戦闘1-1 ~異能力vs祓魔術
出巣黒須市立下辺那公園予定地。
公園になれなかった荒地に建つ巨大なドームは、風雨に耐えかねたか壁の半分が崩れ去っていた。
弔い歌のような風音が荒野を吹きすさぶ。
半円状に崩れた壁沿いに並んで、23人の武装した少年たちと、ひとりの少女がドームを取り囲んでいる。【第三機関】の執行人である。
少年たちは全員が異能力者だ。
異能力は、学習を要する魔術や修練を要す妖術、天啓を要する呪術と異なり、取得の難易度が低く適合者も多い。
それ故に【機関】の戦力の中核となっている。
対して、ドーム中央の怪人は2人。
ひとりは、魔改造修道服を着た派手な女。
指名手配中の怪人、呪術師アイオス。
何人かの異能力者が女の熟れた肢体を見やり、下卑た笑みを浮かべた。
女の側に立つのは、着流しを着た長髪の男。
右手にくすんだ橙色の剣を握り、首に勾玉を提げ、左手に鏡を抱えている。
その前にしつらえた台座の上には、クセ毛の少年が横たわっている。
「【鹿】、あの男は情報にない。何者だ?」
少年たちの中でもひときわ大柄な高校生が、尊大に問いかける。
手には抜き身のサーベル。
彼が執行人たちのリーダーだ。
「み、三剣悟、です。さ、3年前の【エンペラー事件】の生き残り……」
執行人【鹿】――奈良坂は答えつつ、眼鏡の奥の気弱そうな瞳を地に向けた。
包囲する側の中で、ただひとり彼女だけが異能力者ではない。
討伐する怪人が魔道士の場合、攻撃部隊には最低1人の魔道士が加えられる。
怪人魔道士対【機関】の魔道士という図式を作りだすことによって、【組合】との政治的な軋轢を防ぐためだ。
だから奈良坂は、戦力ではなくアドバイザーとして今回の作戦に参加している。
「持っているのは、三種の神器、です……。あ、あの、どうしますか? 隊長」
奈良坂は奇襲を察知すべく【孔雀経法】を維持しながらリーダーに問う。
だが隊長と呼ばれた少年が答える間もなく、
「3年前、この世界に【エンペラー】を名乗る魔人があらわれた」
三剣悟が語り始めた。
巨大なドームの中央からは距離がある。
にもかかわらず、その繊細な声色は、まるで耳元で話しかけられているかのようにはっきりと聞きとることができる。
何らかの魔法によるものだろう。
「彼は手下を放って世界を恐怖と混乱に陥れ、この世界を滅ぼそうとした」
着流しの青年は淡々と語る。
アイオスは青年に寄り添ったまま、ただ妖艶な笑みを浮かべている。
首謀者はアイオスではなく彼だ。
「別世界の女王に選ばれた3人の少女がエンペラーに挑んだ」
口元に爽やかな笑みすら浮かべる青年の瞳に宿るは後悔と喪失感。
そして憎悪。
「だが君たちは何もしなかった。超常の災厄から人々を守るはずの【第三機関】は、世界の命運をかけた戦いを年端もいかない少女たちに押しつけた!」
「ええい! でたらめを!」
隊長は叫ぶ。
だが、すべて三剣悟の言う通りだ。
あの事件について調べていた奈良坂には、わかる。
それでも異能力者が束になってエンペラーの軍勢に立ち向かったとしても、いたずらに命が失われるだけであったのも事実だ。
それほどまでに、エンペラーと彼が作り出した幹部たちは強かった。
そしてピクシオンも。
執行人の魔道士も、彼らに対抗することはできなかった。
かくいう奈良坂も討伐隊に加わり、幹部の不意をついて討とうと試みた。
だが果たせなかった。
逆に討伐隊は全滅し、奈良坂自身も殺されかけ、ピクシオンの銃弾に救われた。
それでも彼は、その弁明を受け入れたりはしないだろう。
奈良坂にすら、わかる。
彼はエンペラーとの戦いで心の支えを失い、自ら守った世界の中で、その傷口を塞げぬままゆっくりと壊れていったのだ。
「彼女たちは、たった3人でエンペラーに挑んだ」
青年は微笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「そして、世界は救われ、彼女は帰ってこなかった」
否、涼やかな微笑を装いながら、執行人たちに憎悪の視線を投げかけている。
奈良坂が調べた資料には、ピクシオンのうち2人が消息不明とされている。
萌木美佳。
果心一樹。
彼のいう『彼女』がどちらを指すのか、奈良坂にはわからない。
青年の瞳が一瞬だけ細められ、その感情が爆発した。
「そんなおまえたちが、今さら裏の世界の警察気取りか!? 手に負えそうな相手にだけ噛みつくんなら、ゴロツキや怪異と同じなんだよ!!」
「言いたいことはそれだけか!? 怪人の一味め!」
叫びとともに振りあげられた隊長のサーベルが、青白い放電に包まれる。
武器に雷光の魔力を宿らせる【雷霊武器】の異能力。
「【機関】の精鋭部隊が、貴様ら怪人とは違うことを思い知らせてやる!」
その言葉に呼応して、他の少年たちも得物や身体を輝かせる。
「三種の神器に蓄えられた魔力におまえたちの魔力を加えて、美佳を蘇らせる!」
悟は恐れる様子もなく叫ぶ。
「生きる価値も死ぬ価値もないおまえたちに、せめて償いをさせてやるよ!!」
細面の青年は、居並ぶAランクの異能力者たちに宣戦を布告した。
彼の想い人は萌木美佳だったらしい。
それ以上に、奈良坂にとって彼の言葉は意味を持っていた。
彼が美佳を蘇らせるのに、魔力が必要だという。
ならば、その身に魔力を宿した異能力者の集団は格好の餌だ。
加えて、鍛錬によって魔力を蓄えた奈良坂自身も。
「た、隊長、一旦退いて増援を――」
「バカか貴様は!?」
要請しましょう、と続けることはできなかった。
奈良坂はアドバイザーに過ぎず、指揮権は大柄な【雷霊武器】にある。
(これじゃ、まるで、あの夜と同じ……)
奈良坂は恐怖に身をふるわせる。
あの三日月の夜に、エンペラーの幹部を討つべく討伐体に加わった。
だが敗北し、斬り刻まれる仲間を置いて逃げだした。
「貴様以外はAランクで構成された4部隊! もやし男と女など、敵でもないわ! 総員、奴らを拘束しろ!! いや、男は殺しても構わん!」
隊長の叫びを合図に、23人の少年たちが崩れた壁を乗り越えて走る。
「Aランクになった俺たち【雷徒人愚】の力を、見せてやるぜ!」
まずは、筋骨隆々とした上半身をさらけ出した大柄な少年。
気功によって身体能力を強化する【虎爪気功】。
虎の威を得た武道家を、高枝切りバサミを携えた4人の学ランが追い抜く。
狼のスピードによる神速の拳で敵を討つ【狼牙気功】。
いずれも【機関】が誇る異能力者だ。
彼らの拳は壁をも砕き、鋼の鎧に等しい筋肉は並の銃弾などものともしない。
その上空を、丸々と太った【鷲翼気功】が征く。
手にしているのは軽機関銃。
自身の体重程度の装備品を持ち運ぶことのできる彼の異能力をもってすれば、100連ドラムマガジンを装備した本銃を空輸することも可能だ。
「目にも止まらぬ我が攻撃で、目にもの見せてくれるでござる!」
その後で、カラテを構えた6人の全身タイツが溶けるように消える。
手裏剣を背負った覆面の少年たちは、自身を光学的に透明化する【偏光隠蔽】。
目にも止まらぬ忍者の奇襲をしのげる敵など、そうはいない。
「オレ様の剣で焼き尽くしてやるぜ!」
別の少年たちが、剣や槍を紅蓮の炎に包んで走る。
得物を発火させる【火霊武器】。
様々な異能力を持つ少年たちが、たった2人の怪人めがけて突撃する。
やむをえず奈良坂も【孔雀経法】を解除する。
携帯型の護摩壇を取り出し、設置する。
印を組み、真言を唱え、菩薩の加護を得るべく施術を始める。
「それで良い。あの寂しい月がもう一度昇る前に、終わらせたいんだ」
迎え撃つ悟は祝詞を唱え始める。
「お姉さん、積極的なボウヤは嫌いじゃないわよぉン」
アイオスは向かい来る少年たちに誘うような笑みを向ける。
胸の谷間に手を滑らせ、2丁のリボルバー拳銃を引っ張り出す。
両手の拳銃が交互に火を吹く。
屈強な5人の異能力者たちが胸を、腹を、頭を穿たれて血だまりの上を転がる。
長柄の得物が地を転がる。
(やっぱり、44マグナム弾が相手じゃ……)
施術をしながら、奈良坂は息をのむ。
米国では怪人による犯罪が社会問題化している。
だから市民は護身のために、異能力で強化された肉体をも貫く強力な銃を渇望する。
そうした大口径信仰を支える銃弾こそ、手持ちの大砲と呼ぶに相応しい45口径であり、44マグナムである。
そんな代物を、並の異能力で防げるわけがない。
さらにアイオスは十字を切る。
すると撃たれた異能力者の身体が光とともに破裂し、赤い欠片をまき散らす。
魔力をこめた弾丸を媒体にした【閃光の爆球】。
一瞬で残骸となった少年たちに、アイオスは妖艶な笑みを向ける。
その周囲に無数の弾丸が降り注いだ。
空中に制止した【鷲翼気功】による軽機関銃の掃射である。
仲間を屠られた怒りの猛攻。
弾丸の嵐がアイオスを飲みこむ。
少年は叫ぶ。
アイオスは焦る。
修道服の腰がビクンと震え、スカートの下に千切れた注連縄が落ちる。
だが、それだけ。
アイオスは無傷だ。
即ち【護身神法】。古神道による防御魔法。
しかも、
「ええい、止めろ! 我々が近づけんではないか!!」
「ぶひぃ!?」
隊長に一喝されて、少年は射撃を止めた。
次の瞬間、【光の矢】に迎撃されて墜落する。
その攻防に動揺したか、あるいは急に走ったからか、【火霊武器】のひとりが転倒して炎の剣で自身の喉を突いて果てた。
次いでアイオスは右の銃口を下に、左の銃口を上に向け、銃で十字架を形作る。
聖句を唱える。
輝く鉄の十字架から、幾重もの尾を引く粒子ビームが放たれる。
先の戦闘で奈良坂たちの敵に止めを刺した【輝雨の誘導】の呪術。
だが今は奈良坂の仲間に向けて放たれた。
細い光のシャワーは軌道半ばで折れ曲がって地を穿つ。
無数の光線が交差する6カ所。
そこに全身に黒い孔を空けられた6人のニンジャがあらわれる。
そのまま崩れ落ちる。特に被弾が多くカートゥーンのチーズのようになったひとりはバラバラになって砕け散った。
惨たらしく屠られる仲間の姿に、奈良坂の顔が青ざめる。
一方、少年たちのうち最後尾の4人が立ち止まった。
いずれも細面の可愛らしい美少年だ。
うち2人は眼鏡をかけている。
少年たちは、瞬時に2部隊を壊滅させた怪人を睨みつける。
するとアイオスの新たな祈りによって形作られた【光の矢】が、かき消えた。
アイオスは動揺する。
少年たちは笑う。
彼らの異能力は【魔力破壊】。
魔道士が使う【対抗魔術・弐式】【祓】【九字】【十字】と同等に、視線を向けるだけで魔法を壊し、施術を妨害する魔法消去の異能である。
「美佳。力を貸してくれ……」
アイオスの窮地に、悟は詠唱を中断して草薙剣を横に構える。
祝詞ですらないつぶやきに、くすんだ橙色の長剣はオレンジ色の輝きで答える。
光は悟の身体を覆い、アイオスにも飛び火する。
そして彼女が十字を切ると、4人の頭部が赤いしぶきをあげて爆発した。
(【魔力破壊】を反転された!?)
奈良坂は驚愕する。
魔法消去は、異能力や魔法をマイナスの魔力によって消し去る技術だ。
だから同等の術によって魔力の流れを捻じ曲げることで反転させられる。
無論、それには相当の実力差が必要だ。
だが異能力を使えるだけの異能力者と、呪術を自在に操る呪術師の間には超えることのできない技量の差が存在する。
そうやってマイナスの魔力を反転されると、攻撃者の術具は破壊される。
奈良坂とアイオスがファイゼルの指輪を壊したように。
御剣邸で明日香が悟の懐刀を砕いたように。
そして術具を使えない怪異や異能力者の場合、肉体そのものが破壊される。
敵の手練におののきつつも、奈良坂は自身の術を完成させた。
次の瞬間、世界が変容する。
ドームや地面が現実味を欠いた幽玄と化す。
遠くに見える廃墟は水墨画と化す。
ビルの谷間からは仏像が顔を覗かせ、般若心経の細い調べが静かに流れる。
時空との対話により地蔵菩薩の加護を得る【地蔵結界法】。
この妖術によって張り巡らされた戦術結界は、術者の味方を鼓舞すると同時に、範囲内の空間を周囲から遮断することで仏敵の魔力を遮断し、弱体化させる。
そして呪術師は、外界から魔力を得ることで呪術を成す。
造物魔王の魔力を借りる祓魔師も。
天地に満ちる魔力を八百万の神々と奉じて操る古神術の使い手も。
どちらも、力の源から断絶された空間の中では無力。
圧倒的な力の差を見せつけた呪術師に、瞬く間に仲間の大半を失った執行人たちは、ようやく逆転の糸口を手に入れた。