むかしむかし、あるところにて
「ペル!」
キュリオスの声が薄暗い聖殿の中で鋭く響いた。ペルセポネは眉間にしわを寄せ、黒紫に光る次元の歪みからなんとか逃れようともがいている。
「ペルセポネは私の妻とする。すまぬ、人間よ」
地を這うような、それでいて重い、冥界の王の声が聖殿を揺らした。冥界の王の姿は見えず、次元の歪みの奥底からその声がキュリオスへと届く。
「なぜこのような仕打ちをするのですか。私達はただ、人間として慎ましく暮らしたいだけなのです」
下半身を既に次元の歪みに引き込まれながらも、ペルセポネはその力に抗いながらそう言った。
キュリオスがペルセポネの手を掴む。
「ペル、お前を冥界になど行かせはしない。ハーデス様、私の命と代えられませんか。どうか」
「お前の命に興味などない。だが人間の男よ、私はお前が気の毒だとは思うのだ。それなりの人生を送れるように配慮しよう」
ゆっくりと、けれども確かな説得力を持って、冥界の王の言葉はキュリオスの鼓膜を振動させた。まるで、ペルセポネを冥界へと連れて行くことは決まりきったことであるかのように。
ペルセポネはキュリオスの目をじっと見る。
「キュリオス。愛していました。私は冥界から貴方の幸せを祈っています」
ペルセポネは抗う力を緩めた。ぐぐぐとペルセポネの体は次元の歪みへと吸い込まれてゆく。
「だめだ! ペル! 行かないでくれ!」
キュリオスは叫ぶ。
「ありがとう。キュリオス。さようなら」
ペルセポネは涙をきらりと光らせながら、キュリオスに笑いかけてそう言った。
キュリオスの健闘虚しく、ペルセポネの全身は歪みの中へと引き込まれ、キュリオスの手からペルセポネはするりと離れる。
目的を果たした黒紫の歪みは次第に小さくなり、そうして消え去った。
小さな薄暗い聖殿の中で、キュリオスはどさりと崩れ落ちる。
冥界へと連れ去られたペルセポネと生きて会うことはもはや叶わぬ。どうしてこんな悲劇が起ころうか。ペルセポネはハーデスに何をされるというのか。愛するペルセポネの身を案じ、そして別れに悲しみ、キュリオスは三日三晩泣き続けた。
絶望し、悲嘆に暮れるキュリオスの元に、1人の女が近寄るのだった。