第9章 ルサ
「冥界?」夏菜子は流石に下着姿ではと思い、Tシャツと黒いジーンズを履こうとしていた。
「ああ。今、どれだけ生き残っているかはわからないが、しかし私達魔女は30人いた。まあ、母上も含めるならば31人だ。私達は1000年前、冥界で生まれた。冥界とは、そうだな。次元の歪みの最果てにある、こことは違う世界、とでも言っておこうか」
「地獄みたいなところなのかな?」
「まあ、イメージは概ねそんなところだ。私達にとってはとても住みやすい場所だが。とにかく、私達はそこで暮らしていた。私達魔女と、母上のペルセポネと、番犬ケルベロスと、そして冥王ハーデスと共に」
ケルベロス。確か、首が3つある怪物犬。なんかの漫画に出てきたなあ。
夏菜子は服を着ると、再びベッドに座った。
アルチーナは話を続ける。
「私達30人の魔女は、冥界の王であるハーデスと、母上の間に生まれた娘達、ということになる。冥界での暮らしは楽しかった。ハーデスは私達に魔力を与え、その使い方を教えてくれた。母上は元々人間だったようで、人間界の遊びをたくさん教えてくれた」
「あの魔女、大昔は人間だった?」
「そうらしい。母上は私達を大切に育ててくれたが、やはり人間界に未練があるように見えた。実際、ハーデスの目を盗んでは、母上は人間界の様子を見に行っていたようだった。母上はそうやって、その時々の人間界の遊びを覚えては、私達に教えてくれた。そうして400年、私達は平和に暮らしたのだが、しかし……」
そこまで言うと、アルチーナは言い淀んだ。
「何があったの?」
「母上が冥界で死んだのだ。無残な姿だった。なぜ死んだのか、誰にもわからなかった。ハーデスは怒り狂った。妻のペルセポネを殺したのは誰だ、と。母上はとてつもなく強い魔力を持っていた。冥界には魔物がたくさんいたが、しかし母上を殺せるほどの力を持つ魔物などいやしなかった。自殺をするような人には思えなかったし、番犬のケルベロスは確かに強い魔力を持っていたけれど、ハーデスと母上にとても忠実だった。結果として、ハーデスが出した結論。それは私達魔女の誰かがペルセポネを殺した、というものだった」
どういうことだろう。あの魔女は死人とでも言うのかな。幽霊、とか。
「お前が考えていることはわかる。母上が生きていたことは、私にとっても驚きだった。話を戻そう。私達の誰かがペルセポネを殺した犯人、と思ったハーデスだったが、しかしハーデスもまた私達を愛してくれていた。最愛の妻を殺したのは、やはり愛する娘達の誰か。そして私達30人の誰がやったのかもわからない。愛憎が交錯してどうしようもなくなったのだろう、ハーデスは私達30人を冥界から追い出した」
「それであなたはここにいるのね」
「そういうことだ。冥界を追い出されれば、行き場所は人間界しかない。私達は人間の姿を与えられた。人間として数十年を生きるがいい、とハーデスは言った。私達は冥界にいて、魔力さえあれば命が尽きることはない。しかし人間界では魔力の殆どを使えないのだ。私達は母上の死に悲しみ、そして恐怖した。私達は、たった数十年で死んでしまうことにとても耐えられなかったからだ」
「だから契約をして、人間から寿命を?」
「そうだ。母上はな、私達にその方法を教えてくれていたのだ。もしかすると、いつか必要になる時が来るかもしれないから、と。私達は人間界で散り散りになり、そして契約をして寿命を伸ばしてきた。これが魔女の歴史なのさ」
「私と契約した魔女は、ペルセポネは、でも死んではいなかったんだよね?」
「そういうことになるな。ということはおそらく、あれは母上自身による工作だったのだろう。まるで自分が死んでいるかのように見せかけた。もしかすると母上は、人間界で暮らしたかったのかもしれない。ハーデスは人間界に行くことを固く禁止していたから」
アルチーナはそうして話を終えた。夏菜子は拳をぐっと握る。
「あなたたち魔女の事情はわかった。でも、どうして私達人間が犠牲にならなくちゃいけないの。私は、あなた達を許せない。私の親友は、契約のせいで14日の苦痛を受けてる。彩綾の人生は、まだこれからだったのに!!」夏菜子は声を荒げる。
するとアルチーナは眉をひそめた。
「……待て。14日と言ったか?」
「そう。彩綾は魔女にお願いして、私がいつか受けるだろう苦痛を代わりに受けたの……!」
「代わりに受けた? いや、おかしい。いくら母上でもそんなことできるはずがない。契約はあくまで、お前と母上、或いはその少女と母上、そういう個人間で行われるものだ。お前の分の負の作用を、他の契約者が受けるだと? そんなことがあるわけが……」
「でも、あの魔女はそう言ってたよ」
「まさか。いや、確かにそれは不可能ではない。しかしそれをするには、母上自身も相当な負の作用を受けることになる。母上がもし本当にそんなことをしたのなら、母上はせいぜいあと数年しか生きられない上に、死ぬ時には契約者と同じ苦痛を受けることになる」
「……え?」
「契約を捻じ曲げ、契約を作り直した。母上は、それだけのことをしたのだ。一体なぜそんなことを……」
「お話どうもありがとう。ちょっと私、聞いてくる」
夏菜子は立ち上がって。
「……開け」
夏菜子の目の前に次元の扉が渦巻いた。夏菜子はぴょん、と跳ねて歪みへと入っていった。アルチーナはそんな夏菜子を見届けると、くるりと回り、そして消えた。
やがて夏菜子は次元の歪みを通って、魔女の小屋へと着く。小屋の目の前にやってくると、木の扉がひとりでに開くのを待たずして、夏菜子は勢いよくその扉を開けた。
「なんだ。騒がしい」ペルセポネは夏菜子を見るとそう言った。やはり大きな古い木製の椅子に腰掛けていた。
「あの魔女から聞いた。あなたのこと、冥界のこと。それはいい。私が気になるのは、あなたはあと数年しか生きられないの? あなたも苦痛を受けることになるの?」
「アルチーナめ。余計なことを話しおって」
「質問に答えて」
「ああ。確かにそうだが」
「どうして? どうしてそんな目に合うのに、あなたは彩綾の願いを聞き入れたの? 寿命を伸ばすために契約してたんじゃないの?」
「今後、質問はひとつずつにしてくれるか。まあいい、答えよう。我は彩綾というあの少女を心底気に入ってしまったのだ。長い時を生きている我にしてみれば、主らなど赤子も同然。けれどもあの少女は強く、優しく、純粋だった」
「……何を言っているの? あなたは彩綾を殺したじゃない。それも14日もの苦痛をつけて!」
「だからこそだ。あの少女の願いは、主を解放することだった。しかしそれは叶わぬ。ならばせめて苦痛をと、そんな彼女の願いを、我は断ることなどできなかった」
ペルセポネは唇をぐっ、と噛み締めた。
「我は人間の少女と契約しながら生き長らえてきた。しかしそれに意味があるのか、長く、長く考え続けてきた。我は本来人間だった。かつて愛した人も、家族も、友人も、とうの昔にこの世から去っているのだ。そして我は、彩綾という少女に出会った。あの少女はよくここに来ていたよ。冥界で娘達と遊んだ遊びを教えたりもした。あの少女は我にとって、娘のような存在になってしまったのだ」
「あなたはどうして、冥界で暮らすようになったの?」
「冥界の王、ハーデスに連れ去られたのさ。抗ったが、無駄だった。我にもキュリオスという想い人がいた。しかし引きはがされ、我は冥界の女王となり、強大な魔力を与えられた。我はハーデスの目を盗み、少しの間だけ人間界へと戻ったが、キュリオスは既に死んでいた。数十年が経っていたからな。我はキュリオスがどんな人生を送ったのかを調べた。大切な想い人が、幸せに生きられたのかどうかが知りたかったのだ。だが……」
ペルセポネは凄まじい形相を浮かべた。髪は浮き上がり、顔中に皺が現れる。
「確かにキュリオスは幸せに人生を送ったようだった。我ではない女と共に。我と生き別れてすぐに、キュリオスはアグナという女と子供を……。いや、主にこんな話を聞かせても仕方ない。すまぬ」
ペルセポネはそう、素直に謝罪した。髪はしとりと元の位置へと戻る。落ち着いたようだった。
キュリオス。アグナ。どこかで聞いたような。つい最近聞いたばかりのような気がするのに、何故か思い出せない。
「ともあれ、我はもう、少女と契約などせぬ。人間の少女を犠牲にしてまで、我が生き長らえる必要などないのだ。ただし気がかりなのは、他の魔女である我の娘達とハーデスのことだ。娘達はこれからも人間の少女と契約し続けるだろう。そしてハーデスは新たな魔女を生み続ける。ハーデスさえいなければ、我らはまた冥界で暮らすことができるのだが……。そして冥界で暮らせるのであれば、魔女達もわざわざ人間の少女を犠牲にすることなどないのだが」
「ハーデスを殺してしまえば、もう人間の少女は犠牲にならないのね? それなら何か、ハーデスを殺す方法はないの?」
「我や我の娘達では無理だ。ハーデスの意思ひとつで、冥界での魔力を制限されてしまう。純粋な魔力量だけで言えば、我はもはやハーデスを上回るが、しかしそれを発揮できない。だが、方法はあるにはある。生きている生身の人間、そして我の力を高純度で発揮できる若い少女だ。我の魔力の全てを注ぎ込み、そして生身の人間がそれを扱えば、生身の体を持たぬハーデスに勝ち目はない。例え冥界であれ、生身の人間というのは強大なエネルギーを持つからな」
「私がやるよ。私があなたの魔力を借りて、ハーデスを倒す」
「それはできぬ。生身のまま冥界に入るには、冥界の炎に7日間灼かれなくてはならぬのだ。その苦痛は、契約による7日間の苦痛を遥かに超える。魂に直接与える苦痛であるから、発狂することも人格が破壊されることもないが、しかしそれはあまりに……」
「いいの。私、耐えるよ。ハーデスさえいなければ、もう少女が犠牲になることもない。私は彩綾の苦しみを、絶対に無駄にしたくない。本当はあなたのこともまだ許せてはいないけど、でも、それより大切なことがあると思うから」
「……やってくれるのか」
「うん。よろしく」
「ありがとう、夏菜子」
そう言うとペルセポネは立ち上がり、夏菜子に背を向ける。故に夏菜子には見えていなかったのだが、ペルセポネの口角が大きく上がっていた。




