園香
翌朝、舞奈は眠い目をこすりながら登校し、へろへろとイスに腰かけた。
教室にはまだ誰もいない。
例によって昨日の夕飯は水道水だった。
なので今朝は、腹の虫に急かされるように目をさまし、家でじっとしていても腹が減るだけなので早めに登校したのだ。
だが、教室でじっとしていても腹が減ることには変わりない。
(あーあ、あそこから中華の出前でも入って来ないかな)
空きっ腹をなだめながら、何とはなしに開け放たれたドアを見やる。
(そんでもって、こう、でっかい肉まんとか持って……)
そんなさもしい妄想にひたっりつドアをながめる。
その時、大きな肉まんが2つもあらわれた。
あわてて目をしばたかせる。
すると通学鞄とバッグを両手でさげた園香が入ってきた。
布のバッグには仲むつまじいリスのカップルが刺繍されている。
「マイちゃん、おはよう。今日は早いんだね」
「よっ、おはよう園香」
おざなりな挨拶を返しつつ、園香の胸をじっと見やる。
断じて他意はなく、顔を見上げようとすると自然にそうなる。
なんとなく彼女と2人きりのときは、あだ名ではなく園香と呼びたかった。
そんなことを思うのは、たぶん舞奈が彼女の部屋に泊ったあの夜からだ。
園香は頬を赤らめ視線を落し、鞄を握りしめた両腕をキュッとすぼめる。
ふくよかな胸が圧迫されて盛り上がる様に辛抱たまらず、
「おまえも早いな」
そう言って、目をそらす。
園香は自分の席に向かう。
「マイちゃん、今朝もお腹すいてるの?」
「うん」
言いつつ机に鞄を下ろす園香の後姿に見とれながら、答える。
鞄の中身を机に移す何気ない仕草。
恥らうように、誘うように揺れるスカート。
彼女のすべてが、そこはかとなく艶めかしい。目が離せない。
なんだか園香が急に綺麗になったように思える。
あの夜を境にして、舞奈も園香も少しずつ変化していた。
「今日はパウンドケーキを焼いてみたんだけど、どうかな?」
やがて、長身の少女はバッグから布の包みを取り出し、舞奈の席に戻ってきた。
「いつもすまないな」
包みの中から小さくスライスされた洋菓子をつまんで、ひとかじり。
シロップがたっぷりと馴染んだカステラの食感を堪能し、そのまま3口で平らげる。
そして側で控えめに見つめる園香を見つめ返し、笑う。
「こいつは美味い。良い嫁さんになるよ」
「えへへ、ありがとう」
園香も笑う。
「マイちゃん、いつも美味しそうに食べてくれるから嬉しいな」
花弁のような唇をほころばせ、照れるように笑う。
「あのね、マイちゃん」
園香は2枚の紙切れを取り出し、片方を舞奈に手渡した。
「映画の前売券に見えるな」
「うん。チケット2枚もらったんだけど、いっしょに行く相手がいなくて……」
ギャングと探偵が派手に撃ち合うアクション映画らしい。
結構ハードな内容のようだ。
「あたしは面白そうだと思うけど。……誰だよ園香にこんなの渡したバカは?」
間違っても普通の女子小学生が観たがるような代物ではない。
苦笑する舞奈に、だが園香は控えめな微笑みを返す。
「今度の金曜日の夕方、用事とかなかったら一緒にどうかな? よかったらその、ついでにご飯でも……」
無論、舞奈も是非ともご一緒したい。
映画も面白そうではあるし、なにより『ついでにご飯でも』である。
その言葉が意味するところはひとつしかない。
つまり、金曜日は夕飯が食べられるということだ。
だが、それならいつも一緒にいるチャビーを誘うのが筋なのではと思う。
しかしチャビーは映画とか見ると間違いなく寝る。
知った顔を順繰りに思い浮かべてみる。
明日香はずっとウンチクを語っていそうだ。
テックはDVDでも貸したほうが喜びそうだ。
みゃー子と映画なんてとんでもない。
そうなると必然的に舞奈くらいしか誘う相手がいない。
――否、もうひとり。
「その、トウぼ……刀也のこと、すまない」
以前に聞いた話では、彼女は刀也に思うところある口ぶりだった。
そして、当の刀也は舞奈が関った事件によって(自業自得とはいえ)昏倒中だ。
「あれは、そういうんじゃないの。マイちゃんと似てるかなって思って……」
園香はあわてて言い募る。
舞奈は優しげな視線で先をうながす。
「前からね、マイちゃんのこと格好良いなって思ってたの」
園香は、頬を赤らめてうつむく。
「それでね…ね、もっと……仲よくなれたらなって、ずっと思ってた」
「ああ、あたしも思ってた」
「でもね、でも、マイちゃん、そういうの気持ち悪がるかなって。でも……」
園香は不安げに言葉をつまらせた。
湯気が出るかと思えるほど赤くなって、もじもじと床を見つめる。
だが、あの夜、舞奈は園香を否定などしないことが、はっきりした。だから、
「別に用事なんてないし、よろこんでご一緒させてもらうよ」
舞奈はそんな彼女に微笑みかけ、そっと立ち上がって耳元にささやく。
園香は園香だ。美佳の代わりになんてならない。
けど美佳はもういないから、心の穴を別の何かで埋めなければいけない。
舞奈のそんな心情など知らぬ園香は、ぱっと花が咲いたように微笑む。
「よかった」
花びらのような唇が安堵の吐息を洩らす。
「それじゃ、待ち合わせ場所は――」
楽しそうに話す園香を見つめながら、
(やっぱり可愛いな)
舞奈も思わず口元を緩める。
けれど、彼女は美佳じゃない。