そんな派手な格好してさ」
「普通の人には見えないはずなのに、どうして」
ははあ、なるほど。こんなコスプレ少女がバンバン魔法使ってるのが人に見られたら大騒ぎだもんね。私は魔法の契約をしたから見えるのか。
「私も、魔法使えるんだ。まだ使ったことはないんだけどね」
「夏菜子、魔女と契約したの?」
「うん」
彩綾は言葉を失ったようだった。口を開くが、何も言わずに口を閉じ、そしてまた口を開いては閉じた。
夏菜子はにこっと笑って言う。
「私達、魔法少女隊だね! 彩綾の方が先輩みたいだから、彩綾がリーダー!」
彩綾は力が抜けたように、ぱたんと座り込んで。
「あはは、すごい。夏菜子と私、2人だけの秘密だ」
夏菜子と彩綾はハイタッチをして、その乾いた音が部屋に響くのだった。